ICC
学生

渡邊恵太
つながるほどに、自己の境界はなくなり、なにかの「一部」であることに気づく世界。「つながる」「つ ながらない」が重要ではなく、「つながり方」の重要性に気づく世界。新しい『配慮』の世界が始まる。 なぜなら、人類がしてきたことはいかに『つながりすぎないか』を考えてきたからです。人は個人の境界を創り出すために「動き続けて」います。『動く物』と 書いて『動物』というように、動くことで個人を確立しています。動くことで、あらゆる人とつながり、物ともつながるのです。また、家を建て壁をつくるの は、雨や風を防ぐためだけではありません。ゆるやかに「個」を確立するための方法でもあるだと思います。ますますインタフェースが今後の課題となるでしょ う。
投稿日時:Wed,18 Oct 2006 03:14:02

児玉哲彦
気になる展示作品: 《ambient.lounge》
「場所」というものはかつてはフィジカルに「いま」「このあたり」という点の指定と対応付いていた。 それは人類学者のホールがいうように、人間の感覚器の到達範囲で規定されていた。ところが、ITによって離れた時間と場所との間がつながるようになると、 僕達の感覚は変容する。電車の中のケータイが、ウォークマンの音漏れが、なぜ規範を逸脱していると感じさせるかの答えがそこにある。 それはマクルーハンが能天気に予想したように一つの村に縮小する地球じゃなく、あそこはこことつながっている、ここはあそことつながっていない、という ワームホールによってねじくれたフラグメントな世界を僕達にもたらす。 今や建築や都市計画の主要な課題は、ボリュームやカタチの比例関係じゃなく、このゴルディオスの結び目をどう解きほぐすかなんだよ。
投稿日時:Wed,18 Oct 2006 12:20:22

清水友理
気になる展示作品: 《Evolving Sonic Environment》
茶道では、ふすまを開ける際、三段階を経ることを作法とする。①手掛りを摑み手が入る分を開ける②枠 を摑み半分まで開け自身を見せる③手を代え全て開く つまり、歴史的に物理的な他者との距離は漸次的移行にある。30年前にルフェーブルに”空間の生産” と云わしめた無作法が今尚ある。都市を俯瞰すれば可視的に見える風景と、眼に見えない事情で建つ風景とのズレが引き起こす、微かな不安、居心地の悪さ、若 しくは場所に対する無作法への苛立ち。これらの都市・建築・場所への問題に、プロブレマティックな意識を持つのなら、我々が扱う素材は、木、コンクリー ト、ガラス、鉄だけではないだろう。詰める先は、表層の見たことのなさに表現の域を求めるのではなく、先に挙げた歴史の軸線上にある、人間−環境系に根ざ した、場所の、空間の構築だ。今までの素材ではできなかった、デリケートな質感を持った肌理があるはずだ。そこにITという素材の可能性を求めたい。それ を伝達する物理的な“site”としての場。そこに場所の、空間の力があると信じているし、究極的にはそのコネクティングによって生かされていると想う。
投稿日時:Thu,19 Oct 2006 17:41:33

増田圭吾
気になる展示作品: 《事の次第》
子供の頃はテレビ電話なんて必要ないよと思っていたけど、今ではパソコンの前で毎日映像チャットをし ていて、日記なんて夏休みの宿題以外に書いた事もないのに自らブログを作って公開したり、手紙なんて年賀状しか出さないのにメールは毎日何度もしたり、新 しいツールはとても便利で魅力的でよく使うし嫌いじゃないけど、その時たまに思うのは、伝えたり、繋がったりすることの本質は昔とあまり変わらないんじゃ ないかということで、方法の選択肢は限りなく広がり続けているけど、結局はいつでも繋がりたい人とそうでない人、伝えたい事とそうじゃない事、欲しい情報 といらない情報といった取捨選択をしていて、それぞれの場面でそれぞれの尺度によって繋げられたり途切れたりしながら、世界は限りなく無限に近い有限の組 み合わせによって成り立っている気がして、そんな世界はちょっと複雑でときどき嫌になるけどそれでもなんだか楽しい気もします。
投稿日時:Mon,23 Oct 2006 03:36:48

小木戸 渉
 実は世界は綿密かつ思わぬ形でつながりあっているのでしょうか。仏教の「縁起」の話とか、気象学の 「北京で蝶が舞うとニューヨークでハリケーンが起こる」というモデルの話とか、そういうのはイメージするだけでちょっと楽しいです。身近な例で言えば、僕 がヘルシンキのスーパーで買い物中に、東京から携帯に電話で「体に気を付けてね」なんて言われると、8000kmの距離を超えてスーパーの野菜の在庫が ちょっと余分に減るわけです。僕の携帯の電源を付けると表示される「コネクティング・ピープル」という出会い系サイトみたいなキャッチコピーは、こういう ことなのかなと思ったりします。「友達を6人たどれば世界中のだれとでもつながる」という話があるけれど、「コネクティング・ピープル」なテクノロジーは それを5人にしていくのでしょうか? 出会い系サイトで「コネクティング・ボディ」したい気持ちが新しいコミュニケーションを生むように、テクノロジーによる「コネクティング・ピープル」な状 況が、スーパーの野菜以上の何かの現実を変えていく... そんな「コネクティング・ワールド」がもう始まっているのだと思います。
投稿日時:Sat,28 Oct 2006 07:04:26

佐藤宗彦
気になる展示作品: 《Evolving Sonic Environment》
たとえば、ゼリーで満たされたプールを漂っているような、そんな感覚。他者とのコミュニケーション は、それが言葉でも身振りでもどんなかたちであれ、ゼリーを通して私に入ってきます。自分が意図するそのままでは伝わらなく、相手の思いもそうです。世界 全てが、ゼリーのプールで繋がって、影響を与え合っています。私は、そんなゼリーのプールでコミュニケーションを図り、もがいてもがいて、自分の身体性と 不自由さを再確認します。
投稿日時:Mon,06 Nov 2006 03:19:20