ICC
ICC メタバース・プロジェクト
田中浩也×柄沢祐輔「メタバースにおける空間,環境,身体性」
「現実世界にとっての未来」としての仮想空間

田中:少し視点を変えて話を展開しますと,「パーソナル・ファブリケーション」というのが僕のいまの関心で,それは,コンピュータ上のビットで作ったデータを,もう一回物理的に生産するマニファクチャリング・システムです.
 たとえば,三次元モデルをデータとして近所の木材屋さんに送れば,木材をCNC(Computer[ized] Numerical[ly] Control[led]=コンピュータ数値制御)でその形に切って持ってきてくれるという流れがすでにできている.なぜそれが面白いかというと,「仮想空間のほうが,現実世界にとっての“少しだけ未来(時間的に先)”だといいな」と思っているからです.
 たとえば,いままでのデジタル・アーカイヴとかって,ひたすら現実世界を溜め続けていて,「歴史」的なんですよね.デジタルのほうが歴史(過去)で,現実世界のほうが時間的には前を進んでいた.コンピュータはひたすら過去のログを溜め続けるだけだったのが,実はコンピュータの中のデータが少し先の未来で,それが現実世界に実体化されてくるように,時間の流れを逆転させることが面白いと思っているわけです.
 逆に言うと,コンピュータにおける「アーカイヴィングへの欲望」をそろそろ終焉させてもよいのではないか,と.いまはコンピュータって,まだ「シミュレーションをするマシン」という部分で止まっていますよね.だから未来予測的なシミュレーションをコンピュータにやらせた結果を,また現実世界に戻してくる「リアライゼーション」の回路を作らないと,実世界とメタバースの関係はうまく回っていかない気がする.ここ数年ぐらいで,どれだけシミュレーション=可能世界を見せてもらっても,それだけでは僕はもう興奮しなくなってしまった(笑).

柄沢:先取りして,まず仮想空間に存在して,時差をおいて現実空間に現われるようなモデルができたら,面白いですね.

田中:これは建築にも関わる話でもあって,「設計」というものをどう考えるかに繋がってきます.建築とは,基本的には未来を設計する役割です.だけど,それは「できっこない問い」でもあるので……根源的な矛盾を孕んでいる.だから,可能体としての未来がいつもコンピュータ上で計算されて動いていて,その中の実現可能なものを逐次選択してリアライズされるシステムを,僕は作ろうとしているわけです.

柄沢:逆にリアライズされなくても,現実世界のあるファクターが,仮想世界に別の形で投影され展開されていること自体に,僕は可能性があると思う.

田中:そこも意見が分かれるところですね.柄沢さんのように「現実世界とは別のところに位置しているからむしろ価値がある」と考える人と,僕のように「最終的には現実世界に落とし込まれるから価値がある」と考える人の2種類がいる.(笑)

柄沢:一方で,たとえば映画やアニメというのは,現実のミメーシスだけれども,ちょっと違う.その部分で三次元を体験できることには,けっこう意味があるのではないでしょうか.

田中:メディア論の文脈で言えば,それは正論だと思います.でも(先ほども言ったように)いまの現実世界のアクチュアルな問題を見た場合,そんな悠長なことを言っていられないのでは? たとえば,パーソナル・ファブリケーションのシステムが本当にメタバース上で動き出して,それこそ江戸時代みたいに,家の構造を少しずつ作り替えながら足していくような文明社会が作れたら,いまよりももう少しだけ「持続的な社会」になるかもしれない.

──柄沢さんもそんな生成変化していく都市のお話をされていましたよね.

田中:だから「メタボリズム」[※06]がめざしたような都市観を実現するためのプラットフォームとしてならば,メタバースが活用できるのではないか……というのが,僕が考えられる唯一の可能性かなぁ?

柄沢:ネットワーク空間内の話ではありませんが,僕がここ10年ぐらいの間で仮想空間に関連する出来事で一番刺激を受けたのは,MVRDV[※07]の「メタシティ/データタウン」のインスタレーションを三次元CAVEのインスタレーション空間で体験したことです.仮想の2億4100万人の都市の中で人間がどのように生活するかについてのすべての統計データがサンプリングされていて,それに合わせて空間がゾーニングされている.どれだけの商業エリアや農業エリア,水資源,ゴミ捨て場が必要かがすべて算出されたあとで,それらが仮想空間の中に立体形状としてバンバン立ち上がっています.
 「2億4100万人のサステイナブル・シティ」というコンセプトで,その条件のもとに現われた統計データがすべて三次元のヴォリュームとしてダイナミックに立ち上がっている.たとえばゴミ捨て場が富士山みたいな巨大なヴォリュームとして町の隅に屹立しているのですが,ゴミのテクスチュアがマッピングされて,そこをスキーヤーがすべっていたりする(笑).それもまた現実世界のミメーシスですが,投影の仕方をまったく変えて存在していて,しかもそこで人がスキーをしていた……というのは,僕にとってとてつもなくアクチュアルなものを感じさせました.

田中:いやあ……オランダ的ですねぇ(笑).その昔,磯崎新さんが言っていた「廃墟」の延長線上とも言えるし,MVRDVが最近作ったソフトも「住民参加で民主的に町を作る」というデシジョン・メイキングのツールだったりする.だけど,あれが日本でそのまま使えるかというと,僕は無理だと思うんですよ.それこそ濱野さんが書いているように「各国の文化の中で情報システムの適合性が測られて淘汰が起こる」という話とすごく関連していて,MVRDV的な方法論は,やはりヨーロッパ社会に適合したシステムだと思います.
 僕が考えるに,日本の文化はもうちょっと隣近所的というか……たとえばオークションなんかが,日本文化と合っている気がする.Yahoo!オークションでの取引とかって,隣近所同士で物理的にものを貸し借りしたり,頼んだり頼まれたり……みたいな相互扶助的なアーキテクチャに通じるものがあるし,ネット上でそれがもっと増幅されれば,より根づくのではないかと思います.その延長線上にパーソナル・ファブリケーション……皆が共同でお互いの家を建てたりする,江戸時代のようなソーシャル・ファブリケーションの文化文明が再び成立するようになるのも,ひとつの未来像かな,と思います.

──先ほどの「関係性が生まれたときに空間ができる」という話と今の話は,ちょっと繋がっていませんか? つまり,隣近所とどんどんリンク=繋がりができれば,そこに空間ができる.またちょっと離れた場所との関係が生まれれば,そこに道ができるかもしれない…….

田中:そういうことです.ただ,いわゆるDIY(Do It Yourself)がどこまで日本文化と適合しているかは議論の余地があると思います.基本的にあれはアメリカ西海岸発祥の文化ですから.僕は好きですけど…….

[※06]メタボリズム:黒川紀章を始めとする50年代末の日本の若手建築家・都市計画家グループが開始した建築運動.新陳代謝(メタボリズム)からグループの名を取り,社会の変化や人口の成長に合わせて有機的に成長する都市や建築を提案した. [※07]MVRDV:オランダはロッテルダムを拠点とする建築家集団.柄沢氏は文化庁派遣芸術家在外研修制度派遣員として,かつてこのMVRDVに在籍していた.