HIVEのすゝめ|HIVE 101: Introduction to ICC’s Video Archive

Vol. 3

谷口暁彦 TANIGUCHI Akihiko

1983年生まれ.メディア・アーティスト.多摩美術大学情報デザイン学科メディア芸術コース専任講師.メディア・アート,ネット・アート,映像,彫刻など,さまざまな形態で作品を発表している.主な展覧会に「[インターネット アート これから]——ポスト・インターネットのリアリティ」(ICC,2012),「SeMA Biennale Mediacity Seoul 2016」(ソウル市立美術館,2016),個展に「滲み出る板」(GALLERY MIDORI.SO,東京,2015),「超・いま・ここ」(CALM & PUNK GALLERY,東京,2017)など.
企画展「イン・ア・ゲームスケープ:ヴィデオ・ゲームの風景,リアリティ,物語,自我」(ICC,2018–2019)にて共同キュレーションを務める.


パフォーマンス,インターフェイス,大学

ICCのHIVEには,インタヴュー,アーティスト・トーク,シンポジウムなどのアーカイヴ映像が膨大に保存・公開されています.僕自身も何度かアーティスト・トークに登壇したり,またアーカイヴ映像を大学の授業で資料としてたびたび利用しています.現在,新型コロナウイルス感染症(COVID-19)流行の影響によって,展覧会やライヴ・イヴェント,舞台公演など様々な文化的な営みを,これまで通りに継続することが困難な状況になり,インターネット上での配信やアーカイヴの公開などが各所で盛んに行なわれるようになりました.そうしたときに,ふとこのHIVEのことを思い出しました.感染症流行以前から,少なくとも国内の文化施設でこれほど多くの映像記録をオンラインで公開し続けている施設はないからです.

改めて,HIVEで公開されているアーカイヴを見直しながら,個人的に印象に残っているもの,あるいは今の状況において示唆を与えてくれるものをいくつか取り上げたいと思います.


「小沢裕子*1 」と書かれたプレートが置かれた席に,一人の女性が座っています.そして,トーク・イヴェント開始直後,この女性はこう発言します.

「しかし,わたし小沢裕子の身体はいま,みなさまの前にはありません.」

つまり,この女性は,別室にいる小沢裕子本人からの発話をリアルタイムにイヤホンで聞き,それをそのまま「小沢裕子」の発言として再現している役者*2 なのです.しかし,そこから受ける印象は,役者が台本にそって役を演じる「演技」ではなく,イヤホンから聞こえる小沢裕子本人の声で動かされている「空っぽな人間」の存在でした.それはどこか,恐怖すら感じられるほどに空虚な印象なのです.途中,撮影を担当した人物からのメッセージが「小沢裕子」から読み上げられる際には,この「空っぽ」さが二重に感じられ,もはやそれが誰による発話であるのかを理解することが困難になります.この小沢裕子のアーティスト・トークは,それ自体が小沢裕子のパフォーマンス作品にもなっていて,強烈な印象を残しています.


「[インターネット アート これから]——ポスト・インターネットのリアリティ」は,インターネットが普及し,日常化した社会状況「ポスト・インターネット」をテーマに2012年に開催された展覧会でした.パーカー・イトー*3 は,そうしたポスト・インターネットのシーンから登場したアーティストです.このトーク・イヴェントの冒頭,パーカーは自作の詩を朗読します.「天国の季節——ポスト・インターネットを生きる」と題されたこの詩は,パーカーらしいユーモアと軽やかさが感じられるものですが,同時に「ポスト・インターネット」という新しい社会状況のリアリティを的確に捉えたものでした.詩の後半に以下のような問いが出てきます.

「もし森の中で木が倒れても,その様子を誰かがiPhoneで撮影して,すぐにTumblrやFacebook,Flickr,Google Reader,Instagram,Twitter,Deliciousにアップロードしなかったとしたら,その木は本当に存在するといえるんだろうか?」

この問いに対する答えがどのようなものだったかは,是非HIVEの映像を見て確認してみてください.


「オープン・スペース 2013」 に参加していたucnv*4 は,データが破損した画像や映像から現われる特徴的な現象「グリッチ」註1 を用いて制作を行なうアーティストです.このアーティスト・トークには,僕自身もゲストとして参加しました.ここでucnvは昆虫採集のようにグリッチを丹念に採取,分類していく姿勢を通じて「グリッチそのもの」とは何かを考察しています.そのトークの内容も興味深いのですが,このアーカイヴの映像自体がucnvによってグリッチされてしまっていることで,HIVEのアーカイヴの中でも特に異質なものになっています.データという階層で行なわれた,アーティストのアーカイヴ・パフォーマンスとも言えるかもしれません.


2007年に行なわれた,岡崎乾二郎*5 ,郡司ペギオ-幸夫*6 ,矢内原美邦*7 によるシンポジウムです.インターフェイスをテーマに三者三様に,かつアクロバティックに拡張されたインターフェイス概念について語っています.「何にでもなりうる身体」(矢内原),「複数のインターフェイス,複数の魂」(岡崎),「痛み=傷みとしてのインターフェイス」(郡司),これらのインターフェイス概念はいずれも,たんに「仲介」や「翻訳」を行なうインターフェイスとしてではなく,それによって分裂と統合が起きる場のような状態を前提にしています.こうした議論を振り返ってみると,まだまだインターフェイスや,インタラクティヴ・アートの問題について探るべき可能性があるのだと気づかされます.


ともに現在,美術大学でメディア・アートに関する研究,教育に携わる久保田晃弘*8 ,桐山孝司*9 が,かつて在籍していた東京大学人工物工学研究センター註2 での活動を振り返りながら,工学と芸術の関係について語るトーク・イヴェントです.開催当時は,東日本大震災,および原子力発電所事故発生直後であり,工学のあり方が問い直さされる時期でもありました.ここで語られている90年代の工学のパラダイムシフトと,そこからアートの領域へと繋がる変化が,日本のアート&サイエンス,メディア・アートを織りなすさまざまな潮流のうちのひとつとして見えてきます.また,新型コロナウイルス感染症の影響で,大学を含む社会全体が大きく変化している現在から見ても,教育と研究の場としての大学のあり方について,さまざまな示唆を与えてくれるトーク・イヴェントだと思います.


[註1]^ グリッチ:「オープン・スペース 2013」への出品にあたり,グリッチおよび自身の作品についてucnvが書いたテキストが会場およびウェブサイトにて公開された.
https://www.ntticc.or.jp/ja/feature/2013/Openspace2013/Works/text_Tab_Glitch_j.html

[註2]^ 東京大学人工物工学研究センター
http://race.t.u-tokyo.ac.jp/

プロフィール・ページへのリンク
*1 ^ 小沢裕子 
https://www.ntticc.or.jp/ja/archive/participants/ozawa-yuko/
*2 ^ 役者:小倉彩華(小沢裕子役)
*3 ^ パーカー・イトー
https://www.ntticc.or.jp/ja/archive/participants/parker-ito/
*4 ^ ucnv
https://www.ntticc.or.jp/ja/archive/participants/ucnv/
*5 ^ 岡崎乾二郎
https://www.ntticc.or.jp/ja/archive/participants/okazaki-kenjiro/
*6 ^ 郡司ペギオ-幸夫
https://www.ntticc.or.jp/ja/archive/participants/gunji-pegio-yukio/
*7 ^ 矢内原美邦
https://www.ntticc.or.jp/ja/archive/participants/yanaihara-mikuni/
*8 ^ 久保田晃弘
https://www.ntticc.or.jp/ja/archive/participants/kubota-akihiro/
*9 ^ 桐山孝司
https://www.ntticc.or.jp/ja/archive/participants/kiriyama-takashi/

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