ICC
ICC メタバース・プロジェクト
田中浩也×柄沢祐輔「メタバースにおける空間,環境,身体性」
メタバースには,床も屋根もない

──ここまでの話の流れを一度整理しますと,「空間としての斬新さ」を仮想空間,メタバースに実装するとしたら,どうしてもそれが身体感覚にまで還元されないと意味がないということですか? 柄沢さんも基本的には,そういうスタンスですよね.

田中:社会モデルとして考える人,認知限界の探求をする人……色々な立場の人がいますよね.かりにメディア・アーティストだったら(仮想空間で)「知覚の冒険」ができれば,それでもいい.だけど建築にベースを置くと「社会実験」+「知覚の冒険」という2つの要素だけでは満足できない「何か」がある.それが「身体感覚」なのだろう,と思っているわけです.
 先ほどのイサム・ノグチの話で僕が言いたかったことを補足すると,それは「床が大事だ」ということ.床という部位にいつもグラウンディングしているから,人間の身体感覚は成り立っているんでしょう.メタバースにどれだけ重力の物理シミュレーションが実装されていても,人間の物理的な身体が最後にグラウンディングするための「床」が存在しない限りは,本当の意味での身体感覚にはあまり働きかけないのではないか.

柄沢:でも,重力モデルをシミュレーションすれば,かなりリアルな身体感覚が生じると思いますよ.

田中:それは認知を通して,でしょ? だけど僕の身体はそれでは満足しない.

柄沢:でも一方では,近年の複雑系シミュレーションとか人工生命の技術を徹底的に動員して,いまの解像度が上がった世界をもっとリアルかつ豊かにする方法は絶対にあると思います.そこでもっと流動的な世界を作ると……たとえば気象条件や光とか,川とか海とか,そこだけである種自律した自然環境として認知されるようなものになると面白い気がする.常に植物が異様な速度で生えていてもいいし……そういうモデルをかりそめにも導入すると,生きた世界のように見えてくる.それはいままでの三次元空間のモデルよりは先に進んでいて(かりにインターフェイスの乖離があったとしても)もっとリアルな没入感を与える空間になると思います.

田中:でも,シミュレーションは極端に言うともう何でも……物理でも人工生命でも,できるんですよ.だけど,現実世界の有限性にどこで根付かせるか,いわば「グラウンディング」というテーマがすごく大事な問題なのだ,というのが僕の立場です.ちなみに『10+1』42号[※11]の「グラウンディング」特集は,僕も監修を手伝いました.そういう身体感覚のレヴェルに落としていかないと(仮想空間的な試みが生まれては消えていった)10年前と根本的に変わらない感じがする.

柄沢:地面ねぇ……変な話,それが僕にとっての屋根,なんですよね.

田中:柄沢さんは屋根の設計をやりたい人で,僕は床の設計をやりたい,と(笑).

柄沢:アリストテレスなら,それらを統合するんでしょうけれど(笑).

──柄沢さんが「屋根」にこだわるところを,もう少しご説明ください.

柄沢:単純に身体性を捉えるときに,地面の起伏をグラウンディングのような形でセンシティヴに感じている田中さんに対して,僕は屋根の身体性に敏感になっているということでしょう.たとえば,屋根の天井高は空間の質を大きく左右していて,天井高がちょっと違うだけで気持ちのいい空間にもなるし悪い空間にもなる.そこでどうやって違和感を与えるかで,空間デザインが成立してしまう.

田中:そういう意味での「屋根」ですか? 上から掛けるということではなくて,空間のヴォリュームのこと?

柄沢:ヴォリュームを規定している最大のファクターが屋根だと,僕は捉えています.たとえば日本の建築には壁がないけれど,屋根というのは確実にある.利休などの空間でも,屋根のプロポーションはとてもいいですよね.そういう形での身体性に訴えかける要因としては,こと日本建築においては,あきらかに「地面」よりも「屋根」ですよ.

田中:だけどメタバースには,床も屋根もないんだよね.

柄沢:そういうデザイン言語が,まだ見つかっていないのかもしれませんね.

田中:このまま時間が経てば,そのうちメタバース上の空間のデザイン言語が出てくるのではないか,と言っている人たちもいるけれど,僕はそれに対しては悲観的で,たぶんできないだろうと思う.その理由は(先に述べたように)「あまりにも制約条件がなさすぎる」からです.
 デザイン言語ができるには,やはり最初に潜在的な制約の束があって,それらをどう解いていくかの過程で技や創造性が出てきて,それが体系化されることで初めてデザイン言語になっていく……そういう過程を必ず辿ります.だから,いまのメタバースでデザイン言語を考えろと言われても,あまりうまくいかない.それって,弱点だよね.制約が認知限界しかないと言われると,逆に難しいもの.あるとすれば……現実の空間とメタバースをワンセットでデザインする職能というか,そういうプロジェクトを立ち上げて,そのデザイン言語を考えるというのだったら,まだ未来がありえるような気はする.

──たとえば,先ほどから話題に上っている荒川修作の作品などは,ある意味「制約としての建築」と言えなくもないと思いますが,メタバースの中にそういうものを作るというアイディアは,いかがでしょうか?

田中:しかし,荒川修作は「もともと世界にある制約」を明らかにしているだけで「制約そのもの」を建築的に作っているわけではない気がする.

──では,メタバースならではの「制約」を探していく,とか?

田中:たとえば15年前は,インターネットの回線速度も今よりも格段に遅くて,言わばそれが制約だった.一度にロードできるデータ量には限りがあって,それを前提にデザイン言語を考えようとしていた時代があった.制約をデザインするのではなくて,どうしようもない物理的な制約に満ちていた頃は,まだ創造性を開拓する余地があったけれど,いまは逆に,意図的に制約を考えようとしているわけですよね…….

──以前,坂本龍一のオペラ《LIFE》では,インターネットを介した中継によって起こるディレイを利用していたと思います.いままでのテクノロジーの世界でも,マイナス面をどうやってプラスに変えていくか,というトライアルはあったと思います.そういうものが現状のメタバースにはないということですか?

柄沢:だからそういう「困難さ」を,あえて設定したほうがいいですよね.

[※11]『10+1』42号:2006年3月25日発行/No.42 特集=グラウンディング ──地図を描く身体[編集協力]石川初+田中浩也