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1996年2月 [終了しました.]
NTT/ICC推進室
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インタラクティビティについて |
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歌田:ICCネットの「デジタルアートは誰のもの?」っていう部屋で議論をしていることでもあるんですが,そうやってインタラクティブになってくると,やっぱり自分の作品がどこまで自分のものなのかということがだんだんあやふやになってくるでしょうね.
岩井:あやふやになるっていうのは,イコールいままでのアートの形式にとらわれてるってことだと思うんですよ.僕はもう,自分でつくるものはシステムだけであって,あとのその中味は観客がつくるということで十分作品として成り立つと思っているし,逆にそのぐらいの変化がないと新しいメッセージに成り得ないと思うんですね.いまではもう全然そういう疑問は湧いてこないですね.
歌田:いじられて不愉快ということはないですか.
岩井:というか,逆に僕はそれを不愉快だと思うようなシステムはつくらない.中途半端なインタラクティビティを作品が持ってしまうとそういうことが起こり得るんだと思うんですよ.僕の作品に出会って作品を作り出せるということが,その人のなかに大きなメッセージをもたらす最高の方法だと思うんです.
絵を描いて人に見せるっていうのは,何かの感動を伝えたいわけですよね.観客は目から入ってくる「絵」というメッセージを,これはこうなってとか,これはこういう意味があるとかってどんどん読んでいって,ああなるほどと感動する,そういう形式です.それはそれでいいし,それもひとつのインタラクティビティだと思う.
でも,たとえば僕の作品で,絵を描くことで音楽が作れるというのがあるんですが,いままで音楽なんてつくったことのない人がそれで曲をつくれるようになるわけです.それも伝統的な技法にのっとってつくるわけじゃなくて,僕が考え出した,新しい音楽に対するアプローチの仕方で曲がつくれるわけです.それによってその人のなかで眠っている才能を目覚めさせるとか,そういうところにすごく快感を覚えるんですよ.
僕自身,ヤマハのMSXを手にすることによって,それまで一切音楽なんてつくれなかったのが,プロフェッショナルとは言えないけれども自分の作品に付けて,これは僕がつくったものですと言えるようになった.それはすごく大きな変化だった.僕がもしコンピュータに出会わなかったら,一生音楽なんてつくらなかったかもしれない.でも,いまではこうしてつくることができる.アニメーションもつくれるし絵も描けるし,いろんなことがコンピュータによって可能になった.
実際,いま,コンピュータを手にしてそれまで絵なんて描いたことのない人が描くようになったとか,コンピュータって,何かをやってみようという気にさせる部分がありますよね.それがある弊害をもたらしていることもあるかもしれないけれど,いままである技術を習得しないとつくれなかったものが,コンピュータというひとつの機械によって,その技術習得のプロセスをスキップして何かものをつくり出せるっていう,すごくいい面もある.楽譜にただ音符を置いて作曲するんではない音楽のつくり方,アニメーションでも,ひとコマひとコマ絵を描いていくんじゃないアニメーションのつくり方とか,コンピュータを使ういろいろな可能性ってあると思うんですね.それをひとつの作品としてまとめるっていうことにすごく興味を持ってるんですよ.映画をつくって人に見せるということでも昔はよかったんですけど,いまではあるシステムの上に人をとにかくハマらせること,その人が夢中になってこれはおもしろいってやってくれることが,ひとつの作品を発表する際の喜びになってると思うんですね.
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