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4チャンネル・ヴィデオ,4台のプロジェクト・スクリーン,
レーザー・ディスク,オーディオ |
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A・P・コーメンは,ときに,カレン・ムルフィと協同で制作したヴィデオ・インスタレーションで有名になった.それは多様な方法で,記憶,コミュニケーション,コミュニケーション・メディアが互いに影響し合う様式への表現を与えている.われわれの記憶の機能はどのようなものか.どのような要因によって,それはコントロールされ得るのか.記憶の価値は何か.いかなる点において「真実」は虚構へ転じるのか,その逆はどうか.近代のコミュニケーションの手段の効果は,私的なものと公的なものについてのわれわれの見解を変化させているのか.メディアは,他の局面で隠されているであろう何かを見えるようにしうるのか,あるいは,それらを,むしろ包み隠してしまうのか.これらの問いを探究するため,見る者は,A・P・コーメンやコーメン/カレン・ムルフィによって,受動的で客観的な観客として問いかけられるか,あるいは,むしろ窃視者の役割へと操られる.
コーメン/ムルフィの『パニック・ワゴン』では,まっすぐカメラを見つめて,過去のある出来事の再構築を試みる3人の若い女性のヴィデオ・プロジェクションを見る.その中では,記憶が少しずつ開かれて行くように彼女たちは交代して現われる.3人の女性は姉妹であることが判明する.彼女たちは,それぞれに異なるパースペクティヴから同じ物語を語るのだが,かつて一緒に経験した何ものかについての解釈,記憶,感情が,時折,少なからず異なってしまうのだ.
コーメン/ムルフィの『ひとつの幽霊の話』でもまた,幽霊が出るという噂の家屋にかつて住んでいた居住者たちの様々な思い出が,記憶,虚構,現実を,もつれさせるように次々と提示される.『パニック・ワゴン』や『一つの幽霊の話』においては,「真実」や本当の境遇はもはや存在しないようである.それは,その事件,出来事が起きたときに永遠に失われたのだから.
『カップルズ』のために,コーメンは4台の自動車電話の会話を盗聴した.それに,コーメンは,窃視者的な観点からホーム・ヴィデオ的な映像を結び付けた.見る者は一人の親友のようにその会話と映像に接するが,事実上,まったく関係のない私的な会話と内的なイメージは,単に好奇心を刺激するだけでなく,見る者を魅惑させ,当惑させる.
『フェイス・ショッピング』では,さらに隠されたままにとどまる何か,あるいは,少なくとも,気付かれないままであろうとする何かを露わにしようとしながら,コーメンは,われわれ自身の窃視者的な傾向をかきたてている.大きな4枚の投影スクリーン上に,全部で12人の神経症的な痙攣=「ティック」を持つ若い女性たちのクローズ・アップを見ることになる.ある女性は,常に髪をいじくり,他方は,ほとんど神経質に煙草を吸い,また,ある者は,まぶたをピクピクさせているのである.
コーメンは,この「ティック」を,数秒毎に反復するようにループさせ,音響のために映写されたモデルの息の断片を使用している.それは,留守番電話に彼らが残したメッセージから彼が分離したものである.あなたは,ウィンドウ・ショッピングのように無意識に振る舞いながら,忘却されていく瞬間をとらえるように,驚きを持って彼女たちのの顔を見ることができる.あたかも,その視線こそ,このご婦人たちを非常にナーヴァスにする詮索好きなまなざしであったかのように.
われわれの顔の表情は,内部と外部の衝動によって決定されている.内部と外部の間で,それは時に常軌を逸することがある.『フェイス・ショピング』において,顔は,魂の鏡であり,また,内面の自己を隠す仮面の両者であることを逆説的に示すのである.
ヨリンデ・セイデル
翻訳:上神田敬
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