ICC





はじめに
入場料
岩井俊雄氏インタビュー




1. コンピュータとの出会い 1
2. コンピュータとの出会い 2
3. アニメ少年からコンピュータ少年へ
4. パソコンの発見
5. パソコン遍歴
6. インタラクティビティについて
7. コンピュータゲームと現代美術
8. コンピュータの刺激
9. 制作行為の追体験
10. AMIGAとの出会い
11. テレビの制作現場で
12. 『アインシュタイン』のCG
13. 『ウゴウゴルーガ』
14. AMIGAの魅力
15. 現実とCGが融合した世界
16. プログラミングの必要性
17. トータル・アート
西田雅昭氏インタビュー
参加作家
イヴェント




ニュースクール'95パソコン倶楽部
公開講座
2月2日(金)
2月4日(日)
 
1996年2月 [終了しました.] NTT/ICC推進室





パソコン遍歴


森脇:岩井さんは自分のパソコンを持たないことで有名だった(笑).

岩井:そう.僕は,コンピュータは借りるもんだと(笑).大学に沖電気のif800があって,それから友人が持っていたシャープのX1,両方とも他人のもので,でも人のもののわりにかなり使い込んでた(笑).コンピュータって日進月歩でどんどん進んでいくし,そのころは高かったので,何十万かけて買っても1年後に古くなるんじゃばかばかしい.その後もある仕事で富士通のFM-77AVという機械を使うことになったけど,自分で買ったものじゃなかったですね.
 初めて買ったパソコンというのがヤマハのMSXだった.いまはもうMSXって売ってないですけど,僕が大学院に入ったころMSXという規格がちょうど始まった.アスキーが提唱して,ヤマハもそのなかのひとつで,東芝,日立,ビクター,パイオニア,キヤノン,ソニー,松下ほか日本の名だたる電器メーカーがみんな,MSXの規格のもとに個性的なマシンを出しはじめた.パソコンっていってもそれまで個人が買えるような値段じゃなかったんだけど,初めて10万円ぐらいで,遊べるクラスのパソコンが出た.MSXという規格のもとに,パイオニアだったらレーザーディスクをコントロールできるとか,ヤマハだったら音楽に強いとか,各社独自の色を出してきた.ヤマハはFM音源をMSXのなかに組み込んで,誰でも簡単にコンピュータ・ミュージックができるシステムを出した.それで,僕らの世代でコンピュータを使って音楽をやるという人が急激に増えたんですよ.僕もその一人でした.
 8ミリフィルムで作品をつくりはじめた最初は,それにつける音楽は既にできた曲を使っていた.だけど著作権の問題があるんでそれはまずい.今度は音楽のできる友達に頼んだんだけど,映像は自分でつくったのに,人の曲をつけなきゃならないのはくやしいと思っていた.それでやっぱり音楽も自分でやってみたいなと思ってMSXを買ったんです.そのMSXではプログラミングは一切しなくて,音楽ソフトだけを使ってました.僕が最初につくった曲っていうのが『時間層II』という作品のBGMで,いまは目黒区美術館に入ってますけれど,インスタレーションのための曲です.
 あとけっこう遊んでたのは,さっきちょっと話した富士通のFM-77AV.これは4096色が初めて表示できるパソコンとして世のなかに出て,BASICプログラムでビデオ信号をディジタイズしたり,ディジタイズした画像を画面上のどこか別な場所にコピーしたりとかが簡単にできた.
 それで初めてつくったのが『DIGITAL PORTRAIT』っていう作品.原美術館のハラアニュアルに発表した作品で,モニタが4台あってそれぞれFM-77AVにつながってるんですけど,その4台にヴィデオカメラがつながっている.観客が自分の顔を写しながらボタンを押すと,その瞬間の顔がフリーズされて,それがプログラムによってだんだん変形していくというものです.
 僕の作品は,この『DIGITAL PORTRAIT』以前と以降で大きな変化があったと思ってます.前はコンピュータを使うといっても,コンピュータの出力をアニメーションにしたりとか,音楽をつくってそれを録音して作品に使ったりしてた.でも,その『DIGITAL PORTRAIT』からは,パソコンそのものをインスタレーションに組み込んでるんです.僕にとってすごく重要な変化でした.結局,パソコンの出力したものを素材として使うのは,絵を額に入れて飾るのと同じですよね.

森脇:ただたんに見せるため.

岩井:そう.鉛筆や絵の具と同じように,道具とかマテリアルとしてコンピュータを使ってるだけで,作品にそんなに劇的な変化は及ぼさない.パソコン自体を作品に組み込むというのは,やはり作品にある機能を持たせようということだった.そのころそんなことは言わなかったけれども,いまでいうインタラクティブ性をその作品が持つということですね.それが僕にとってすごく大きいことで,それ以降は僕の作品でコンピュータを組み込んでない作品はほとんどなくなっちゃったという感じですね.それが1986年ですから,それ以降10年ぐらいやってることになります.