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私たちの生活環境には,日常なにげなく看過してしまっているが,さまざまな音が溢れている.最近では携帯電話の着信音など,試みに記述してみるだけでも相当な音のサンプルが挙げられるのではないだろうか.カールステン・ニコライは「ノト(noto)」という別名で音楽活動も行なっているが,彼の設立したレーベル「ノートン(noton)」は,「楽音と非楽音のため」のものであると謳われている.「非楽音」とは,例えば上述したような日常音のことだろうか.1997年のドクメンタXでのプロジェクト《spin》は,電話やファックス,ラジオの受信音,人の話し声や,シンプルな正弦波による,45秒間,72の音源からなるループを,100日間にわたりカッセル市内の空港など,日常の生活風景のなかに侵入させたものだった.また1999年ワタリウム美術館で開催された「エンプティ・ガーデン」展においても,指定された場所までの経路を,彼の音を聞きながら歩いていく《inside/out》というプロジェクトを行なっている.ニコライが日常空間に音を忍び込ませることは,空間や,あるいは人間どうしのあいだに交通を促すことである.音を媒介して外界から自己の内面へと何かが浸透する.今回の作品《フローズン・ウォーター》は,二つの低音域スピーカーから可聴域すれすれの低い正弦波の波動によって,対面する容器に満たされた水の表面に波紋を起こさせるものである.そして,二つのうち一つの周波数を変動させ,干渉させると水面の波紋が静止する.鑑賞者は,はっきりと正弦波の音を認識することはできないかもしれないが,そこから生み出される波紋と,波紋がつくる反射とによって,鑑賞者はそれぞれの内面に結晶化する何かを聞いているのかもしれない.おそらくそのとき,鑑賞者のあいだには共通のヴァイブレーションが起こっているのだ.
(畠中 実 / ICC学芸員)
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