HIVEのすゝめ|HIVE 101: Introduction to ICC’s Video Archive

Vol. 8

和田夏実 WADA Natsumi

インタープリター.1993年生まれ.ろう者の両親のもとで手話を第一言語として育ち,大学進学時にあらためて手で表現することの可能性に惹かれる.視覚身体言語の研究,さまざまな身体性の方々との協働から感覚がもつメディアの可能性について模索している.近年は,LOUD AIRと共同で感覚を探るカードゲーム「Qua|ia」(2018)や,たばたはやと+magnetとして触手話をもとにした,つながるコミュニケーションゲーム「LINKAGE」,「たっちまっち」(2019)など,ことばと感覚の翻訳方法を探るゲームやプロジェクトを展開.アーティスト南雲麻衣とプログラマー児玉英之とともにSignedとして視覚身体言語を研究・表現する実験,美術館でワークショップなどを行なう.2016年手話通訳士資格取得.2017–18年ICC エマージェンシーズ!033「結んでひらいて/tacit creole」出品作家.

https://www.signed.site/


私はインタープリター(解釈者・媒介者)として,ひとりひとり違う意識のスピード,触覚におけるアフォーダンス,イメージでのお喋りとその残し方などのリサーチ・テーマをもって,共に創る過程を経て,さまざまな方とともに,記録や保存の方法,つくりながら理解したり,感覚をうつしあったりといった研究開発・コミュニケーション方法を探求しています.

幼い頃,手話という視覚身体言語と音声言語の間で,それらの言語を取り巻くメディア環境の違いにもどかしさと不思議さを感じていたことを思い出します.まだ通信速度は遅かったけれど,小さな画面での家族とのテレビ電話にときめいたこと,図書館に通い本を読む時にふと,ものがたりが記述・蓄積されうる言語に羨ましさを抱いたこと,海外から来る手話話者の友人達が織りなす彼ら自身の記憶の表現.大学に入り,インタラクション・デザインに出会った時,メディア技術と身体との関係と,その可能性の広がりに夢中になりました.

ICCが蓄積してきたHIVEには,技術を通して新たな表現方法や知覚を得ようとする飽くなき探求と実践が語られています.他者にどう近づいていくのか,その世界の受け取り方について,HIVEを通して先駆者たちのお話を伺っていきたいと思います.


まず,はじめに,高橋悠治氏*1 と茂木健一郎氏*2 による公開トーク「他者の痛みを感じられるか」.このトークの中で高橋は,じっくりと,茂木に対していくつもの問いかけをします.他人の歯の痛みは感じられるか.自分の痛みでもわかるのか,痛みがわかるとはどういうことなのか.高橋は問いかけ続け,名付けという所有をすることなしに,ある種の論理が出てこないか,と紡いでいきます.スタン・ブラッケージ註1 の実験映像群のように,“わかってしまわない”ようにしながら,受け取る方法とは何か.それ,を言葉にしてしまわぬように,受け取り,飛び込む方法は何か.

通訳をしていると,時々自分自身があまりに未熟であることに悩まされることがあります.講演会で出産の痛みについて語る方の言葉の重さ,さまざまな体験に対して,自分自身の身体として,その苦しみや痛みを伝える実感を持ちえていないということ.私の喉をつたって出る言葉のつるっとした軽さ,そして言葉で切り取ることの難しさ.名付けるという所有やラベリングとは異なる,対象への近づき方や飛び込み方への示唆と,技術や制作を通した実践の可能性を感じ,深く聞き入ってしまうトークです.

2017年よりICCにて約半年間行なわれていた情報環世界研究会では,自分の取捨選択した情報としか出会えないという構造がもたらす「情報の環世界化」に対し,私たちはどのように世界を受け取り,出会えるのかということについての毎月2回のトーク,ワークショップ,ディスカッションが行なわれていました.その4回目,塚田有那*3 さんの回での議題のきっかけとして見たのがこのトークです.約3年が経ち,この「情報の環世界化」はいつのまにかさらに強固になっているようにも感じられます.

言葉で名付けて,所有してしまうのではなく,実感とともに受け取る方法とは何か.高橋からの素朴な疑問は,いつの間にか疑問にも思わずにいたものたち・固まった感覚を,ぽろぽろと剥がしていきます.


リサーチとドキュメンテーションを経ながら,テーマに迫っていくオーラ・サッツ*4 のアーティスト・トーク.弾道計算に女性達が関わっていたという事実をもとに,コンピュータ,データ処理にどんな人々が関わっていたのかということを,捉えなおしていきます.この年のオープン・スペースで展示されたのは銃という非常に破壊的なもののために,軌道計算という緻密な計算・シミュレーションを積み重ねる計算者達がいた事実,それぞれの矛盾や対立を浮き彫りにしていく映像とインスタレーションでした.

サッツは,ある発明や技術がうまれた瞬間にはそれがどう使われるかはわからないという事実に対して,その発明の背景にいる人のエピソードと,その後技術が実際にどうなってきたのかということを追跡調査・研究し,その背景や発見を言葉で書きつくすのではなく,インスタレーションや映像,彫刻などの様々な手法を用いて,五感を通して体感できるものとして展開します.実感を通しながら,技術の変化,コミュニケーションや知覚に対する文化的な変化を描いていきます.

メディア環境や技術の進化・発展を希求しながらも,豊かさや創造性をどう担保することができるのか.さまざまな技術を創造的に活用し,平和利用や今までになかったエネルギーをうみだしていくためにも,そこにいた人々の想いやエピソードを丁寧に追いかけていくことを大切にしていきたいと思います.


「あー……たまたま2,3のラッキーな運命的なことに身を寄せたがために……アイデアを実行に移そうという大きなリュックサックのようなものを背負わされた人間は支離滅裂な方向に向かうか,それともこれを少しでも構築の方に向かうか,というのが,僕のような人間のプロファイルだな……」

冒頭,このように始まるインタヴューでは,荒川*5 が向き合った探求への想いと思想の体現について語られます.絵を描くという行為に対して,キャンバスというのはこの指一本すら入っていかない.そのフィクションをどうして強固に信じ続けているのだろうか.肉体の動きはあらゆるパーセプション,我々の視覚や知覚を変える.その出来事によって,新しい言語がうまれ,新しいサインがうまれるということについて.

さまざまな身体の方とともに探求する中で,言語の可能性が拓かれたり,その感覚から耕される文化を感じたりするたびに,私たちは進化をしているようでいて,実のところ,身体の様々な豊かさを外化,道具化して,ただただ受動するだけの装置になっているのではないかと思うことがあります. 記述し,残すことではなく,環境自体を建築という形で変化させてしまうという荒川の実践からは,異なることによる世界の広がり,うまれゆくものの可能性を感じることができます.そこに誰しもが身を投じた時に起こる共感や同一感覚について.言葉になる前の身体感覚にひきこむことで,実感をもたらし,それを愛する身体的技法としての建築.

まだひらかれていない扉が無数にあることを感じる,インタヴューです.


初めてICCに来た時,目をしぱしぱさせながら,《ジャグラー》に見入ってしまっていたのを思い出します.たった6秒の間に,ジャグラーが投げた電話は,哺乳瓶,サイコロ,骨,そして再び受話器になって,ふわりと落ちてくる.そんなファンタジックで,実際にはありえない現象が,目の前で起こってしまっているということに,そしてその作品自体の大きさと威力に,行く度に惹かれます. 講演の中で,バーサミアン*6 はひとつの素材を探求するのではなく,素材の質感自体を探求しつつ作っていると語ります.あっという間に形を作るガラスのドロッとしたところに触りたいという思いから作られた初期作品をはじめとして,鉄の下着にガラスをぷくっと膨らませて作った《Fat Girl in Bondage》.ある時から,時間というテーマを扱うようになったという彼の作品は,時にアイロニックに,そしてユーモアたっぷりに,時間と空間の可能性を,実存の世界での重さをもって広げているように感じられます.

彼の作品をみていると,遠い昔,父が目玉を投げるような身振りを交えながら、世界の話をしてくれたことや,友人による「涙が流れてそこらが海のようになってしまうよ」といった手話の世界の冗談を思い出します.手や顔からその質感とものの組み合わせることでイメージやファンタジアがうまれる視覚と触覚の世界.それが目の前に現われる嬉しさで,《ジャグラー》を見る度,子どものように喜んでしまいます.

みている時の私たちは一体どうなっているのか.そのヒントになるのが「解剖学者・養老孟司の見た彫刻アニメーション」.視覚的に得られた情報に対して,どんなふうに反応して捉えているのかが語られていきます.こちらもあわせてぜひ.


さてちょっと視点は変わりますが,技術に近づき制作していく中で,それぞれの言語のオープン・コミュニティや学びの環境がひらかれていることにとても救われてきました.インタラクション・デザインについて知った2012年以降,openFrameworksのコミュニティや主催者のOpen Hourでの国を超えた学びの場,昨年はSFPC in YCAM註2 でのワークを通して,コンピュテーションの考え方を,詩的な遊びと実践を通して,身体を動かしながら学ぶ魅力を感じました.ICCでの夏恒例のキッズ・プログラムでは,触覚や音,光の不思議,ひらめきや知覚について,遊びながら学ぶことができ,その充実さに感動します.

本トークのソーダ*8 もまた様々なオンライン・コミュニティ,共有の場です.生物学者と科学者の対話のために作られたヴィジュアル・モンタージュやコラージュの「GAS」註3 というシリーズ作品やロンドン・オリンピック(2012)の文化プログラムとしてつくられた子どもとアーティストのためのイメージ共有・編集プラットフォーム.目でみた景色を写真に残すことが,とても気軽にできるようになったとき,イメージの重なりからうまれるコミュニケーションの面白さを感じます.

重力などの物理法則に基づいたふるまいをする創造的な形態を作ることができるシミュレーション・ツールである「soda constructor」は,とてもシンプルにつないでいくだけでぞくぞくする動きが生まれていき,夢中になってしまいます.誰かが作ったモデルに継ぎ足してみたり,自分のモデルと競争させてみたり.100をも超えるモデル達を探す楽しさや,誰かのゲームを試してみる面白さをあらためてみると,何もない片田舎にいながら,インターネットの広い創造性が目の前に広がって,画面の向こうの世界にドキドキしたことを思い出します.少しずつ小さくなっているように感じていた世界はまだ随分と未開拓で,耕すことができる.HIVEでの歴史を追いかけながら,幼い頃のときめきが蘇ってきました.


[註1]^ スタン・ブラッケージ:Stan BRAKHAGE / James Stanley BRAKHAGE(1933-2003).アメリカの映画監督.1960年代より実験映画を多く手がける.

[註2]^ SFPC Summer 2019 in Yamaguchi:開催期間:2019年9月4日—11日,会場:山口情報芸術センター[YCAM].SFPCはSchool for Poetic Computationの略. https://www.ycam.jp/events/2019/sfpc/

[註3]^ GAS:Generative Art System(2001).ファイザー製薬のアーティスト・イン・レジデンスで制作されたシリーズ作品.参考:https://www.youtube.com/watch?v=NjL2k_bceGU

プロフィール・ページへのリンク
*1 ^ 高橋悠治
https://www.ntticc.or.jp/ja/archive/participants/takahashi-yuji/
*2 ^ 茂木健一郎
https://www.ntticc.or.jp/ja/archive/participants/mogi-kenichiro/
*3 ^ 塚田有那
https://www.ntticc.or.jp/ja/archive/participants/tsukada-arina/
*4 ^ オーラ・サッツ
https://www.ntticc.or.jp/ja/archive/participants/aura-satz/
*5 ^ 荒川修作
https://www.ntticc.or.jp/ja/archive/participants/arakawa-shusaku/
*6 ^ グレゴリー・バーサミアン
https://www.ntticc.or.jp/ja/archive/participants/gregory-barsamian/
*7 ^ フィディアン・ワーマン
https://www.ntticc.or.jp/ja/archive/participants/fiddian-warman/
*8 ^ ソーダ
https://www.ntticc.or.jp/ja/archive/participants/soda/

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