ICC





はじめに
入場料
展示作品




《肌の刻印を夢見て》
《寄生,影響,変型2/寄生的,電気的交感 IV》
《Undirected / Entbildung》
《フローズン・ウォーター》
《トーキョー・サークル》
《マトリクス(無響室のための)》
《見出された光の状態:光度分布とその変動》
《固体振動のためのモニター・ユニット》
《置かれた-或いは置き換えられた音》
《ディスクス》
《トポフォニー・オブ・ザ・テクスト》
参加作家
関連イヴェント




アーティスト・トーク
パフォーマンス
1月28日(金)
1月29日(土)
1月30日(日)
2月6日(日)
2月11日(金)
特別イヴェント:ポスト・ミュージック
カタログ
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2000年1月28日(金)〜 3月12日(日) [終了しました.]





展示作品


《置かれた-或いは置き換えられた音》
"Placed" or "replaced"
志水児王

 

 

 


志水児王はTVモニターやコンピュータ,時計などの電化製品を,その本来の使用法としての一般的な通念から解き放ち,音を採集する装置に転換させ,設置場所や機器の電気的な回路の構造の違いから顕在化する音の差異を採集することによって,それらの状態や特性を知覚しようとする.

空間のある状況や状態を音によって記述,あるいは認識することは可能か.美術における,「枠(フレーム)」という概念について考えてみると,例えばインスタレーションいう表現形態は,従来の絵画や彫刻がもっていた「枠(フレーム)」や焦点などの制約から逸脱することを目指していたようにも考えられるが,ある種の空間的な作品においては,別な意味での「枠(フレーム)」や焦点を措定することで作品が成立する.言い換えると,作品そのものが空間に対する何らかの「枠(フレーム)」の役割を担っている.それは,例えばギャラリーなどの閉鎖的な空間の物理的な制約に基づき,また開放的な野外においては無限定的な焦点の内側に仮構されるものである.また,空間におけるその変化も視野に入れれば,時間軸も含めて,作品を概念的に可視化,知覚するための指標,あるいはシステムにもなりえる.またさらには,日常的体験として特に把握されることのない,「時空間」のある状況や状態を認識させ,より開かれた世界を知覚させるための装置になる.

m/s(佐藤実),角田俊也,志水児王の三人が属する「WrK」は,「時空間上で展開される現象や出来事という刻一刻と変化する事象と,それに対する私たち自身の態度や認識の変遷」という概念的な事象を,それぞれが独自の方法によって考察し,制作活動を行なう組織である.これまでも空間における微細な状態の変化や,さらには知覚域を超えたレヴェルでの状態の変動を取り上げ,それに十分に概念的な考察と極少の操作を加え,視点をあたえることで,その「時空間」での出来事を記述してきた.今回の展覧会では,三人がICC館内をその考察対象として,ICCを知覚させることを試みる.作品の設置場所,知覚の方法は事前の実地調査と議論のなかで決定された.

三人が行なうICCという場に固有の状態を記述する作業の結果は,実にひそやかなものであるかもしれない.われわれが日常それらを特に感得しえないのと同じようなひそやかさで,やはりそこに提示される.しかし,彼らが設置した装置と,そのコンセプトに焦点を合わせれば,その日常の雑音にかき消されてしまいそうな音から,はっきりとその場の,時間と空間の状態や構造を知覚することができるだろう.彼らは精巧な「フレーム=コンセプト」をつくることによって,ひそやかで,見えない,しかし確実に存在している出来事を克明に描き出そうとしているのだ.

(畠中 実 / ICC学芸員)