第三回
Performance
「即興と音楽を体験する空間」
日時:1999年2月10日(水)19:00 〜 21:00 [終了しました.]
会場:4階ロビー,カフェ,ギャラリーD
ヲノサトル
ゲスト:ヲノサトル
演奏: ヲノサトル
コンサート&パーティー:ヲノサトル
3rd day: Performance
「即興と音楽を体験する空間」
この文章が書かれてるこの紙自体は文字というインクの規 則的なしみが並べられたペラペラ薄い物体にすぎないわけ で日本語をたまたま知っているアナタが読むもんだから書
かれている内容がアナタの頭の中に今スッと立ち現れてい るわけですね楽譜ってのも同じことで紙の例で言うと書か れてる文字は「音符」なわけで当然この文字が示す「内
容」の方こそが音楽でこうやって「書かれてる」って事は 最後まで何度も読み返して推敲できます後ろにあった言葉 を前に持ってきたり言い回しを吟味する事すなわちそれが
「作曲」なんです物理的な時間を超えて書かれた全体を俯 瞰する視点それこそがコンポジション(以下略)…とまあ こんな調子で,後先を考えずに物理的な時間に従って思っ
たことをどんどん書いていく態度を,とりあえず即興演奏 の比喩と考えてみよう.もちろん優れた即興演奏家なら 「どんどん書きつつ,後先は考える」ものではあるが.そ
れでは,そうした「俯瞰の視点を持った"即興"」と,バッ ハやモーツァルトのように演奏家でもあった巨匠たちの
「即興を記録して作品化した"作曲"」との違いは,いった いどこにあるのだろうか?
ジョン・ゾーンに「コブラ」という作品がある.ここで 「作曲」されているのは音を出すための様々な条件や制限 という「ゲームのルール」だけで,演奏者は毎回,その場
で即興演奏により合奏していかなければならない.このシ ステムはどこか,作曲者が音響生成のアルゴリズム(=ル ール)のみを作って,あとはコンピュータがそのアルゴリ
ズムに従って演奏の都度,計算して音楽をつくっていく 「アルゴリズミック・コンポジション」の方法論を思わせ る.直線的な実時間を生きていく即興演奏という枠組み
に,集団における様々な関係性という音楽外の発想を持ち 込み,メモリー(演奏を機械的に記憶させる)だのカート ゥン(チャンネルを変えるように音楽の雰囲気を瞬時に変
える)だのといったテクノロジー的発想を介入させ,様々 な出来事が多層的に起こる現実社会を写像してみせるこの 音楽を,例えば一人の作曲家が五線譜に全て記して「作
曲」する事は可能なのだろうか?可能であったとして,そ んな徒労にも似た作業に意義はあるのだろうか?
即興にせよ作曲作品の忠実な「演奏」にせよ,パフォーマ ンスとはかつて一回性のものであった.その時,その場に 居合わせなければ体験できない,人間のエモーションが音
響エネルギーに転化する瞬間.だが,レコード(もちろん 今ではCDが主流だが)のようなメディアの出現は,この エモーションを複製物に固定して,いつでもどこでも再生
できるようにした.メディアを利用すれば,一回限りの即 興演奏を何度も反復して聴くことができる.音楽用シーケ ンサやその種のソフトウェアを用いれば,殴り書きの文章
を校正するように,データ化された音楽情報を簡単に改変 する事ができる.例えば,たまたま高まった気分で力強く 叩いた鍵盤のフォルテッシモが「127」という数字で表現
される.数字を「16」とでも変えれば同じ音をピアニッシ モで再生できるが,言うまでもなく,それは何のエモーシ ョンも音楽的連続性も存在しない,切り離されて中空に浮
かんだピアニッシモだ.鍵盤をそっと押すだけで耳をつん ざく爆発音を鳴らす事ができるサンプラーという楽器.既 成のレコード盤が回転し続けるターンテーブルの上に,落
とされた針がレコード盤面に接触する,いわば「事故」と してのノイズ.ここで,本来の鍵盤配列とは全く関係のな い独立したサウンドが得られる楽器=プリペアドピアノ
を,こうした音楽のテクノロジーと関連づけてみる事はで きないだろうか?
答えの出ない疑問符に足止めをくらうのではなく,疑問を 胸にしっかり抱えたままで,それでもまずは歩き始める楽 天的な勇気.たとえば即興演奏に,メディアやテクノロジ
ーや音楽そのものがいかに変化しようと変わらない,そん な「態度」を,まずは聴いてほしい.
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