ICC
30代

エキソニモ・センボー
親がくれた最初で最大のプレゼント
投稿日時:Wed,27 Sep 2006 10:20:00

エキソニモ・ヤエ
矛盾の連続!!!
投稿日時:Sun,08 Oct 2006 16:34:18

芝尾幸一郎
カテゴリ: 作法 プロトコル
気になる展示作品: 《GWEI−Google Will Eat Itself》
コネクトするためには、物理的に接続するのみならず、プロトコルを合わせなければならない。効率を追 求するならば、全てのものは、一つのプロトコルへと収斂していってしまうだろう。たとえば全てのサービスが、HTTPの上の乗るように。あるいは、全ての 言語が英語へと置換されていくように。 接続された世界は、そのようにプロトコルによる収斂が至るところで行われる世界になるだろう。そして、その一つになったプロトコルを土台にして、また新し い生態系が花開くことになる。
投稿日時:Sun,08 Oct 2006 16:40:29

A.K.I.(倫理B-BOY RECORDS/A.K.I.PRODUCTIONS)
気になる展示作品: 《OBJECT B》
柄谷行人・著『世界共和国へ……資本=ネーション=国家を超えて』(岩波新書)のようになればいいなぁ。後、新垣里沙(MC GAKI/ガキさん)のいる世界で良かった!
投稿日時:Sun,08 Oct 2006 20:25:43

中嶋 謙互
気になる展示作品: 《un_wiki》
長期的にはSingularityに向かっていく動き。 短期的には人間同士のコミュニケーションを阻害する空間と時間の制約を超えるために役立つ技術の集合体。 どちらにせよ、人間が全体としてもっと賢くなるための切り札。
投稿日時:Sun,08 Oct 2006 21:42:21

beermike
気になる展示作品: 《OBJECT B》
永遠を覗けるつかの間の幻、そして愛
投稿日時:Mon,09 Oct 2006 19:06:59

多田かよ
気になる展示作品: 《ヴェクサシオン−c.i.p.》
へー。俵谷君とってもロマンテックですね素敵。でも出会いと繋がりって無意識のようでも実は細胞レベ ルで欲しているというかやっぱりどこかで意識していないと生け捕りできない気がします。無意識下で本当に繋がっているとかシンクロニシティとか、たとえば 俵谷君のエピソードで言うならばその女の子のバスで隣に座っていた顔も覚えていないようなおじいさんがその後行く先々で何回か出会い、ついには下北沢にま で…あのおじいちゃんは俺にとって何?ってロマン的アイロニーってのかな?みたいなのに引っぱられたいような。つかそれじゃデビットりんちみたいか
投稿日時:Thu,12 Oct 2006 13:57:17

生西康典
気になる展示作品: 《OBJECT B》
....とは....何てさぁ断定出来ないって!! 何か格言みたいで嫌な感じ。偉人=故人じゃないんだから。 .......自分にとっては自分の主観でしか認識出来ないのがもどかしい。 → だから別の角度から眺めてみたい。 他人は自分にとっての貴重で、いい加減な、良いあんばいの鏡でもある。 → あ〜そんな見方もあるの?楽しい〜....とか.... だから関係していくのが必要なんですかねぇ... ど〜なの?答えてみて。 次の方。
投稿日時:Fri,13 Oct 2006 11:36:32

山出淳也
既に世界はつながっていると言うのに、個々はそんな簡単でもないことは今後も変わっていかないだろう。 多分、それは意識と行動のバランスの問題であって、可視化させようとしなくても、それをそうと感じるか否か。 今、僕が仕事をしている温泉地には、たくさんの混浴温泉があって、そこには性別も格差も人種も宗教も文化も異なる人々が、裸で武器も持たず大地から湧き出たお湯のなかで共存している。 会話を交わさなくても、無理につながろうとしなくても、既に何らかの影響を与えている。 少なくとも僕は、これ以上に平和的な風景って見たことがない。
投稿日時:Mon,16 Oct 2006 00:57:38

加藤 賢策
まず、コネクトする可能性だけが充満しているが、互いにバラバラな世界、みたいなものを想像してしまいました。 それにしてもコネクトって言葉は何だか足し算的なイメージがありますね。わたしと何か。でも「わたし」はどこまでバラバラになれるのかな。わたしや感覚や状況をバラしてみたときに、未知のものとつながれる可能性も出てくるかも知れませんね。 あと、何かと接触することでバラされるってこともあるか。なんかぼんやりした話です。 ところで『笑っていいとも!』からはいつまでたっても電話がかかってきませんよ!
投稿日時:Wed,18 Oct 2006 12:45:34

石原次郎
 「トランスファー・ドローイング」、久しぶりに拝見し、学生の時分に先生が観せて下さったことを思 い出しました。  さてお尋ねの件、「深夜特急」(沢木耕太郎著)世代のワタクシといたしましては、やはり陸路でパリまで行ったことを思い出します。それこそ文字どおりに 野を越え山を越え、ひたすら西に向かったのでありますが、そんな移動の過程で手に入れたものは、共通のものを探し出す視点でしょうか。つまり、飛行機に代 表されるような、非常にニュートラルな空間を経て異文化の都市に降り立つと、普段過ごす都市との違いばかりが気になりますが、線的に移動をすると、隣り合 う街々が連なって見え、ひいては東京にパリを発見し、パリに東京を発見できるのです。  というわけで、かつてクルマで世界を踏破された「何でも見てやろう」(小田実著)世代?の高橋学長、ひとつ、よろしくお願いいたします!
投稿日時:Fri,27 Oct 2006 19:28:39