芝尾幸一郎
コネクトするためには、物理的に接続するのみならず、プロトコルを合わせなければならない。効率を追
求するならば、全てのものは、一つのプロトコルへと収斂していってしまうだろう。たとえば全てのサービスが、HTTPの上の乗るように。あるいは、全ての
言語が英語へと置換されていくように。
接続された世界は、そのようにプロトコルによる収斂が至るところで行われる世界になるだろう。そして、その一つになったプロトコルを土台にして、また新し
い生態系が花開くことになる。
投稿日時:Sun,08 Oct 2006 16:40:29
清水友理
茶道では、ふすまを開ける際、三段階を経ることを作法とする。①手掛りを摑み手が入る分を開ける②枠
を摑み半分まで開け自身を見せる③手を代え全て開く つまり、歴史的に物理的な他者との距離は漸次的移行にある。30年前にルフェーブルに”空間の生産”
と云わしめた無作法が今尚ある。都市を俯瞰すれば可視的に見える風景と、眼に見えない事情で建つ風景とのズレが引き起こす、微かな不安、居心地の悪さ、若
しくは場所に対する無作法への苛立ち。これらの都市・建築・場所への問題に、プロブレマティックな意識を持つのなら、我々が扱う素材は、木、コンクリー
ト、ガラス、鉄だけではないだろう。詰める先は、表層の見たことのなさに表現の域を求めるのではなく、先に挙げた歴史の軸線上にある、人間−環境系に根ざ
した、場所の、空間の構築だ。今までの素材ではできなかった、デリケートな質感を持った肌理があるはずだ。そこにITという素材の可能性を求めたい。それ
を伝達する物理的な“site”としての場。そこに場所の、空間の力があると信じているし、究極的にはそのコネクティングによって生かされていると想う。
投稿日時:Thu,19 Oct 2006 17:41:33