HIVEのすゝめ|HIVE 101: Introduction to ICC’s Video Archive

Vol. 14

竹下暁子 TAKESHITA Akiko

撮影:Gottingham

山口情報芸術センター [YCAM] パフォーミングアーツプロデューサー
京都芸術センターでアーティスト・イン・レジデンスを担当後,京都造形芸術大学舞台芸術研究センターでの舞台制作担当経て,2008年から現職.contact Gonzo+YCAMによる参加型アウトドア・プロジェクト「hey you, ask the animals. / テリトリー,気配,そして動作についての考察」(2013),野村萬斎+坂本龍一+高谷史郎による能楽コラボレーション作品「LIFE—WELL」(2013),フラメンコダンサー,イスラエル・ガルバンとAIのセッション「Israel & イスラエル」(2019)などのYCAMオリジナル作品のプロデュースのほか,テクノロジーと身体の新しい関係を追求する研究開発プロジェクトとして「Reactor for Awareness in Motion (RAM)」(2010年—)などのディレクションに加わる.
2015年,文化庁新進芸術家海外研修制度で英国ブリストルのメディアセンター,ウォーターシェッド(Watershed)にて研修をおこなう.2017年,大脇理智+YCAM「The Other in You」でアルス・エレクトロニカオノラリー・メンション受賞.


「コラボレーションへ向かう声たち」

2020年からそして原稿を書いているこの瞬間まで,新型コロナウィルスの感染拡大は,パフォーミング・アーツを含め,ありとあらゆる分野に変化や再考をもたらしています.会議や食事,またアート鑑賞などをリモート状態で体験する比重が大きくなっている現在.物理的な制約や,今まで当たり前だった慣例を変えることの快適さや便利さを感じながら,一方で,お互いの身体の存在を欠いたコミュニケーションにもどかしさや物足りなさを感じてしまう場面もあります.ウィルスの存在も含め,感染拡大防止のための,非接触,ソーシャルディスタンス,隔離といったものが,私たちの身体感覚や記憶にかつてない影響を与えている現状は,表現としてどう浮上してくるのか.創作の現場にいる一人として注目していきたいところです.

物理的接触や刺激が圧倒的に減った生活の中で,私にも大小さまざまな変化がありましたが,その中でもPodcastやラジオなど音声メディアに,以前より心地よさを感じるようになりました.特に隔離生活の当初は,オンライン・ミーティングは効率的で雑談をする隙間はなく,チャットなどテキストベースのやり取りが以前よりも増えていました.結果,オフィスで働いているときとは比べ物にならないほど,声を聞く「キャパシティ」ができて,言い換えればそこに「人声恋しい」という感覚が生まれたのかもしれません.

HIVEでは,私の仕事や人生に小さくない影響を与えている人たちが,インスピレーションやアイデアについて自らの声で語っていて,圧倒されることもしばしばです.


ニューヨーク近代美術館(MoMA)にヴィデオ・アート・セクションを創設し,アートとしてのヴィデオというコンテクストを生み出す大きな原動力となったキュレーター,バーバラ・ロンドン*1 と,ナムジュン・パイク*2 のコラボレーターでエンジニアの阿部修也*3 のトークです.1960—70年代に民生機として普及し始めたヴィデオを巡って試行錯誤する,先駆者(ヴィジョナリ)たちの有り様が,当時の時代の空気と共に語られています.パイクと阿部はもちろん,E.A.T.やダムタイプ*4 といったコレクティヴの作品では,アーティスト,デザイナー,技術者,パフォーマーといった異分野の人々が交差していたことが紹介されます.グリッチ的なものも含め,オルタナティヴなヴィデオの使い方を発見した彼らの驚きや,当時の社会,政治的な課題をコラボレーションという形で提起していった彼らの息遣いは,アートのための研究開発チーム(YCAM InterLab註1 )で活動している自分にとって,どこかつながりを探してしまう遺産でもあります.

このような新たな表現を生み出すコラボレーションや,触発し合い,ときに共犯的な関係を語る「声」をご紹介していきたいと思います.


私は変化の媒介者

前述のトークからの流れでお話すると,ヴィデオというテクノロジーがパフォーミング・アーツにもたらしたものは,「ビデオダンス」という映像を通した身体表現ジャンルの確立にとどまらない,新たな「鏡」をもたらす変革でした.その片鱗を伺えるのが,フランクフルト・バレエ団時代の振付家ウィリアム・フォーサイス*5 のインタヴュー です.

創作の現場に登場したテクノロジーを「(人間に) 隣接された頭脳」と呼び,分析や記憶が可能になったことで獲得していった創造性が語られる前半.客席からフレームで切り取られた舞台を正面から鑑賞する,プロセニアム構造の劇場を前提にしたバレエにとって,ヴィデオというツールを通して左右上下,客席にいる観客とは反対側からの視点をもたらしたことは,その基本規律から揺るがす衝撃だったはずです.

このインタヴューが収録された1997年から十数年後,私は,安藤洋子註2 をはじめとする当時ザ・フォーサイス・カンパニーに所属していたダンサーたちと,YCAM註3 の共同研究開発プロジェクト「Reactor for Awareness in Motion (RAM)」註4 を開始します.フォーサイスの思想はこのプロジェクトの根幹に影響をもたらしていましたが,実際にダンサーたちはさまざまな角度から自分自身のムーヴメントを観察しながら即興でパフォーマンスすることが可能で,まさにヴィデオがもたらした視点を内在化し,自由に操っていたことは衝撃的でした.

このインタヴューにおいて想像力を最も刺激されるのは,フォーサイスによるダンスの再定義でしょう.ダンサーをコンピュータに見立て,ダンスとは(コンピュータ間で)情報を媒介し合うことである,と語るフォーサイス.ここではダンサーは振付家の事前につくった振りを単に再現するのではなく,自立分散的に自らを振付しながら動き,かつ他のダンサーとの関係を更新し続ける超人的な存在なのです.バレエ団は共同体,または環境であり,(伝統的なヒエラルキーを支えてきた)I やMeといった振付家のエゴは消滅していく,と言う彼は,さながらダンサーたちに対してコードを書き,その結果を観察し,またフィードバックするクリエイターのようです.自らの仕事の定義は,フォーサイスの言葉によると「変化の媒介者」「エージェント」となりますが,1990年代終わりに彼がすでに見ていた,ダンスが常に生起する新しい空間や時間という舞台のヴィジョンに痺れるインタヴューです.


PlayとReflection のためのスペースをつくる 

2020年から,「鎖国[Walled Garden]プロジェクト」として,アーティスト,カイル・マクドナルド*6 とともにワークショップや作品を制作しています.実はYCAMとのコラボレーションは,「YCAM Guest Research Project註5 」の一人目のリサーチャーとして彼がYCAMに滞在した2011年に遡ります.openFrameworksをはじめ,クリエイティヴ・コーディングのオープン・ソース・コミュニティでプログラマー,またファシリテーターとして頭角を現し,それ以降も,作品やプロジェクトの開発過程を公開することをスタンスとしています.このトークでは,《群衆を書きつくす》(2015年)を中心に自作が語られますが,作品の成立に,背後で労働を提供するMechanical Turk Workerたちからコラボレーター,観客まで,それまでと同様に,他の人々が介在する「オープンネス(余白)」をつくってきたことが見て取れます.

そうした,人々の集合体としての知性や想像力によって,人間とマシンの違いを描いたり,マシンと人間双方を互いのメタファーとした表現手法は,身体という実感を伴うことによって,日常と地続きの,テクノロジーが内包する社会的な意味や問題に導きます.社会に普及しているテクノロジーの中には,背後で何が起きているのかが見えづらく,その社会的な影響が無視されがちなものもあります.彼を見ていると,どのような状況やシステムであっても,人々が立ち止まって考える,遊び(play)のための余白は作れるのではないか,という感覚が湧いてきてしまうのです.

ところで,彼がYCAMに滞在していた3ヶ月間を思い起こすと,まるで名インタヴュアーのようにどのような分野の/職業の人を前にしても,好奇心に満ちた質問を繰り出し,紙のノートにその答えを嬉しそうにメモしていた彼の姿が思い浮かびます.このトークのクライマックスの一つは,1970年代に制作された映像や小説からのインスピレーションが,監視と集合知をテーマにした自作へと結びついていく過程の鮮やかさです.本人が語るようにある分野から別の分野へとジャンプしながら制作する,彼の思考の過程を見ることだけでなく,作品を製作している間や,ローンチした後の気づきなど,常に彼が作品との関係で持っている「ライヴ性」に触発されるトークです.

「遊び(Play)」というキーワードでつながるのが,こちらのブラスト・セオリーによるトークです.

ポピュラー・カルチャー,パフォーマンス,ゲーム,複合現実といった領域を横断する観客参加型の作品で知られるブラスト・セオリー*7 .モバイル・デヴァイスやGPSを組み込むことで,観客が移動しながらストーリーが浮かび上がるその作品から,実は私も企画の着想を得たことがあります.

1991年の結成以来,20年以上ブラスト・セオリーの中心的なメンバー3人は変わっていません.私は2015年にその一人であるマット・アダムスと話す機会がありましたが,アカデミアとのパートナーシップを語る理知的な研究者然とした姿が印象的でした.

しかし,これは,彼らにも,最初期の1991年の作品《Gunmen Kill Three》註6 について,「馬鹿なことをすれば金が入ってくる」などとレヴューのヘッドライン註7 に書かれる不敵な時代があったことの一端を感じられるトークです.

パフォーマーの身体にあざが残るリスクを説明された上で,無防備なパフォーマーに向けてペイントガンを撃つかどうか観客に判断させる《Gunmen Kill Three》(1991年).セクシュアリティに関する質問に,観客それぞれがはい/いいえ/わからないを意味するエリアへ移動することで答えなくてはならない《Chemical Wedding》註8 (1992年).10ポンドで宝くじを購入すると誘拐される(かつ逃げられた場合には賞金をもらえる)権利を得るとともに,アーティストに従うことに同意したことを意味し,実際に2 人の観客を誘拐し,その様子をストリーミングした《Kidnap》註9 (1998年).

こうした,文字通りの劇場型犯罪や,そのリフレクションでもある一部のリアリティショウを思わせる作品からは,ブラスト・セオリーが,当時彼らも担い手の一人でもあったユース・カルチャーを背景に,観客の身体にインパクトを与える大胆な手法に挑んでいたことがわかります.

劇場の舞台,客席というシステムは安全な場所からフィクショナルな世界を覗き見することを可能にします.歴史上,さまざまなアーティストたちがこの境界を薄く,曖昧に,相互に侵食し合う作品を,劇場の内外で製作してきました.舞台の上ではたった一行のセリフで,どのような設定も可能になります.言い換えれば演劇とは,もう一つの世界を構築するには足りない情報を,つまり行間を,観客が想像力で埋めるメディアだとも言えるのです.

《Kidnap》では観客の服従への同意だけでなく,観客自身にどう誘拐されたいかを選択させることで,つまりあくまで観客の「自由意志」で参加をしてるという前提によって観客を主役の座へと放り込みます.誘拐される役,それを中継で見る観客の役,作品を報道するメディアの役というように,舞台におけるメインキャスト,観客,メディアという人物たちをシアトリカルに演出することで行なう実験.アーティストと観客の関係が,観客が物理的な主体性を分担することでどう変化していくのか.ここにその全ては書きませんが,この問いを検証するために彼らが用意した装置に圧倒されます.


[註1]^ YCAM InterLab
https://special.ycam.jp/interlab/

[註2]^ 安藤洋子
https://www.ycam.jp/archive/profile/yoko-ando.html

[註3]^ YCAM(山口情報芸術センター)
https://www.ycam.jp/

[註4]^ Reactor for Awareness in Motion (RAM)
https://www.ycam.jp/projects/ram/

[註5]^ YCAM Guest Research Project
https://special.ycam.jp/interlab/projects/guestresearch.html

[註6]^ ブラスト・セオリー《Gunmen Kill Three》
https://www.blasttheory.co.uk/projects/gunmen-kill-three/

[註7]^ 『Islington Gazette』紙 1991年8月15日掲載
https://www.blasttheory.co.uk/wp-content/uploads/2016/07/Review_GKT_Islington-Gazette_15-08-1991.pdf

[註8]^ ブラスト・セオリー《Chemical Wedding》
https://www.blasttheory.co.uk/projects/chemical-wedding/

[註9]^ ブラスト・セオリー《Kidnap》
https://www.blasttheory.co.uk/projects/kidnap/

プロフィール・ページへのリンク
*1 ^ バーバラ・ロンドン
https://www.ntticc.or.jp/ja/archive/participants/barbara-london/
*2 ^ ナムジュン・パイク
https://www.ntticc.or.jp/ja/archive/participants/nam-june-paik/
*3 ^ 阿部修也
https://www.ntticc.or.jp/ja/archive/participants/abe-shuya/
*4 ^ ダムタイプ
https://www.ntticc.or.jp/ja/archive/participants/dumb-type/
*5 ^ ウィリアム・フォーサイス
https://www.ntticc.or.jp/ja/archive/participants/william-forsythe/
*6 ^ カイル・マクドナルド
https://www.ntticc.or.jp/ja/archive/participants/kyle-mcdonald/
*7 ^ ブラスト・セオリー
https://www.ntticc.or.jp/ja/archive/participants/blast-theory/

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