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インタラクティヴな彫刻:モニター,コンピュータ,専用ソフトウェア
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われわれは,隠しカメラやヴィデオ監視装置,その他の監視装置によって,日常の行動を知らないうちにモニターされていることがよくある.銀行や空港,美術館やスーパーマーケットでは,われわれの存在はほとんどつねに記録され,チェックされている.あたかもわれわれが潜在的犯罪者であるかのように.
われわれをとりまく環境を管理の下におこうという技術社会における夢は,一方ではわれわれが機械に監視され,ひそかに探られるという悪夢にもなる.実際に問題となるのは,万能ヴィデオ・アイは何を暴きだそうとしているのか,それは誰のためのものなのかということだ.保護されているのは誰なのか,何なのか.ある意味で,このモニタリング機械はわれわれの視線の反映でもあり,したがって皮肉なことに,われわれはみずからデザインした「悪の」目から逃れようとしているのだ.その目はそれ自身の生を生きており,未知なる者の支配下にあるようにも見える.
「ビッグ・ブラザーはあなたを見ている.」彼はひそかにあなたを見張っている.だがこのインタラクティヴ・インスタレーション,『アイ(私/眼)』は,その疑い深い眼差しを,あなたや他の通行人にあからさまに向ける.『アイ(私/眼)』はヴィデオ・モニターいっぱいに映るほどの巨大な目だ.それはただあなたを見つめるだけではない.あなたの動きを追って動くのだ.はじめは自分こそが見る者だ,この見るゲームの主導権をにぎっているのは私だ,と思っていたあなたは,自分もまた見られていることに気付く.『アイ(私/眼)』のためにスピンホーフェンは,実にさまざまな向きの自分の目を撮影した.コンピュータのプログラムによって,それが刻々とショットされる見る者の実在に反応するのである.『アイ(私/眼)』の目と目が合うことによって,物のように監視され,目で後を追われるということがどのようなものか,身をもって体験される.控えめに言っても,それは両義的な体験なのだ.
だがそこにはさらに特殊な問題が含まれている.——その程度はあなたがよって立つ場,『アイ(私/眼)』が置かれるコンテクストによって変わってくる.それは芸術作品に対して,解釈し分類する審美的な視線を浴びせ,それを征服することに慣らされてきた,芸術を見る者としてのあなたの役割についての問題でもある.『アイ(私/眼)』をもって芸術は復讐し,冷酷ににらみ返してくる.展示物として受動的,屈辱的な地位に置かれることに反抗するかのように.慣習を破って観察する術を修得しようとする作品の厚かましい凝視によって,犠牲となった見る者の視線は萎えさせられる.こうして習慣的な役割は逆転されることになる.
『アイ(私/眼)』は,テクノロジーと情報通信に支えられた社会における暗い側面を明るみに出すとともに,見る者に対して,今までとは違った目で芸術と自分自身を見るようにしむけているのだ.
ヨリンデ・セイデル
翻訳:白井雅人
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