ICC
ICC メタバース・プロジェクト
田中浩也×柄沢祐輔「メタバースにおける空間,環境,身体性」
可能無限世界では身体性が欠落する?

田中:柄沢さんのお話を聞いていると「そうだといいな」とは思うのですが(笑),僕は現実に対してもう少し慎重です.空間的なメタファーで世界を捉えている人って実はほんの一部に過ぎなくて,ネットワーク的な社会コミュニケーションで世界を捉えている人が大多数だと思います.だけどネットワークは空間の輪郭それ自体は何も定義しないから,無限にリンクを辿っていくこともできる.
 「空間」というと「この輪郭の中に皆がいる」というある共有感覚が伴いますよね.だけど,現代の生活の中で「輪郭」という感覚を持っているかどうかはかなり怪しくて……いま建築が戦えなくなってきていることと,それはすごく関係があると思う.きっと「ネットワーク」と「空間(≒領域)」というものは,ある意味では対立軸なんですよ.ウィリアム・J・ミッチェルの『サイボーグ化する私とネットワーク化する世界』(NTT出版,2006)にあったフレームワークなのですが.

柄沢:基本的にはそれは,原広司が「均質空間論」[※04]によって70年代の半ばから先取りしている議論です.たとえば空間という概念は,そもそもアリストテレスの「トポス」という概念から由来していて,いわば一定のコスモス,同心円上の限られた領域として捉えられていた.それに対して近代になると,ミース・ファン・デル・ローエがそれを破壊するような空間概念を作り,均質空間というものになって場所性はなくなる.そのような枠組を軸として,原広司は議論を作るわけです.
 結局のところ,いまインターネットで起こっているのは,コンピュータ上の均質空間のようなものがかりそめにも記述されるとして,その中で2人のアヴァターもしくは存在がコミュニケーションを取るそのときだけ,その場で空間が立ち現われる,というようなことです.
 アリストテレスのときは,ひとりの人間が領域の中心にいて,ある限定された身体から派生する同心円的,求心的な空間性が立ち現われるようなモデルがあった.でもインターネット上の空間モデルは,あきらかに同心円上ではなく,2人の人間がコミュニケーションをした瞬間に,その間の関係性が「空間」として立ち現われる,ということだと思います.

田中:アドホックに,必要な空間がその都度立ち現われては,また消滅していく感じですよね.

柄沢:物理空間だと,たとえば建築家的な思考で空間の起源は何かというと,アリストテレスに極めて近い思考をした人に,ルイス・カーンがいます.彼は「ルーム」という概念を使って「ルームは心の場所である」と言って,ひとりの人間が落ち着く空間というか,個人的な空間に生命のようなものが宿るとして,それが建築空間の「原初」だとしているんですよね.でも,インターネットの場合にはそれは明らかに違うと思います.

田中:あらかじめ世界には空間というものがあり,人間がその中を出たり入ったりして活動しているという感覚が,もうあまりないんですよね.

──「仮にインターネット上に空間が現われるとしたら,それは関係性が生まれたときである」というのは……たしかにその通りだと思います.

田中:そうは言っても,何らかの空間のメタファーを持ったプラットフォームがないと,皆理解できない.僕の読みだと,それは「Google Earth」(http://earth.google.co.jp/)だと思います.とにかく地球という単位だったら,皆その上に乗っかることができる.最もマクロなユニヴァーサル・スペースを設計したようなものですよね.

柄沢:それには僕も完全に同感で,Google Earthこそがメタバースの次の進化をもたらすトリガーではないかと思います.
 メタバースや三次元の仮想空間がいままで効力を持たなかったのはなぜかというと,その三次元空間を構築する必然性があまりにもなかったから.可能無限世界をいくら呈示しても,よほどそれが刺激的な空間でなければ,説得力を持続的に持ち得ない.言い換えると「可能無限世界では身体性が欠落する」ということを意味していて,やはりそこでは必然性や身体性のようなものがないわけです.
 Google Earthが面白いのは,それ自体が現実の地球のミメーシス(模倣)として,実際の場所との対応関係を写像として持っているところです.仮想空間だけど現実の地球との関係を持っている.故に可能無限世界が切断されて,確率論的な必然性を持った仮想世界として存在している.なので,もし人がそれをメタバースとして使った場合には,土地の奪い合いが必然的に生じますよね.その「土地の奪い合いが生じる」というような身体性が,メタバースのシステムを次のフェイズに移行させるのではないかと思っています.
 たとえばGoogle Earthにいくらでも建物を立てられて,もっと進化していくと,魅力的な取引が行なわれるような空間が出てきて,現実の空間の中でも土地の奪い合いが生じるようになり,そうするとある種のリアリティが生まれる.つまり「現実とある程度の必然的関係を取り結んだ仮想空間」なるものが,メタバースの次のフェイズなのではないでしょうか.

──話が少し戻りますが,たとえば濱野智史さんは,こういうインターネット上のさまざまなソーシャルウェアが一種の「アーキテクチャ」を形成しているという視点から,それらがオルタナティヴな社会モデルを提案するのではないか,と提言しています.たとえばそのGoogle Earthみたいな話を持ってくると,そこに現実とは別の新しい社会秩序がどういうふうに築かれるとお考えですか?

田中:そこは濱野さんとは考え方が違うかもしれない.オルタナティヴであることに意味を見いだすのではなくて,僕はむしろ,どうやって現実世界の中で問題解決的に運用できるのかを考えたいのです.
 たとえば地球環境問題とか介護問題とか,4,5年くらい前から,そういうアクチュアルな問題がたくさん浮上してきている以上,オルタナティヴだけを標榜した仮想世界を作ることには,あまり意味がないような気がします.「世界は有限だ」という前提がまずあって,その有限の世界の中でどのようにうまく持続可能な方法でやりくりするかということはやはり大切.だから,環境問題にせよ人口問題にせよ,いまの有限な世界の中のアクチュアルな問題に,ITをうまく接続させる回路を考えないといけない気がする.

柄沢:僕も基本的にはそれには同感で,やはり現実の社会構造と対応関係を持ったモデルを作らないと意味がない.だから,いま三次元仮想空間のメタバース・サーヴィスを新たに始めるとしたら,相当特化したコミュニティのための仮想空間にならざるを得ないのではないでしょうか.

田中:現実空間の設計と一体化してワンパッケージにしたら,どうでしょう.でも学校とかでもヴァーチュアル・キャンパスが一時期はやりましたが,いまではほとんど使われていないですよね.

──やはり実際の身体的なコミュニケーションのほうがいい,ということでしょうか?

柄沢:情報量も多いし,インターフェイスにも負荷がないですよね.

田中:コミュニティを醸成したいのであれば,三次元を使ったウェブ上のシステムはほとんど有効ではない.だってミクシィやメーリングリストで十分こと足りているわけですから.かといって,身体的な活動をするのであれば,実際の空間がなければいけない.そうやって,さまざまなニーズに合わせてツールを揃えていったときに,三次元仮想空間というものにピンポイントで対応するニーズ,つまり「それでしかできないこと」が,まだ見つかっていないのでしょう.

──メタバースをコミュニケーション・モデルとして捉えることに無理があるとすれば,他の可能性はいかがですか? たとえば物理演算を使って,実際の物理現象に近いことが仮想空間の中で再現できたら,どんな可能性が考えられますか?

田中:荒川修作的なものを志向するのであれば,めざすは「知覚の書き換え」ですよね.だけど(先ほどの話の繰り返しですが)入力インターフェイスを物理演算システムに対応させたものにイノヴェートしなければ,結局は何も起こらない気がします.
 いくらソフトウェア側で物理的なシミュレーションをしても,操作側がマウスであれば意味がない.Wiiあたりはその点,物理的な表現が物理的な身体感覚を伴って遊べるようになっているので,一歩か二歩は前進しているように思いますけれど.

柄沢:たしかに三次元仮想空間をダイレクトに身体感覚で享受できるインターフェイスができた場合,突然ブレイクスルーが起こる可能性はありますよね.

田中:それはあり得ますね.最近,よくメディア・アート系の学生がMacの加速度センサーを利用して,マシンを傾けると画面の中のボールが重力に従って転がるような作品を作っていたりしていますが,そういうのがもっと広がってくると,少しは面白くなる可能性がある.iPhoneにもそういう機能があります.だけど,小さい端末では,身体を360度取り囲まれるという感覚まではいけないなぁ……と.

柄沢:仮想空間をリアルに享受することを考えた際,藤幡正樹さんが追求されている「パラレル・リアリティ」が示唆に富んでいます.以前,藤幡さんが,量子力学の多世界解釈を研究している和田純夫さんに会いにいって議論していた[※05]のですが,彼らのコンセプトというのは極めて興味深い.パラレル・リアリティとは,現実とほんの少し違う並行世界のズレを知覚するという発想です.仮想三次元空間でも,完全に見たことがない空間ではなくて,むしろ自分の部屋と同じ空間がインターフェイス上に存在しているとする.そこで自然光のシミュレーションが現実と完全に同じように演算できるのであれば,送られてきた天気予報の局所的な気象データをもとに,10分先の光の状態が映し出されている……とか.
 現実と限りなく近いのだけれど,ちょっとだけズレている.その「ズレ」みたいなものが,実は身体性や不思議な感覚を生む.その「ズレ」と共に,その仮想空間がリアリティを持ち,そこへ引き寄せられるかのような何かが生まれるような気がします.パラレル・リアリティを先ほどの確率論的な必然性を持った仮想世界と言い換えてみてもいいでしょう.現実との写像関係とその若干のズレの強調ということです.ちなみに今僕がデザインを行なっている建物も,そのようなコンセプトを表現しようと思って設計を進めているのですが…….現実との微妙にズレた並行感覚.だから,Google Earthとか,Googleマップのストリートビューみたいなものって,面白いですよね.どうしてあれがメタバースのようなシステムとして使えないのか,って思います.

[※04]「均質空間論」:『空間—機能から様相へ』所収. [※05]以前,藤幡さんが,量子力学の多世界解釈を研究している和田純夫さんに会いにいって議論していた:参照⇒「パラレル・リアリティ01:量子物理学の多世界解釈」(『InterCommunication』50号(2004年秋号)掲載)