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17チャンネル・ヴィデオ(白黒),11チャンネル・オーディオ
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あなたが天国を想像するならば,いかなる世界を想像するであろうか.天国は,依然として神と彼に従う祝福され選ばれた少数者たちが住まう独占的な場所であるのか.それはまだ,啓蒙されたより高い世界なのか.大空か.天頂か.天国がどんなものであれ,あまり窒息させられたり,重かったりはしない,異なる空間と時間の秩序に支配された常ならぬ場所に違いない.
ペーター・ボーガースの地上における『ヘヴン(天国)』は,小さく,空虚な三つの部屋の住居である.その部屋には自由に立ち入ってより近づいて確かめられる.家具もないし,この天国の住所には,神聖な,あるいは運命づけられた居住者はおそらくいない.しかし,あなたが出会うものは,その部屋に散りばめられたかなり多くのヴィデオ・モニターである.その白黒の映像を見,随伴する音響を聞くと,それらが無秩序というよりはむしろ,正確かつ適切に配置されていることに気付くだろう,言い替えれば,これらの映像の内容が現実化するところでは,おそらく,これらの音響が正しく鳴るのである.
こすり付けられる足,すきま風に動かされるドア,ゴロゴロうなる猫,風に揺れるカーテン,母親の乳を飲む子供,コーヒー・カップをかき回す手,体を愛撫する手,女性の翻る髪の毛,弓で弾かれるダブル・ベース,遊んでいる赤ん坊…….こする音,ゴロゴロ,キーキー,カチカチ,はねる音,ゴクゴク…….それらの家庭生活の断片と音響のいずれもが,その部屋を存在で満たしているのだが,同時に,知覚しうる物と生命の不在を形成している.
それらの映像は音響に伴われながら,決して一秒以上続かず,一秒進み,一秒後退するというエンドレスの反復で現われる.この静止を例示する一台の時計の映像がある.それらの光景はたいへん親しみ深いものだが,結局は覆えされる.おそらく,それらの分散のためか,あるいは,このすべてにわたる停止のためか.特に時計がそうなのだが,多くの映像と音響は,壁面の記号のように極度に驚くべき効果を持っている.手いっぱいのうじ,脈打つこめかみ,神戸の地震でテレビ局の機具が落下し滑っている,よく知られたテレビ映像の断片…….
何があなたにやってくるのか.当惑させ疎外させる映像と音響にあなたはとらえられ,巻き込まれ,自分を一人の侵入者のように感じるだろう.ここが天国なのか.あるいは,これは,SFなのか.どんな場合であれ,ここは神秘的なリズムに組織され奇妙な精神によって所有された神秘的な場所である.あなたは,時間が静止した,あるいは,一秒にしぼんでしまった場所に降り立った.しかし,なぜ,どのようにしてか.『ヘヴン』はあるカタストロフの直前の瞬間であるのかもしれない,事態はまだ,いつも通りに生じている,なぜなら,まだ何も悪くなっていないのだから.あるいは,これを可能とするテクノロジーは,劇的で運命的な出来事が起きた直後のこの家に巡り合ったのかもしれない.現代のポンペイの如き出来事.ここは一つの始まりなのか,あるいは,一つの終りなのか.時期を選んだり予測することは何も解決しはしない.天国は『ヘヴン』へと消失したのだ.
ヨリンデ・セイデル
翻訳:上神田敬
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