ICC
ICC メタバース・プロジェクト
田中浩也×柄沢祐輔「メタバースにおける空間,環境,身体性」
「想像界の芸術」の舞台としてのメタバース

田中:ちなみに僕は,この(手元のメタバース関係資料の)リストを最初に見たとき,「オリジナルな世界観の表現」というコピーにピッと来ました.「仮想空間サーバを自社構築」や「マーケティング・データの収集」だけだと凡庸だけど,「世界観を表現する」というニーズがあるのか……と思って,勝手に納得したわけです.やや強引な話の繋げ方かもしれませんが,たとえば建物を建てるときには,施主の人生観や生活観や世界観を建築家が読み取り,それを代理で表現するという側面がありますよね.そういう意味で「求められている世界観を代理でメタバースに表現する建築家」というのはありうるかもしれない.

柄沢:基本的に僕は,仮想空間というのはラカンの図式でいう「想像界」そのものだと思っています.だから「永遠の想像界を生きることができる切断がない世界」と捉えると,まだエスタブリッシュされていないアーティストの人たちの表現の場にもなりうる.たとえば彫刻家が実際に彫刻を作るお金がなくても,コンピュータで作った3Dモデルを展示できる.そういう想像界のモデルがメタバースにおいて展開するというケースが考えられる.話を変えると,それは日曜大工と同じことかもしれません.日曜大工という営みは想像界であって,その表現を象徴界に投げ込む必要はないわけですから.

田中:日曜大工はむしろ実用性でしょう.

柄沢:じゃあ言い方を変えて「日曜画家」的なアート……趣味の陶芸とか.ああいう「想像界の芸術」の舞台として,メタバースが意味を持ってくるのではないでしょうか.そういう行為を誘発する仕組みをたくさん埋め込んだ仮想空間を作ったら「今日は雨が降っているから,ここ(仮想空間)でものを作ろう」という人が出てくる.完璧に敷居を低くした状況で,想像界の振舞いを一般人に開放する…….

田中:それは,ブログで十分なのでは?

柄沢:ブログの造形版ですよ.もっと視覚的表現を取り入れた…….

田中:でも,その手の生活芸術をやっている人たちは,別に作品を他人に見られること自体,目的にはあまりしていないですよ.むしろ作っている過程が楽しいかどうかが大事.そういう「想像界の営み」を担保するのは,結局はインターフェイス……つまり「手の快楽」なのではないかなぁ.

柄沢:でも,想像界モデルというのは,ホビー的世界として捉えると非常に分かりやすくて,零戦みたいなプラモデルを作るマニアの人たちが自分の好きなモデルでメタバース的な空間に進出していく……とか(笑).

田中:写真でそういうことをやっている人はすでにいるけれど……陶芸? 「それで食べていける」レヴェルに達するには,もうちょっと上に行くというか…….

柄沢:そこまでめざすと「象徴界」のレヴェルだから,また認知限界につきあたる.どうやって興味を引くかとか,いろいろな問題点が出てくるから,普通の人は参入できないでしょう.

田中:僕は,普通の人はそこまでやらなくていいと思っている.象徴界の上のレヴェル……たとえばオークションとか,もう少し社会コミュニケーション生活的なレイヤーで回っているアーキテクチャがあって,そのレイヤーにこれがうまくフィットするか,じゃないのかな?

柄沢:たしかにね.基本的にはパサージュを作って,そこで交換が起こるモデルは,ある程度できるかもしれません.いまのミクシィなんかは,すでにそうなっていると言ってもいいでしょう.

田中:いまのミクシィはそうかもね.でも「生活芸術」なんて悠長なことを言っている時代じゃない気がするのだけれど.

柄沢:結局のところ,そういう「日曜大工的なマニュファクチュアリング」を可能にする装置をたくさん埋め込んだメタバースというのは,あきらかに時間を持て余している人たちには待望されますよね.とは言っても,技術が複雑化して全部埋め込まれて隠れてしまうと,それができなくなる状況もありうる.

田中:だから「オープンにすればいい」と.

柄沢:そうです.ただ,どこまでプログラムを書ける人がいまの日本にいるか,という問題もありますよね.

田中:どうなんでしょうね……社会学系の方々の問題設定だと,現実の社会問題と情報技術が引き裂かれて,だんだん遠くなってきているように僕には思えてしまう.その点,建築って,リアルな社会性と芸術性の両方をどこかでインテグレート(統合)させないといけない職能だから,メディア論だけで突っ切るのは危険な気がする.だから「何かに役立つ」という可能性はいつも考えていないといけないと思う.でも,今日見つかったひとつのトピックとして,地球環境問題とメタバースという組み合わせはあるかもしれませんね.

柄沢:そうですね.地球環境保護の活動をしている人たちに資する世界を呈示することはできるかもしれませんね.たとえばメタバース上の地球シミュレーションの演算結果が現実の世界を逆に律するといったように.ただ,アルゴリズム的な建築がどういう社会的アジェンダ(検討課題)を持っているのかは,色々と語ることができるのですが,初期モダニズム建築と同じく究極的には哲学的・美学的な側面が極めて大きいと思っています.

田中:僕も,しばらく悩んだ時期はあるんですが,いまはパーソナル・ファブリケーションという社会的実用に向けて研究しています.最終的には「誰もが自給自足的に家をデザインし,建てられる」という目標があるし,フラーから研究を始めた僕にとってはそれがルーツでもある.

──でも柄沢さんも,実際にはそういう社会性を意識された方の建築事務所から出発されていますよね

柄沢:そうなんですよ.MVRDVにしても坂茂さんにしても,ラディカルな社会派です.

田中:僕はむしろ「芸術」寄りからですかね(笑).最近は「メディア・アーティスト」から「デザイン・エンジニア」,社会応用的な姿勢を大切に思っています.そう考えれば,まだまだ社会に着地できていない技術がたくさんあることが,「問題」なのではなくて,むしろ「宝の山」のように思えるんですよ(笑).

柄沢:僕も同感です.まだ社会に着地できていない「想像界」の技術が仮想空間上にたくさん存在していて,それをもとに現実の新しい建築が生まれるのではないかという期待を持っています.それは今日の社会の要請が建築を生むという発想に対して,建築物が新しい社会を生み出す契機になるという思考なのですね.それを次々に展開してゆきたいと思っています.

──お2人のスタンスが交差しているところが,また興味深いですね.今日は本当に長い間,どうもありがとうございました.
(2009/02/26@ICC会議室)