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かつての秋葉原,かつてのパソコン |

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森脇:いまウインドウズ95だとかを騒いでいる大量販売店が進出して,秋葉原の景色がずいぶん変わりましたね.ジャンク屋の外で基盤見たりして,自分たちで作ってやるぞという気持ちが,いま,伝わってこない気がするんですよ.
西田:残念ですか(笑).
森脇:昔,西田さんが通われたころの秋葉原のパソコン少年とはどういう人たちだったのか,どんなことをやってたのかを今日は,ぜひうかがいたいと思ってきました.
西田:わたしの少年時代は,ラジオを作るのが中心でした.その後,無線やオーディオの時代になりました.パソコンなど影も形もありません.その後,カムで動いていた機械を,電気制御で動かすことが始まりました.TTLなどのデジタル時代です.
森脇:カムって,あのカタカタ動く機械的な制御の?
西田:機械的に動かしていたのを,部分部分にモーターをつけて電気的に制御する.そのころは大変な話でした.その後,マイコンというものが現れ,ワンボードの8ビットのCPUが出現したのです.
森脇:マイコンキットみたいなもの.
西田:日本で言いますと,PC-8800というのが出るころまでは,パソコンは実際にハードを知らないと動かないという時代でした.私はタンディのTRS-80というのを持っていたんですが,これは,コネクタのところにハンダを当てないとならなかった.だいたい3ヶ月に1回はハンダごてを持たないと動かないコンピュータというのもあった(笑).当時のパソコンというのは,ものすごく高かったですけども,高いパソコンでさえも,なかがわかっていじれる.そういう時代だった.そういう時代の熱気といまの時代のパソコンというのはずいぶんちがう.——正直言いますと,私は,この4,5年,殺されるから秋葉原に夜行くなと言われています(笑).「パソコンおたく」というのは企業の邪魔になる,と言ったことになっているので.
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