ICC
ICC メタバース・プロジェクト
濱野智史 メタバースのアーキテクチャ 聞き手:畠中実(ICC学芸員)
濱野智史
既存のメタバース系サーヴィスやセカンドライフは,なぜイマイチなのか?

──昨年秋に刊行された『アーキテクチャの生態系』(NTT出版)の中で,「メタバース」あるいは「セカンドライフ」といった「3D仮想空間サーヴィス」の問題点や課題について,濱野さんは詳しく書かれていました[※01].今回メタバースに関する研究会を始めるにあたって,まずは濱野さんから総覧的な展望をご説明いただき,そうした現状認識を踏まえたうえで,さらなる可能性を見出せないか討議していこうと考えました.ですので今回は,まずはメタバースについての問題点などをお話しいただけたらと思います.

濱野:はい.かつて私は,自分のブログ[※02]内で「セカンドライフ論」的な記事を2年前ぐらいに書きまして,その一部がこの本の中にも掲載されているのですが,いわゆるメタバース,セカンドライフ的なサーヴィスの可能性について,その時に考えていたことは現在でもほとんど変わっていません.もちろん,その後も類似のサーヴィスが色々と登場してきましたし,私自身はそれらを継続的にリサーチしてきたわけではないので,現状のその界隈が2年前とどれくらい変わってきたのかは,今後の課題にさせていただければと思います.
 それで今日のお話なのですが,以前に自分のブログや著書に記した,セカンドライフに関する当時(2年前)の私の認識を簡単に要約すると,こういうことです.だいたい2007年ぐらいにセカンドライフが注目された際,(これは偶然なのですが)ちょうど日本国内で「ニコニコ動画」なるサーヴィスが登場した.で,後者のニコニコ動画の急速かつ大規模な盛り上がり方と比較すると,どうしてもセカンドライフのほうは閑散としていて,一般ユーザーの注目はそれほど集められず,逆に企業サイドのほうがむしろ関心を抱きやすかった.……この2つのサーヴィスの間で,そういった違いがはっきりと現われた.ネット・サーヴィスの受容のされ方の違いをこれほど端的に示している事例はないなと思って,ニコニコ動画とセカンドライフを(対照的な意味で)並べて取りあげた,というのが本当のところです.
 本の中で使った言葉をそのまま繰り返しますと,セカンドライフのようなメタバース・サーヴィスは「真性同期」,つまりそこにいるユーザー同士は常にリアルタイムで接する必要があるサーヴィスです.かたやニコニコ動画の方はというと,私はそれを「擬似同期」と呼んでいて,皆がバラバラのタイミングでサイトやサーバを訪れてコメントを書いているのに,あたかも今いっしょの空間にいてワイワイガヤガヤとお祭り騒ぎのように盛り上がっているように感じられる.
 メタバースのほうは,そういう盛り上がりは感じられにくい.なぜかというと,同じ時間に同じ場所に行かないと他のアヴァターさんがいないから,妙に寂しい雰囲気になってしまう.だから「セカンドライフって,今人気だよ!」って聞いて実際にアクセスしてみたら「あれ,誰もいなくない?」みたいな話になって,結果みんな「誰もいないぞ,実は人気なんかないじゃん」としか言わない(笑).そういう,ある意味ではお粗末な状況になってしまったのが,当時のメタバース系サーヴィスの実態だったわけです.
 ただ,その後も「ViZiMO」(http://vizimo.jp/)ですとか「splume」(http://splume.jp/)ですとか,日本国内でもセカンドライフ以外のメタバース系サーヴィスが増えてきたわけですが,やはりどこでも「閑散としないための工夫」が意識されはじめていて,例えば運営側がお祭り的なイヴェントを必ず提供していますね.例えばカレンダーがサイトの一番上にあって,「今日は文化祭の日」とか「今日は○時からこういうイヴェントがあるから,○○に集合!」というふうに,無理矢理でもイヴェントを開催して,閑散とした雰囲気をなんとか防ごうとしている.
 逆に言うと,一般ユーザーにとっては,「3Dで見た目がカッコイイ!」とかって,あまり効果がないんですよ.そういうのは,一回見れば終わりじゃないですか.例えば「2ちゃんねる」って,当たり前ですけど,別にあのサイトの“美しさ”を見に行っているわけではなくて,皆コミュニケーションをしにアクセスしているわけですよね.「今日暇だし,何か面白いことないかな?」くらいの暇つぶし.だけどそういう要素が,現状のメタバース系には少ない.だから試しに行ってみて,「ふーん,すごいね」でおしまい.大半の一般ユーザーにとっては,セカンドライフの面白さ……言い換えれば「ここにオレが来たことの意味って何?」ということが全然見出せないわけです.

 一方の企業サイドは,ネットなるものの本質をあまりよくお分かりでない……と言い切ってしまうのも問題ですが(苦笑),そもそもそんなに暇じゃない人たちだから,写真をパッと見て「おおっ,これはすごい!」と思うものにやっぱり飛びついてしまう傾向がある.「THE SECOND TIMES」(http://www.secondtimes.net/)というメタバース系サーヴィスのニュースサイトがあって,私もたまに読むのですが,最近でも,有名なナショナル・クライアントが「メタバース・キャンペーンを始めます!」みたいなプレスリリースを発表したりしているようで,「まだやっているのか!」と(苦笑).でも,これには一理あるんですよ.それをやることで,企業向けの「日経産業新聞」のどこかではニュースに取りあげてもらえる限り,一応のPR効果はあるわけですから.メタバースに出資すれば,「あそこの会社もやったのか!」みたいな感じで,少しは注目を浴びることができる.だけど,いざサーヴィスを開始したら,実際にはユーザーが誰も訪れない,みたいな乖離がどうしてもある.だから,少しでも多くのユーザーが持続的にメタバースに来てもらうような仕組みを作れたら……という辺りに,各社が頭を悩ませているんだと思います.
 ここで,メタバース・サーヴィスをめぐる従来の二分構造を一度おさらいしますと,一般のネットユーザーはコミュニケーション(北田暁大さんの言葉を使えば「繋がりの社会性」)にしか興味がないから,サイトの見た目の美しさやアート性には,何の価値も見出さない.かたや企業の人たちは,パッと見の見栄えに「何かすごいことがやれる!」みたいな印象を持って,お金を出そうとする.
 これが次のフェーズになって,この両者が接点を見出せるようになるとすれば,それはこれまでと違う状況になりますね.いまの状況は,この二段階目に行きつつあるのかどうか,という段階だと思います.もし今後,このプロジェクトを進めていく過程で(私は立場上,どちらかといえばビジネスモデル寄りの提案をさせていただくのかもしれませんが)その接点を探しあてられたら,面白いと思います.現状だとまだまだ,企業側もユーザー側も「えー,セカンドライフとかってつまらないんでしょ!」って思い込んでいるけれど,だからこそ,少しでもそうじゃない可能性を提示できれば,それだけでもけっこうな話題になるんじゃないかと.そこは頭の使いどころでしょうね.

──たしかにメタバース的なシステムの利用価値というのは,大別するといわゆるショッピング・モールのようなビジネスモデルと,アートやエンターテインメントのモデルに分かれますよね.そもそも,それらは共存しえないのでしょうか?

濱野:ビジネスかアートか,という問題設定とはちょっとズレるかもしれませんが,この本(『アーキテクチャの生態系』)にも載せていない話があって,昔ブログに「こうした仮想空間でも,ニコニコ動画的な擬似同期の仕方を(やろうと思えば)できるはずだ」と書いたことがあります[※03]
 ニコニコ動画で,皆バラバラにサイトを訪れているのに,あたかもいっしょの空間を共有しているかのように感じるのは,そういう仕掛けが用意されているからです.その仕掛けを,私はよく「定規」の比喩で説明します.ニコニコ動画というのは(ユーザーが投稿した)動画を視聴することができるわけですが,その動画が一本線の定規のようになっていて,各自がバラバラなタイミングでコメントを入れていっても,サーバ側で「4分何秒に○○というコメントがついた」と記録して,あとで動画とコメントを全部まとめて流すから,まるでいっしょのタイミングで動画を視聴しつつ,コメントでコミュニケーションしているように感じるわけです.これと同じようなことを3D仮想空間上で実現するには,どうやって動画のような線分をそこに置くかが鍵になります.
 例えば「仮想空間上でニコニコ動画みたいな動画を見る」というのが一番分かりやすい例ですが,さすがにそれだとあまりにもそのまんまなので……,当時私が考えていたのは,仮想空間上をあるひとつの決められたルートでユーザーが巡回する.例えば,うねうねと蛇行しながら仮想空間内の街を旅行するとしましょう.で,皆が同じルートで歩いていって,ある場所で感じたコメントを,まず初日に来た人が書く.で,2日目に来た人が順路を進んでいくと,同じタイミングでその場所に着いたら,前の訪問者が残したコメントが聞こえてきたりする……という仕掛けになっていれば,まるで初日の参加者といっしょに旅行をしているような気持ちになるかもしれない.
 もしくは,1日前に旅行したアヴァターの動きを記録しておいて,同じタイミングで歩かせてもいいですよね.よくコンピュータ・ゲームに出てくる仕掛けに(プレイヤーの分身である)「ゴースト」というものがあります.例えば「スーパーマリオカート」というカーレースのゲームでは,タイムアタックというひとりでプレイするモードがあって,最初は自分ひとりでプレイするのだけれど,次からはそこに「前回までで一番速い自分のプレイ」がオーヴァーレイして表示されるんですね.過去の自分のプレイが,半透明でまるで幽霊のように表示されるので,「ゴースト」というのですが.つまり,マリオカートが「サーキットをぐるぐる走る」というゲームになっているので,サーキットがさっきの話でいうところの「定規」の役割を果たしてくれていて,自分ひとりでプレイしているだけで,過去の自分がライバルになって相手をしてくれるわけです.小学生の頃,「これはすごい」って思いましたよ.「くそっ,こいつ上手いなぁ! あ,でもオレだ!」みたいな白熱のプレイができてしまう(笑).しかも自分自身と競っていくうち,どんどんうまくなるわけです.そして,この「サーキットをぐるぐる回って,前の人のプレイを今のプレイに重ねる」と同じようなことがメタバース内でやれると,あたかもニコニコ動画のような擬似同期性が実現できるわけですね.
 また,たしかどこかの3D仮想空間系サーヴィスで,ユーザーがタグやコメントを空間内につけられるものがあるらしいのですが,それだけだとまだ字を実空間上に貼りつけただけなので,コミュニケーションの盛り上がりとしてはまだ十分ではないと思うんです.そうじゃなくて,「ここに来たユーザーは,こういうタイミングで,こう思うだろう」みたいな時間軸をシンクロさせるアプローチまで仕掛けられたら,それこそニコニコ動画みたいにワイワイガヤガヤやりながら仮想空間を旅しているような雰囲気が実現できるのではないでしょうか.

[※01]『アーキテクチャの生態系』(NTT出版)の中で……書かれていました:「第六章 アーキテクチャはいかに時間を操作するか?」 [※02]自分のブログ内で「セカンドライフ論」的な記事を書きまして……:「濱野智史の個人ウェブサイト@hatena」http://d.hatena.ne.jp/shamano/ [※03]昔ブログに……書いたことがあります:濱野智史の「情報環境研究ノート」第13回「擬似同期×セカンドライフ」の可能性について考えてみる | WIRED VISION http://wiredvision.jp/blog/hamano/200708/200708231000.html