ICC

インターネット・リアリティ研究会「インターネット・リアリティ」

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座談会「インターネット・リアリティとは?」

日時:2011年7月24日(日)午後6時

出演:エキソニモ
思い出横丁情報科学芸術アカデミー(谷口暁彦+渡邉朋也)
栗田洋介(CBCNET)
youpy
畠中実(ICC)

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前半

後半

畠中:今日は「インターネット・リアリティとは?」と題しまして,座談会をお届けします.まさにこのタイトルにあるような,インターネットにおけるリアリティとはいったいなんなのか,それがどういうふうに生じているのか……というようなことを,今日集まっていただいている方々,それぞれの体験や経験をふまえまして,いろいろお話をいただきつつ,考えていこうというわけです.
 まず最初に,「インターネット・リアリティ」っていう言葉が出た経緯についてですが,栗田さんが今年の4月末に企画・開催されたイヴェントがきっかけなんですよね.

栗田:今年の4月に主催した「APMT6」というカンファレンスのなかで「インターネット・リアリティ」というテーマのセッションがありまして,三組の方々にプレゼンテーションをしていただいたんですが,そのうちの一組がエキソニモでした.

畠中:そこで「インターネット・リアリティ」という言葉がでてきたんですね.その言葉について,エキソニモのおふたりはちょっと思うところあった,という感じだったわけですね.

千房:そうですね.

畠中:実はICCでは毎年ウェブ企画というものをやっています.これまでにもメタバースやTwitterというテーマでやってきたのですが,今年度はエキソニモのおふたりを中心に,いわばキュレーター的な立場になっていただいて,ウェブ企画を立ち上げようとしている.今年のテーマが「インターネット・リアリティ」になるかどうかは現時点では未定ですが,そのなかで間違いなく中心的なテーマになるであろう「インターネット・リアリティ」というものを今日,この場ではとりあげて,まず今年度のウェブ企画の始まりとしたいというわけです.この座談会で話されたことは,今後ウェブに発表されていくことになります.そこからまた議論を重ねていって,展覧会として,年度の後半に,ウェブ展として立ち上げられるといいなと思っています.
 ではまず栗田さんに,「インターネット・リアリティ」という言葉を作られたというか,取り上げられた意図や,その4月のイヴェントを開催された経緯などをお話しいただいたあと,それぞれのインターネット・リアリティ観みたいなものを発表していただけたらいいかな,と.そのなかで都度,意見の交換をしていきたいと思います.

インターネットは他人とはもう共有できない

栗田:自分はCBCNETというポータルサイトを2002年からやっていまして,個人的に昨年「インターネットを探しにいこう」というテーマで何回かプレゼンをしたんですが,そのことを少し話したいと思います.
 僕が学生のときに考えたのは,〈ウェブ〉と〈モノ〉と〈場所〉という三つのメディアを作ることでした.ウェブは,すぐに誰かに伝わって,物理的な距離は関係ないけれど,物体としては実体がない.モノは実体があって,物理的に残って,時間を超えて残る.場所は——みんなで集まってイヴェントをやるというような意味なんですが——実体があるけれど,時間や場所に制限がある.これらのメディアを絡めてなんかできないかな……ということで,CBCNETっていうウェブを作って,場所としてAPMTっていうイヴェントをやって,モノもなんか作ったりできたらいいな……と考えて,スタートしました.
 この三つの関係性が,SNSなどが普及してからけっこう変わったなあと思っていて.それまで,テレビは家で見るもの,映画は映画館で観るもの……というように固定されていたものがどんどん崩れ落ちていって,コンテンツと,それを橋渡しするツールと,それを見るデヴァイスという関係に変化したのかな,というのが去年ぐらい.そのあいだに「インターネットがいっぱいある」みたいな感覚があって.それがいわゆるWeb 2.0と呼ばれているものの始まりだったのかなぁと.
 さらにiPhoneが出てきたことによって,インターネットを常に携帯できるようになった.iPhoneが発売されてからまだ5年も経っていませんが[※01],急速に僕らの日々接する情報が変化していると感じます.

千房:2009年ぐらいに,TwitterとiPhoneが同じようなタイミングでバーッと一般に普及した気がする.

栗田:そうですね.さきほどのコンテンツ/ソフトウェアの話をTwitterに例えると,あるつぶやき(=コンテンツ)を,Twitterクライアント(=ソフトウェア)を通して,パソコンとかiPhone(=ハードウェア)で見る.この方法はみんな違うし,見ているタイムラインも人によって違う.なにを見ているかわからないし,なにを見られているかもわからない.自分の見ているインターネットが,唯一のインターネットになっている.ウェブサイトしかインターネットがなかったときは,そのブラウザ内がインターネットだったけど,そうじゃなくなっている.
 そうなると,よく言われるように,コンテクストが欠如したり,抜け落ちたりする.あとコンテクストをリミックスするのが普通の行為になってくる.そういったことが,アートやいろんな分野で表現として汲み上げられてるんだろうなあと,去年ぐらいから感じていました.
 「コンテンツはコントロールできないから,もうどんどん出してくしかない」みたいなところが,最近の表現には感じられます.みんなが,すべてがインターネットにつながっていて,個人は,自分だけのインターネットを通じてそのコンテンツを受け取り,それにリアリティを感じている.「僕が見てるインターネットは他人とはもう共有できないなあ」という感じです.そんなことを考えるなかで,「インターネット・リアリティ」という言葉が出てきたんだと思います.このテーマを決めたのは去年の12月ぐらいです.
 APMT6を開催したのは4月30日で,このイヴェントは,デザイン関係の人とか,アート関係の人とか,いろんな分野の方たちに出てもらうのが特徴です.紙などの印刷物のデザインをやっている人からメディア・アーティストの方まで,いろいろ出てもらっています.「インターネット・リアリティ」というテーマのセッションに出ていただいたのは,エキソニモと,Semitransparent Designと,江渡浩一郎さん.それで,今回の話に展開した,という.

千房:そうですね.「インターネット・リアリティ」ってテーマを見たときに,僕らが活動してきたなかで感じていることと,近いような感じがして.それでちょっと気になって.

畠中:それから,インターネットを使った表現で今後どういったものがキーになってくかということを,考えられたっていうことですよね.

千房:そうですね.

畠中:それがどういうものだったのかっていうのを,じゃあ……

千房:じゃあ僕の,やりますか.

GIFとJPEGどっちが硬い?——Webの質感と〈インターネット・リアリティ〉

千房:エキソニモは,僕,千房けん輔と,赤岩やえの二人でやってるアート・ユニットです.1996年にウェブで活動を開始して,そのあとインスタレーションとか,ライヴ・イヴェントとか,イヴェントの運営をやったりしてきました.で,15年やってるんですよね,実は.もう15年になっちゃうんですよ.けっこう活動歴は長くて(笑).ウェブが最初に流行り始めたっていうか,一般化した頃からやってるので,作品作ったりしているときにお互いに話すことのなかで,例えば「GIFとJPEGどっちが硬い?」というようなことが出たりするんですよ.これはAPMTでもプレゼンで出して,会場の人にどっちが硬いか聞いたんですけど.

渡邉:そのときは,思いのほか僅差で,大した差は出なかった印象があります.

千房:うん,若干GIFが多いかな? っていうくらい.どういうことかというと,GIFとJPEGって画像の形式じゃないですか.画像の形式に硬さなんかないわけですよ,本当は.でも,「どっちが硬いか?」って聞かれたら,確実にGIFのほうが硬いって言えるっていう,そういう感覚があって.

畠中:それはどうしてですか?

栗田:ふつうに,「うん」ってうなずける感覚があるんです.

谷口:うなずける感じですよね.

畠中:えっ本当(笑)?

渡邉:いや,本当ですよ.「わかるわかる」って.

栗田:最初に聞いたときに,「ああそれ,全然GIFです」って.

youpy:JPEGはぬめっとしてる……感じがします.

畠中:ほう,なるほどねえ.

千房:そうなんですよ(笑).そういうことが,もう言えるようになってきてる気がしていて.あとたとえば,「Flashの角に頭をぶつけて死ねるか?」みたいなことを話したりもしていて(笑).たとえば,昔ウェブでインタラクティヴなものを作るときには,FlashかJava Appletか,他にもShockwaveとかが選択肢としてあったんですけど,そのなかでJava Appletの角は,触ると切れそうな感じがするんですよ.すごく危ない感じがして.そのJava Appletの危うさというか,けっこう不安定なところが,うちの作品のテイストと合うという理由で,Java Appletという技術を選ぶということをやっていて.
 で,これは,Webの質感なんじゃないか? って思ったんですね.とはいっても,15年活動してきて自分たちはそういう質感みたいなものを感じる一方で,そういった作品のマテリアルを表に出すことは,あまりできないなと思っていました.でも最近,だんだんそれができるようになってきているように感じています.
 例えば,2009年に始めた《SUPERNATURAL》という作品では,そういうものが前面に出てきているような気がしています.どんな作品かというと,まず“超能力”でスプーンを半分に割って,その片方をある場所に置き,もう片方はギャラリーのスペースに置いて,その両方をウェブ中継する.そしてそのウェブ中継上で,壊れたスプーンをピタッと修復する……というものです.展覧会の会場に入ってきた人は,投影された映像を見るんですが,それ以外にギミックやインタラクションはなくて,ただ目の前に,でかいスプーンが修復されている.
 このときにUstreamを使ったんですけど,Ustreamを使うと,わざわざ説明しなくても生中継だってわかってもらえる.たとえば,これをYouTubeでやったらまったく意味が変わっちゃうんですよ.それはいったいなんだろう? ということを考えたときに,Ustreamがもっているシステムとか,他にも「以前見たことがある」という個人の経験が,作品に質感を与えている.あと,最近のウェブ・サーヴィスのコミュニティ——そこにどんな人たちがいるのか,というようなこと——が質感として現われてくるということがあるんじゃないか,と思いました.
 そのときにAPMTの「インターネット・リアリティ」という言葉が出てきた.僕らはプレゼンで「Webの質感」と言ったんですけど,それはたぶん,インターネット・リアリティのサブセット……つまり,インターネット・リアリティは,「Webの質感」の上位概念なんじゃないか.ネットにしか存在しないリアリティ,というか.Webに存在するコミュニティやソーシャル・ネットワーク,またはインフラ的なものに,質感やリアリティのようなものがあるというようなことって,いままで言われてないような気がするんですね.だから,それを一回,ちゃんと追究してみるのは,すごくいいんじゃないかと思いました.
 そんなときに,ICCが節電のため一時休館するという状況が発生した.

(一同笑)

千房:それを聞いたときに,「じゃあネット展をやればいいじゃん」と思ったんですね.場所が節電で開けられない,だったらネット上でやればいいじゃんって思って.そこで畠中さんに「ネット展やったらいいんじゃないですか」と話をしたら,ちょうど思い出横丁もそういう提案をしていたらしくて.それで,じゃあ,誘って一緒にやったら,おもしろいんじゃないか.そういうふうに考えたんですね.

ネットが特殊なものではなくなった現在におけるネット展のありかた

千房:ただ,いままでネット展みたいなことは経験があるんですが,なんかものたりなくて.なんていうんですかね,実際の展示には絶対勝てないというか(苦笑),なんか足りない感じがするんですよ.でも,いま「インターネット・リアリティ」というものがあって,みんながネットにリアリティがあると言えるんだったら,その上でやれば普通の展示に勝てるということが起きるかもしれないな,と思って.それを考えたいんですよね.
 いままでのネット展って,普通の展示の劣化コピーみたいな状態が多いような気がします.形式も,グループ展だったらいろんなアーティストを集めてきて,ウェブページが展示会場のような見せ方をするじゃないですか.もしかして,そのやりかたに限界があるのかなと思って.いまはTwitterとかをはじめ,みんながネットにずっとつながっているような状態なので,じゃあその状況のなかで,ふだんの生活のなかにいきなり入ってくるとか,継続的にずーっとなにかやっているとか,そういうことをつなげてネット展みたいなことができるんじゃないか.それを最終的には実現したいなと思っています.

畠中:これにも,実は……まあそんな長くもないけど,長い(笑)歴史があるような気がします.2009年度のウェブ企画で「ICC メタバース・プロジェクト」をやったとき,エキソニモに《ゴットは、存在する。》を展示していただきました.「メタバースを使って作品を作る」というのが前提だったんですが,企画段階初期に(関係者から)出てきたのは,やはり「ヴァーチュアル・ミュージアム」的な(笑)発想でした.
 さっき「劣化コピー」とありましたが,たしかに,実際の展覧会の代わりをウェブ上に作っても,しょうがないという意見もあります.「メタバース・プロジェクト」では最初に「メタバース研究会」として座談会やインタヴューをやったんですが,そのときすでにいわゆるセカンドライフ的な,代替現実みたいな話はほとんど出てきませんでした.それがよかったかどうかは,わかりませんが.
 「リアル」と「ネット」というものを考えたときに,リアルの反映としてネットがある,みたいな捉え方がありましたが,一方で——メタバース(・プロジェクト)のときだったかな,うろ覚えなんですが——「サイバースペース」とはいっても,実際にそこに空間があるわけではない.さっき物理的な場所がないという話がありましたけど,まさに物理的な空間はないわけですよね.そこに振れ幅がある.
 いままでのお話は,現実のリアルとは別に,ウェブのリアルっていうものも,実際にあるはずだということですよね.GIFとJPEGというのはいい例えだと思うんですが,たとえば絵を描く人が画材として絵具を選ぶのと同じように,コンピュータでものを作るときにも自分が表現するものに応じて(技術やサーヴィスなどを)素材として使い分けられるようになってきたという状況があるわけですよね.

千房:そうですね.たとえばアート作品を作るとしたら,素材ってすごく重要じゃないですか.たとえば彫刻作るとしたら,木で作るのか,鉄で作るのか,それとも石で作るのか……って,めちゃくちゃ重要ですよね.同じように,どのウェブ・サーヴィスとか,どういう技術を使うかっていうことが,すごく重要だと思う.でもそういうの,ネット上の作品ではそんなに意識されてないような感じがする.ただ「ネット使えば新しい」みたいな.でもそういうのは,もう成り立たないと思う.もうすでにネットは特殊なものじゃないし,全然普通になっちゃってるから.だから,「インターネット・リアリティ」とは言ってますけど,最終的にはネットワークの部分が消失して,ただの「リアリティ」になる——ネット・アートがただの「アート」になるというか,そういうことなんじゃないかなと思ってます.

畠中:さきほどの栗田さんのお話で,ウェブの特徴として,非・場所,非・物質みたいな話がありましたが,でも実際は〈場所〉も当然あるし,物質じゃないけど,マテリアルとしての質感もあるという話ですよね.

栗田:はい.それが15年でけっこう,バーって変わってきたのかなぁって.

千房:あとさっきの,ネット上にあるふだんのリアルみたいなものを,そのまま作品に展示するという話では,例えばyoupyとかは,いつもやってるじゃないですか,そういうなんか……ネット上で(笑).

(一同笑)

youpy:ああ

千房:いつもなんか,やってるじゃない.ヘンなことを…ヘンなことっていうとアレだけど(笑)

youpy:発言とかね

(一同笑)

千房:発言じゃなくて(笑),なんかいろいろ,あの……場所,位置情報を騙したりとか.

youpy:はい

千房:あと,Flickrに画像上げるとか.そういうのって,たとえば展覧会でやってるわけじゃなくて,ネットの中にしみこんで,ずーっと続いてるという感じ.そういうのを切り取って,「これアートだよ」と言って,ちゃんと批評するとか,そういうのをやったほうが絶対面白くなるような気がして.……そういうのができたらいいですよね.

渡邉&栗田:そうですね.

渡邉:じゃあ,次いきましょうか

畠中:じゃあ,渡邉さんから.

既存のサーヴィスにスクウォッティングして新しい使い方を提示する

渡邉:渡邉です.栗田さんが主宰されているCBCNETというウェブ・マガジン上で,隣にいる谷口くんと一緒に「たにぐち・わたなべの思い出横丁情報科学芸術アカデミー」 という,メディア・アートの制作にまつわる連載をやっております.最近はもっぱら司会業が目立っているので,連載のことをご存じない方も多いかもしれません.まずは簡単に,僕個人の日頃の営みのようなものをご紹介したうえで,さきほどの千房さんのお話につなげられればと思います.
 まず,今日(2011年7月24日)くしくもテレビの地上波アナログ放送が終わってしまいましたけど,学生時代の2005年ごろは《IAMTVTUNERINTERFACE》[※02]というテレビ放送を素材に使った作品を作っていました .

畠中:そうか,まさに今日やるべきだったね.

千房:これどういう作品なんですか?

渡邉:これは,放送中の地上波テレビの映像や音声をリアルタイムにサンプリングして,それをもとに構造体のようなものを構築していく,というインスタレーション作品です.構築にあたっては2ちゃんねるの実況板の状況を計測したデータなどを使用しています.インターフェイスにはテレビのリモコンをそのまま使っているので,いちおうインタラクティヴな作品だと思っています.僕は昔からテレビの猥雑な感じだったり,こちらの意志とは関係なく情報がねじ込まれる感じが大好きで,ずっとテレビの映像をマッシュアップしたりしながら映像を作る,といったようなことをしていました.でも,みなさんも感じられているように,いつしかテレビがすごくつまらなくなってしまって,あんまりこういうことやる情熱みたいなのが,なくなってきた(苦笑).

千房:これテレビがおもしろいからやってたの(笑)?

渡邉:そうですよ! もちろん(笑)!

千房:テレビが面白くないからやってたんじゃないの?

(一同爆笑)

渡邉:そんなわけで,去年くらいからインターネットを使った作品を作るようになってきました.

畠中:というかまさに,インターネット展覧会をやってたんじゃない.

渡邉:はい,それが「redundant web」です.谷口くんのキュレーションのもと,僕を含めた九人の作家が集まり,インターネットを使った小さな作品を作って,それを展示していました.公式ウェブサイトがいまではもう見る影もなくなっていますが(笑),もともとはちゃんとしていたんです.

(一同爆笑)

渡邉:いま,こんなありさまになっているのは,今年の年始に谷口くんの発案で,展覧会の参加者全員で「福袋.zip」という,作品になりきらなかった断片とかコードとかを寄せ集めたZIPファイルを公開していたからです.1GBくらいのファイルサイズがあったので,公開してすぐレンタルサーバーの転送量制限にひっかかって,BANされてしまいましたが…….

千房:なんかZIPがもっているパッケージ感みたいな……それも,こっちから勝手に言わせてもらえば,ウェブの質感…….

(一同笑)

渡邉:そうですね,どっちかっていうと「デスクトップ・リアリティ」的なんですけど,Mac OS X上のZIPファイル(のアイコン)って,律儀にジッパーがついているじゃないですか.ああいう感じが,「福袋」のもつパッケージ感と結びついているというのはあると思います.
 それで,その「redunant web」展で発表したのが《UNIQLO_(SUPER)GRID》(2010)[※03]という作品です.これはその名のとおり,中村勇吾さんらが所属するtha ltd.が制作したUNIQLOのキャンペーンサイト「UNIQLO GRID」を利用した作品です.元ネタになっている「UNIQLO_GRID」というのは,そこにアクセスしている不特定多数のユーザーでUNIQLOのロゴをいじったりするサイトで,《UNIQLO_(SUPER)GRID》では,このサイトにBotのようなものを走らせています.簡単に説明すると,この作品用のTwitterアカウントがありまして,参加者がそれに向けてつぶやきを投稿すると,そのつぶやきの内容が「UNIQLO GRID」上にひたすら書かれていくというものです.「しまむら」とつぶやけば,UNIQLOのキャンペーンサイトに「しまむら」と書かれるという.
 これを作った当時に考えていたのは,お客さんが参加するタイプのキャンペーンサイトがウェブ上を席巻してますよね.それこそ千房さんが手がけられた「IS Parade」[※04]も,それに近いのかなと思います.で,さきほどサイバースペースという話が出ましたが,そういったユーザー参加型のキャンペーンサイトというのは,大規模な公共空間のような側面があると思うんです.そこに対してグラフィティを書くといったら大げさですが,スクウォッティングして,本来の用途ではない使い方をしてみたい,そういうコミットのしかたがありうるのではないだろうか,ということを考えていました.
 あとは「UNIQLO GRID」には,そのサイトを楽しむために一定のルールみたいなのがあるわけですよね.たとえば,フィールド上にマウスで円を描くと,UNIQLOのロゴが現われたり,ロゴを横切るようにマウスをドラッグすると,ロゴが分割されたり……といったことです.そうしたルールが,「UNIQLO GRID」でできあがるコンテンツの性質を決定づけているわけですが,Botを使って無理矢理ルールを追加することによって,そこで生まれるコンテンツの性質や方向性を変えることができるんじゃないか,ということも考えていました.

もうひとつインターネットを使った作品を紹介させてください.最近,《somehow camera》(2011)[※05]というiPhone用のカメラアプリを作りました.これは,撮影した写真に「よく似た」写真をネット上からピックアップしてきて,それをTwitterに投稿するというものです.たとえば,僕の職場には大きな公園が併設されているのですが,このカメラアプリを使って,そこで写真を撮り,コメントをつけて投稿したとしましょう.たとえば「きょうはいい天気」とか.すると,このカメラアプリが僕の撮ったその風景写真に似た写真を探してきて,その写真を僕がつけたコメントと一緒にTwitterに投稿するわけです.結果どうなるかというと,僕が撮った写真ではない,関係ない他人の写真に,僕のコメントが付いて投稿されるわけですね.ただ,僕が撮った写真にはよく似ていて,確かに晴れている屋外の写真だから,対外的には意味は通じるんです.撮影した人間が指し示して,共有したい対象と,結果的に指し示した対象が一致してなくて,微妙にずれているんだけど,コミュニケーションとしては妙に成立している,というそういう状況を作り出すアプリです.
 さきほどyoupyさんがふだんいつも変なことをしているという話がありましたね.たとえば,foursquareをいじって,しょっちゅうタイのセブンイレブンで買い物をしているように見せかけたりするみたいな.ある種そういうことに近いと勝手に思っていて,自分の人格とか,あるいは自分の日常にインストールするタイプの作品といったらいいでしょうか.Twitter上の自分の言動を強制的に変質させるフィルターのようなものをつくって,それこそ「Twitterの中のわたし」を変える.そうすることで,TLに僕のつぶやきが表示されるみなさんに違和感を覚えさせることができないかなと思って作りました.

千房:うん,おもしろいね.

渡邉:ありがとうございます.先ほど千房さんのプレゼンで,これまでのネット・アート展は,実空間での展覧会の劣化コピーにすぎないのではないかという話がありましたが,基本的には僕も同意です.そうならない方法はないかなと模索しながら作ったものがいまご紹介した二つの作品です.

《祈》と《YouTube》——ウェブ・サーヴィス固有のパーツをマテリアルとして扱う

渡邉:それでは,千房さんのお話から続けていきましょう.僕はエキソニモの《ゴットは、存在する。》における《祈》という作品がすごく気になっている,というかおもしろいと感じています.なぜそう感じるのか,自分でも興味深いんですね.この《祈》という作品は,コンピュータの前に置かれた二つの光学式マウスが,手のひらのように合わさっていているんです.その合わさり方が少しずれているためか,マウスの裏側のレーザーが点滅していて,光学センサーがそれをお互いに読み取り合って,画面上のカーソルが少しずつずれていくというものです.

千房:光学式のマウスの合わせ方の案配によって,なぜかカーソルが動きだすんですよ.

渡邉:そうそう.それだけでもちょっと奇跡っぽいわけですが,マウスがどういう目的でつくられていて,光学マウスはどういう仕組みになっているのか,ということを僕らがわかっているから,カーソルが動いてしまう理由はなんとなくわかるんですよね.で,その延長で,あの調子でいくと,なにかの拍子にデスクトップ上のファイルとかをクリックし始めるんじゃないか,そういうことを予期させるところもあるんです.そういう,読み解けたり,その発展で読みすぎてしまう感覚が不思議だなと思っていて,今回こういう機会で,そのメカニズムをもっと解き明かしたり,いろいろなヴァリエーションを探っていけるといいなと思います.
 こうしたことを踏まえて,今日は僕がインターネット・リアリティを感じる作品を二つピックアップしてきました.一つはエキソニモの《SUPERNATURAL》です.この作品はさきほど千房さんがほとんど説明してくれたので,もう説明は不要かと思います.もう一つは,ucnvさんという,日本におけるグリッチ帝王みたいな人がVimeoにアップロードしている《YouTube》という映像です.

これはYouTubeのシークバーの部分をキャプチャした映像を,Vimeoにアップロードしてるんですね.この映像を見てると,このYouTubeのシークバーを掴んで左右にドラッグしたくなるんですけど,あくまで映像なので実際にはそんなことはできないし,シークバーをドラッグしようとして,そこにカーソルをもっていくと,Vimeoのシークバーが出てきてしまう.
僕らがYouTubeで映像を見るときには,あまり意識には上ってきませんが,実はいろんな要素があるわけですよね.シークバーもそうだし,ヴォリュームを調整するボタンだったり,YouTubeのロゴだったり.そういったものを,暗黙の了解としてスルーするのではなく,作品を構成するひとつのマテリアルというか,事物のレベルにまで還元して,それに対して自己言及的な態度をとる感じがこの映像にはあるように感じます.

youpy:類似サーヴィスの,VimeoとYouTubeの差異みたいなのが出てくるっていうか.

渡邉:そうそう,そのあたりをすごく意識させられるわけです.Vimeoにあることによって,YouTubeに固有の素材感みたいなのが強調される.そういう意味で,この映像作品が非常に気になっています.
 《SUPERNATURAL》をピックアップした理由も同じです.サーヴィスに固有の画面上のパーツみたいなものを,きちんとマテリアルとして扱う.そのマテリアルには性質がありますから,無限の可能性をとるわけでもないし,かといって単一の可能性をとるわけでもなくて,いくつかの可能性がある.その可能性をつなげていって,それをお客さんに読み取らせる,みたいな感じの作りかただと思うんですよね.たとえばUstreamのロゴが透かしで表示されていることによって,「ああライヴなんだな」ってことがすぐわかるし,ふたつの画面の背景が違うことから,同一時間軸上の違う空間なんだ,ということも当然わかる.
 そういうことをうまくコンポジションしていくことで作品を作っていくのが,インターネット・リアリティっぽい作品なのかなぁ,と思っています.ただ,ucnvさんの映像は,どっちかというとデスクトップ・リアリティよりのアプローチかもしれないなと思ってるところもあって,それはうまく説明できないんですけどね.

千房:Vimeoの上にあるインターフェイスを期待しているところを完全に裏切って,そこにYouTubeがきてる.だから,たぶんVimeoとかYouTubeを知らない人が見たら,まったくわかんない.でも知っていれば,自分がふだんネットやってるときの記憶と結びついて,すごい違和感が生まれちゃう.

谷口:そうですね.さっき千房さんが批判的に言っていた「インターネットを使えば新しい」系の作品がどういうものかというと,「インターネットとかYouTubeをこういうふうに使うから,文脈的にこういうふうにおもしろい」みたいに,文脈とか社会的な問題にコミットする作品が多かったんじゃないかと思うんですよ.いまucnvさんの映像とか《SUPERNATURAL》を見ていると,YouTubeとかUstream,もしくはVimeoっていうそれぞれのサーヴィスがもっている固有の質感みたいなものを意識して,コンポジションをしているだけなんですよ.そこには,明確に文字に起こせるようなコンセプトは存在しない.それは,やっぱり質感の問題なのかなと思うんです.コンセプトじゃなくて,質感がどのようにコンポジションされているかという,その強度とか弱度の問題ですよね,接続の.

千房:そうそう.

渡邉:それが重要なポイントだと思うので,今回の座談会や,展覧会で掘り下げていきたいですね.美術作品としてはわりとオーソドックスな作り方でもあると思うので,いろいろ他のジャンルの美術作品などとも結びつけながら,議論できるのかなと思っています.
 あとアメリカに「Paint FX」というPhotoshop系のアプリケーションのデフォルトのエフェクトをそのまんま積極的に使って描いたような絵を集めたウェブサイトがありました.ジョン・ラフマンとか,CBCNETでもインタヴューをしていたパーカー・イトーとかが立ち上げたプロジェクトです.この話はそうした流れともつながるのかなと思っています.日本固有の問題ではないと思います.
 あと,きょうはyoupyさんもいるので,思い出したのですが,前にyoupyさんにお会いしたときに,シンセでしたっけ? プリセット音源だけで音を作るのに最近ハマってるとか…….

youpy:MIDIで

渡邉:MIDIだ

youpy:そのまま流したりとか.

渡邉:そうそうそう

youpy:そういう,素材そのまんまとか,Photoshopそのまんまっていうのが,昔はすごく嫌われてたけど,いまはそれが逆に新しいんじゃないかっていうのが,すごくあって.

渡邉:そのあたりとつながってくるのかなと.

でかいウェブ・サーヴィスは大自然っぽい?

渡邉:あとは,やっぱりメタファーの問題があるかなと思っています.これはyoupyさんのFlickrなんですけど.

渡邉:これは全部で……

youpy:(約)1600万色を入れる予定で.でもいまは500万色ぐらいかな.

渡邉:まあこういうかたちで,1色1色って言ったらいいんですかね……

youpy:そうですね.

千房:RGBの数値を一個ずつずらして,全部上げてくっていうことですよね.

渡邉:256の3乗(=1,677,216)色ってことですね.Flickrという写真共有サーヴィスの上で,そういうことをやっている.いま,世界で一番写真がアップロードされているんでしたっけ?

youpy:Flickrでたぶん一番上がってる.

(一同爆笑)

youpy:これって実際のプログラムは10行ぐらいなんですよ.でも,そんな簡単なものでこれだけインパクトあるものができるのが,インターネットのすごいところだと思って.

渡邉:これを見ていると,僕はウォルター・デ・マリアの《マイル・ロング・ドローイング》(1968)とかを思い出すわけですよ.あるいはリチャード・ロングの《ア・ライン・イン・ザ・ヒマラヤ》(1975)とか.白い石集めてきて一列に並べて白い線を作る,みたいな自然環境に対する最小限の負荷で,壮大なものを作る……みたいな感じがすごくあるんです.なんでそう思うかっていうと,そもそもでかいサーヴィスってなんか大自然っぽいんですよね.

(一同笑)

渡邉:個々のユーザーのアカウントのページとかは,庭っぽくもあるんですけどね.盆栽や植木が置いてある感じ.でも全体の集合として捉えたときに,すごく大自然ぽいって感覚があって.このyoupyさんのは,とてつもなくでかいランド・アートみたいなものがあるという感じなんですよ.

千房:あれ,Flickrでやっているから意味があって.たとえば同じことをFlickrじゃなくて自分の作ったオリジナル・サイトでやってもまったく意味がない.そこらへんだよね.

渡邉:他者と比較することによって,Flickrのアーキテクチャが浮かび上がるし,同時にyoupyさんの特異性も浮かび上がるんでしょうね.

千房:あとFlickrにいくと,だいたいみんな普通の写真がメインだから.それを期待するんだけど,全然そうじゃない.

渡邉:本当にそうじゃない.ちなみに,これAPIを半自動的に叩いているから,それってショベルカーみたいな工作機械を使っているのと同じなんじゃねぇのって気もしていて,そういう意味ではロバート・スミッソンとかの方が例えとしては近いのでは……みたいなことも,ちょっと考えたりしたんですけど,この話は展開がないんで置いておきましょう.ともあれ,SNSとかCGMが登場して,それらがAPIを提供したことによって,ユーザーがウェブサイトに対して能動的に介入できるようになったという感じがします.ネット・サーフィンという言葉は大昔からありましたが,それは誰かが作ったコンテンツを受け手が切り替えているだけにすぎません.それとはちょっと違う,コンテンツを作る/コンテンツを変えるという能動性が出てきたと思います.この能動性がある種の身体性みたいなことと結びつきつつ,インターネット上の存在するさまざまな事物の現前性といったら大げさだけど,そうした感覚をより感じられるようになったのかなと思ったりもしていますね.
 これはちょっと余談になりますが,サーヴィスとか,サーヴィスの機能の名づけの問題もリアリティに影響を及ぼしていると思うんですよね.たとえばFacebookで「あいさつ」って機能あるじゃないですか.あんなの,僕らが実空間でしているあいさつとはおよそかけ離れていますよね.だって,Max/MSPでいったら単なるbangですからね[※06]

(一同笑)

渡邉:それを「あいさつ」と名づけたことによって,「『あいさつ』されたからには,し返さないといけないんじゃないか」っていう脅迫観念にかられたりする(笑).このあいだyoupyさんのFacebookのウォールのところに「あいさつ2秒くらいで返ってきた」みたいなことが書いてあって,要するにFacebookの「あいさつ」が2秒で返ってきたことに驚いたわけですよね.それはたぶん偶然の産物だと思うんですが,意図的に2秒で返しているとするならば,Facebookに常時張り付いてリロードを繰り返さないことには不可能な数値です.でも,あいさつを2秒で返すの,実空間だったら遅すぎますから(笑)

(一同笑)

栗田:「あいさつ」は英語版Facebookでは「poke」,つまり「つっつく」といいますね.だからサーヴィス,国によって全然質感が違ったりすることもあるのかなと.

渡邉: Twitterも昔は「poke」に近い「nudge」,つまり「小突く」という意味の機能がありましたね.ほかにもTwitterだと,「つぶやき」とか,そういう行為を表わす言葉が機能に割り当てられることで,どうしても想起してしまうイメージってあって,それは大きいのではないかと思っています.とはいえ,今回はあんまり重要ではない可能性もあると思うので,あくまでちょっとしたトピックとして.ひとまず,そんな感じですかね.じゃあ,次は谷口くんお願いします.

過去の出来事やその記録を現在に重ねあわせる

谷口:思い出横丁情報科学芸術アカデミーの谷口です.今日のテーマは「インターネット・リアリティ」ですが,その「リアリティ」っていう言葉が漠然としていて.このまま「リアリティ」って言葉を曖昧なまま使い続けると,そこで思考停止しちゃう部分もあるかもしれないと思うので,ここでひとつ真面目に,こういうモデルで「リアリティ」ってものを説明できるんじゃないかっていうのを——僕が今回提示するモデルが,必ずしもすべてではないと思うので,一側面として——ちょっと説明できればいいかな,と思っています.

まず最初に自分の作品のなかから,共通の構造をもった作品を四点紹介します.
 一つめは,2008年に作った《jump from...》[※07]という作品です.これは,モニターの右上の方に『スーパーマリオブラザーズ』の画面があって,実際にプレイできるんですね.実際に映像を見てみます……

千房:これは映像作品なんですか?

谷口:いや,実際にゲームとしてプレイできます.あらかじめ僕がプレイして——マリオの1-1のステージなんですけど——ありとあらゆるところでジャンプする映像を全部,記録しとくんですね.で同じ場所で鑑賞者がジャンプしたら,その映像にバッと切り替えちゃう.あらかじめデータベースとしてあったものに重なっちゃったときに,過去の僕にもってかれちゃう感じですね.鑑賞者がマリオをプレイしているのか,過去の僕がマリオをプレイしているのかわかんなくするということをやってます.

千房:これやってみたらどんな感じがするんですか? 気持ち悪い?

谷口:ごくまれに,画面の中に映っている人を自分だっていうふうに勘違いする人がいるんですよ.僕に容姿が似てる人.

(一同笑)

谷口:そうすると,リアルタイムにウェブカメラで撮られてるんじゃないかって,後ろを振り向いたりするんですよ.そういう錯覚におちいる人が,ときどきいますね.女性の場合はあんまりなくて,やっぱり男性で僕と容姿が似てる場合だけなんですけど(笑).

二つめは,思い出横丁の連載で作った作品で,タイトルが《夜の12時をすぎてから今日のことを明日っていうとそれが今日なのか明日なのかわからなくなる》(2010)[※08]という作品です.これは《jump from...》と同じような作品で,右側にモニター,左側に本物の時計があるんですね.右側は,映像として撮影された時計です.12時間分録画してあって,実際の時刻とぴったり同期して動いている.完全にレコードされたものが,いまの時刻にぴったり合わせて,再生されているだけという状態です.
 思い出横丁の第二回の連載の中の作品制作の課題として「幽霊を作る」というテーマを設定したんですね.それで「メディア・テクノロジーを使ってどういうふうに幽霊を作ることができるか?」と思ったときに,まず動画を撮って記録,再生するということを考えました.だけど,例えば映像の中に映っている人が銃を向けてこっちに発砲してきても,別に驚かないわけですよね.なぜならその映像の中に映った銃は,銃としての機能を失って,表面の映像しかないから.映像の中に映ったものはすべて過去のもので,機能することはないわけです.で,いろいろ考えてみて,「じゃ機能するものなにかないかな?」と思ったら,時計だったんですよね.ここではクォーツとか歯車とか,物理的な時計の構造が失われてて,時計の表象しかないんですよね.時計の映像しかないんだけれども,実際にいまの時を刻むことによって,時計として機能する.だからこれは,身体をもっていないけど見えてしまう幽霊と一緒で,物理的な構造がなくて表象しかないんだけれども,現実に影響を与えるというか,実際に時計として使えるということによって,機能し,影響を与えられるんじゃないか,と考えて作りました.

ここまでが実際にものがあるタイプの作品で,残り二つがインターネットを使った作品です.三つめは,2009年に作った《lens-less camera》[※09]というiPhone用のウェブアプリです.実際にアクセスして「shoot」ってボタンを押すと写真が撮れるんですが,なにをやってるかというと,iPhoneにはGPSが内蔵されているので,位置情報を取れる.その情報をもとに,Googleストリートビュー上の同じ位置の画像にアクセスするんですね.そうすることによって,過去にGoogleストリートビューの車が撮った写真で写真を撮ったことにしちゃおうと.時間とか撮った人も違う,けれどもだいたい同じ場所の写真が撮れるという.

千房:渡邉くんの《somehow camera》とちょっと近いものがある.

谷口:そうですね.もう一個,一番最近作った——作品というよりはスケッチなんですけど——《dejavutter》というTwitterアプリです.これはなにかっていうと,サイト上で「デジャブする」ってボタンを押すんですね.そうすると,過去3000件ぐらい遡って,昔のつぶやきをランダムに勝手に投稿する.過去のつぶやきをひっぱってきてもう一回出すことによって,時空歪むんじゃねえか,みたいな(笑)ことを,やっている.

畠中:最近(Twitter上で)アーサー・C・クラークが死んだっていうニュースがあったじゃない?[※10]

谷口:ありましたね,はい(笑)

畠中:3年前の,もしかしてそれかな?

谷口:いや,それはどうかなと思うんですけど…….

畠中:それは関係ないか.

谷口:でもTwitterって時々そういうことありません? 調子悪いっていうか,昔のつぶやきが出てきたりして.知らない人がつぶやいたら,それがバーッと波及して,さっきのアーサー・C・クラークのような問題が起こったり.

千房:前にTwitterが調子悪かったときがあって,どういう状態だったかちょっと覚えてないんですけど,それこそ他人の発言が見られないとか,自分の発言が反映されないとか,ちょっとヘンなふうになってたときがあって.そのときは,自分が頭おかしくなったような(笑)感じがした.Twitterが,自分の感覚? 神経の一部みたいになってるというか.システムがおかしくなることで,世界がおかしな世界に変わっちゃうみたいな.

谷口:ありますよね.dejavutterでつぶやくと,それに対してリプライがついたり,Favがついたりするんですよ.一番ひどかったのが,一か月前ぐらいのイヴェントの情報をもう一回僕が投稿してて,友達がそれを見て間違えてそのイヴェントの会場に行っちゃったんですよ(笑).それで行ったら,イヴェント・スペースが閉まってて,すごい怒りの電話がかかってきた(笑).そうなると,ほんとに現実の空間が歪むっていうか,時空がおかしくなるっていうようなことが起きたかな,と思いますね.
 なんでこの四つの作品を紹介したのかというと,すべて過去の出来事=記録されたものを用いているという共通点があります.過去に起きた出来事や,それが記録されたものを,いまの時間や,同じ場所に重ねあわせるってことをやっているんですね.

千房:なんかそういうのって,データは古くならないっていうこととも関係ある気がする.

谷口:ありそうですね.さきほどから,APIの話があったり,栗田さんからコンテクストをミックスするという話もあったんですけど……表象にあるタイムラインとは別にデータに直接アクセスできることによって,出てくる可能性もあるんだなっていうのがありますよね.あとdejavutterに対してはすごくヒステリックな反応が多くて.みんな試したら,(dejavutterで投稿された過去のつぶやきを)全部削除しちゃうんですよ.「なんてひどいことを!」って(笑).「おまえそれ自分のつぶやきだよな」って思うんですよ(笑).

千房:そこすごい,なんか重要……

谷口:重要なことですよね,時間軸が一致するっていうことに意外と執着があるし,そこにアイデンティティがある.けれどTwitterのつぶやきの文字そのもの,データそのものにはそういった時間的一致を要請する構造はないんですよね,インターフェイスとして「私」が仮構されている感じがある.先ほど渡邉君がふれた,「あいさつ」の名づけの問題とも関係してくると思う.

リアリティとはなにか——〈私〉が死んでも世界が存在しつづける確からしさ

谷口:ここでいったん切って,冒頭で話した「リアリティ」って言葉をちゃんと正確に考えようと思います.「リアリティ」を辞書で調べると「現実感」という言葉が出てきます.だけどふだんの生活において,そのふだんの生活を指さして「リアルだ」とは言わないわけですよね.無意識に過ごせているわけです.じゃどういうときに,それが「リアルだね」と言うのか?
 例えばそれは,本物みたいによくできたCGなんですよ.それに対して「超リアル」と言う.でも本物が出てくると,べつに普通なんですよね(笑).なぜふだんの,現実の生活に対して「リアル」と言わないのか.これは仮説ですが,ふだんの現実はあまりにも無意識に生活できるから,それは無意識に動かせるこの手足とか指のようなもので,全然意識に上ってこない.たとえば,家を出るときに鍵かけたかどうかってけっこう忘れるじゃないですか.てことは,もう意識せずに行なっちゃってるわけですよ.鍵をかけるって,家のドア閉めて,鍵を持って,回す……ってけっこう複雑な動作なんだけれども,繰り返していくうちに意識に上ってこなくなっちゃう.それくらい,ふだんの生活を送るっていうのは自明のことで,それは本来リアル(現実)なんだけれども,全然意識には上ってこない.
 じゃあ,その自明のものが意識に上ってくるときっていうのはどういうときか? 自分の身体で例えてみると,しびれとかケガをしたときではないか.腕を下にして寝ちゃったときに,すっごいしびれて,朝起きたら全然動かないことがありますよね.これがすごい気持ち悪いなと思って.こういうときって全然自分の腕のように感じられないわけですよね.他人の腕だったりとか,なんか肉のかたまりのように感じる.ケガしてギプスを着けても同じようなことが感じられると思う.この他人の腕のように感じられたりとか,肉のかたまりとして感じられる腕っていうのはなにかといったら,これは客観的事実だと思うんですね.つまり,ふだんちゃんと動くときは「私の腕」として経験するから,それは主観的経験ですよね.〈私〉にだけ見えている.一方,それがしびれてうまく動かないとき,他人の腕のように感じる.これは例えば僕が渡邉くんの腕をつかんでいる時と同じ感覚ですよね.反対に渡邉くんが僕の腕をつかんでも同じように感じるから,これは客観的な事実なんですよね.「肉のかたまり」というのも事実です.つまり,他の人にも同じように見えるという客観的事実が,ここで起きている.このとき,「私の腕」が,同時に「他人の腕」や「肉のかたまり」としても感じられるということが起きるわけですね.これが拡張していけば,〈私〉がいなくてもこの世界が存在しつづけるっていう確かさになるんじゃないかなと思うんですよね.
 すごい伝わりにくい話で申し訳ないんですが(笑).自分の腕が他人からはこういうふうに見える/感じられるという事に気づくということはつまり,僕がいなくても,僕が見ていなくても,この世界が存在する確かさだと思うんですよ.それがリアリティなんじゃないかと.さきほどのリアルなCGの例でいえば,僕が見ているように他の人も見えているんだ,ということに気づくことによって,リアルなCGが「超リアル」だと思うわけですよ.僕だけに見えているものを見て「リアルだ」と言えないのは,そういう客観的な事実の担保がないからだと思うんですよね.栗田さんがさっき話していた,インターネットでは見ているものがみんなバラバラでコンテクストも共有できない,でもリアルさを感じるっていうのは,なんとなくこれに接続できるんじゃないかなぁと思うんですね.つまり,矛盾するようですが,「みんな見ているものが違う」という客観的事実が見えるっていうことに,一段メタレベルになっていますが,このリアリティのモデルから説明できるんじゃないかとも思える.

で,ちょっと戻って,思い通りに身体が動かせない状態に常にある人物といったらやっぱり赤ん坊だと思うんですよね.それこそ,全身がしびれているみたいに全然思い通りに動かない.そこから,どこまでが自分でどこまでが世界かというのを統合し峻別していって自我を形成するといわれている.自転車に乗れるようになることも同じですよね.それによって「自転車に乗れる私」が形成される.で,〈私〉がいなくてもこの世界が存在する確からしさというのは,鍵かけが慣れてくればもう意識しなくなるということのように,どんどん自明なものとしてもう一回回収されうる.だけど,しびれるとか,事故とかケガとか,「この日に限って鍵が合わない」とかってことが起きると,もう一度それが取り戻されることがある.まとめると,「リアリティ」とは「この私が死んでも世界が存在しつづける」という確からしさで,それは,調停され自明になっていく.だけど,しびれとかケガみたいなことがその確からしさの再発見の契機になっている.
 それをインターネットにつなげて言い直せば,「インターネット・リアリティ」とは,私が見ていなくても,あるいはログインしていなくても,そこにインターネットが存在して,あるいはつながっているというような確からしさのことなんじゃないか,そして,それに出会う契機があって,そこに「インターネット・リアリティ」を見つけるんじゃないかなと.

千房:なるほど.

谷口:栗田さんの,「iPhoneが出てきたことによって変わってきた」って話もそうなんですけど,かつてはダイヤルアップしてつながなければインターネットはなかったわけですよね.だけどいまは,常に接続された端末がポケットの中にあるという状況になってきている.それにどんどんプッシュ通知で情報が入ってきちゃう.そうなってくると,僕が積極的に見ようとしなくても,もう全然僕と関係ないところでインターネットはありつづけるという確からしさが出てくる.それがもしかしたら,インターネット・リアリティのある一側面としていえるんじゃないかなっていうのを,考えました.

千房:このまえちょっと話したけど,僕Twitterがけっこう肌に合うという感覚があって.でも他人の発言はあまり読まないし,自分もあまりポストしないんだけど,でもずっとログインしてるっていう感じがする(笑).

渡邉:[背後を指しながら]ここに流れてるって,言ってましたよね(笑)

(一同笑)

千房:そうそう.だからもし1年間くらいTwitterを見ていなくても,Twitterに自分がいるという感じがあるように思うんですよね.人によってはFacebookかもしれない.

谷口:今ほとんどのウェブ・サーヴィスで,ログアウトって概念が薄らいでるというのもあるかもしれない.

千房:うん

渡邉:そうそう.常時ログインしているし,TwitterのOAuth[※11]などでサーヴィスが串刺しされているということもあります.もちろん,プッシュ通知も大きいでしょうね.

インターネットにおける人称——「1」に見出される自分

谷口:ここからは,最近気になるインターネットの事例を三本紹介します.いままでの話と接続できてるかわからないんだけど,インターネットにおける〈僕〉とか〈誰か〉という人称への意識があって.
 まず……[Ustream画面を見ながら]これ普通のUstreamの画面ですね.えっと……109人見てて,まあ合計視聴者数187になって.いま何人ですか?……130人ぐらい,あんま変わらないですね.こういう感じでやってる.ところが,一人しか見てないUstreamがある.どういうことかというと,僕が見てるわけなんで,インターネットで二人っきりになるっていうことです.つまり,[Ustreamの画面の現在の視聴者数を指しながら]「1人」ってのが,僕なんですね.この,インターネット上で二人っきりになるっていうシチュエーションがけっこうおもしろいなと思って.

栗田:これはどうやって見つけるの?

谷口:Ustreamの画面で,一番新しいものでソートかけて検索するか,もしくは,一番人気のないもので検索すると出てきやすい(笑).おもしろかったんでいろいろ写真撮ってみたんですね.

[以下キャプチャ画像を次々と見せる]

千房:これなに?

谷口:これ,黒人の女の子二人が,キッチンでUstream始めたばっかりの瞬間.

(一同笑)

渡邉:向こうも配信を始めたばかりで,よもや谷口くんがわざわざ日本から来てくれたとは思ってなかったでしょう.

谷口:思ってないと思いますね.やっぱりカウントが1になると,ちょっとみんなドキッとする.

千房:ああ(笑)

谷口:リアクションしてくれたり.

栗田:絶対知り合いだと思ってるもんね.

谷口:思ってますよね.でこういう[画像を切り替える],ちょっとかわいい女の子がやり始めたんですね.学校かなんかで.これはすぐにヴュー数が上がってっちゃったんで,残念.

千房:残念(笑)

栗田:もう少し二人きりになりたかった(笑)

谷口:二人になりたかった(笑).[画像を切り替える]……これもいいですよね.

千房:その数字のとこに自分を見出すってなんかヤバいね(笑)

(一同笑)

谷口:[「1人視聴中」を指しながら]これ私ですね.[画像を切り替える]これも日本で,知らないおっさんが深夜にUstやってて.二人っきりになっちゃって,いろんな犬とか見せてくれたりして.ちなみに僕は一切,チャットとか使わないんですよ.

千房:ああ(笑)

渡邉:完全にROM専なんだ.

谷口:ROM専で.

千房:「1」として存在する.

谷口:「1」として存在する……美学を.

渡邉:神だね,それ.

千房:ある意味神だよね.

谷口:これおもしろかったんですけど[画像を切り替える]……写真撮ってくれたんですよね,僕に.

千房:爆笑

渡邉:これはやっぱり,谷口くんが写っていてほしいよね(笑).

谷口:向こうには写ってないと思うんですけどね(笑)

千房:じゃ,いまって「1」になれるんだ.

谷口:なれるっていう.最後に[画像を切り替える],これが二人になったときに,〈私〉性というのがどのように損なわれるのか? っていうのはけっこう問題だと思うんですね.

(千房:笑)

谷口:一人だったら「あ,僕だ」ってわかるんだけど,二人だったときにどっちなのかわかんない.たしかにこの「2」の中に僕はいるんだけれども,どのようにここにコミットすればいいのかっていうか.

渡邉:もう片方の人も同様の感覚を抱いているんだろうね.

千房:だから「2」になった瞬間に,一気に興ざめだよね.

谷口:これが「3」とか「4」とかになっていくと,〈私〉が薄まってくる感じがするっていうか.

APIに直に触る感じ——live camera stitching,《twitter骰子一擲》

谷口:あと,ライヴカメラっていうのがありますね.これは,96年とか95年ぐらいからある技術で.常にネットワークにつながりっぱなしの低解像度のカメラがあるんですね.

谷口:最大で640×480(ピクセル)ぐらいしか撮れないカメラ.ずっと動画を流し続けているんですけど,APIを叩くことによってある特定の位置の画像を一枚のJPG画像として撮影できるんですね.この作業をカメラの向きをずらしながら,少しずつやっていってつなぎあわせていくんですね.

栗田:これ動いて……?

谷口:いま,本当にリアルタイムに動いています.実際に撮ると,[画像を見せながら]こういう解像度で写真が撮れるんです.ライヴカメラの技術自体は95から96年くらいからあるものなんですけど,それを大量に貼りあわせることによって,いまのデジカメより高い解像度が撮れるんですよ.最大で1,000万画素くらいになります.まあちょっと見落としてた点として,こういう写真が撮れるっていうことが,おもしろいかなと思ってます.あとやっぱりこの……Motion JPEGの質感というか……気持ち悪さっていうのはあるのかなと.

千房:おもしろいね.

栗田:これ全部撮ったやつ?

谷口:撮ったやつです.

栗田:いい写真.

千房:うん.

栗田:なんかジョン・ラフマンとかのあれ[※12]を感じるよね.

谷口:そうですね.

千房:ホックニーとかね.

谷口:そうなんですよ.これは全部撮影し終わるのに,5分とかかかっちゃうんですけど,それでも,いまこの瞬間,その世界のどこかで誰かが生活してる姿っていうのを,1,000万画素ぐらいの解像度で得られるっていうのは……

栗田:そのライヴカメラっていうのは,公開されてるもの?

谷口:公開されてるものですね.

栗田:どうやって探すの? 検索するの?

youpy:検索するテクニックがあって.Webカメラの型番とかで検索するっていう方法が.

谷口:そうです,そうです.本来だったらアクセス制限がかかっていて,パスワードとユーザ名が必要になってくるんですけど,そうじゃないカメラがけっこうある.それを制御するっていう.制御といっても,HTMLに撮りたい画像のURLをバーッとはっつけてくだけなんですけどね.

千房:なんだろうねこの感じ.

千房&谷口:笑

谷口:これについてはあんまり整理できてないんですけど.

畠中:これってさ,カメラが動いてるってこと?

渡邉:ネット上の監視カメラってだいたいデジタル雲台がついていて,見ている人がリモートでパンとかチルトができるんですよ.

畠中:ああ

栗田:そういうのが世界中にあって,ネットで確認するために,オンライン化してるってこと?

谷口:ええ,そうです.

谷口:[画像を切り替える]ここはなんか……研究施設みたいなとこで.雰囲気としては,これ公開していいのかな? ってぐらいの感じなんですよね.

栗田:……なんか,怖いね.

谷口:ですね.こういう……メカメカしいものが(笑),すごい解像度で写ってる.なんか,APIに直に触る感じっていうか,それによってできる感じっていうか.

千房:なんかその,向こうで撮影している感じと一緒に,見れるといいのかもしんない.

谷口:ああ実際に動いてるとこ?

千房:わかんないですけど……うん.

谷口:実際に動いているカメラを……

千房:わかんないけど.うん.

栗田:そのときそのときで撮れるわけだもんね,実際ね.

谷口:そうですね.

最後に, Twitterでタイムラインを見ていると,お互いをフォローしてない二人組があたかも会話してるかのように並ぶ瞬間があるじゃないですか.

千房:ああ

谷口:それで生まれる文脈が気持ち悪いなと思ってたんですよね.あれによって,《lens-less camera》のように,誰かが作ったつぶやきを使って文章とか小説とか詩とか,そういうものを作れないかなと思って,やってみたのが《twitter骰子一擲》(2010)[※13]っていうのです.マラルメの「骰子一擲」っていう詩があるんですけど,その詩の冒頭の文章を,みんなのTwitterのつぶやきを使って作っていくっていう.(「骰子一擲」の)一文字一文字,Twitterで検索をかけていって,その文字列が含まれる最新のTwitterをひっぱってくるんですよ.それで,含まれている文字をハイライト表示で出していく.それが積み重なっていって,ひとつの文章ができあがってくっていう.個別にクリックしてみると,全然関係ないつぶやきなんですよ.中に欲しい文字が一文字含まれているだけで,全然関係ないんだけども,文字列によって串刺しされて取り出される感じとか.こういうこともおもしろいかなと,いま思ってたりしますね.

千房:前にマイケル・ジャクソンの「Billie Jean」をこの方法で歌ってるのがあったけどね.「Billie Tweets」といって,「Billie Jean」の歌詞の単語をTwitterでサーチして,ひっかかったやつらのツイートが歌にシンクロしてバーッとでてくる.

谷口:僕からは,これで以上です.

サーヴィスごとのリアリティ/インフラ化するウェブ・サーヴィス

畠中:いまの話のなかでも,“インターネット”ってつかないリアリティも含めて,ちょっといろんなベクトルがあるかなと思ってるんですけど.

千房:そうですね,うん

畠中:ちょっとその……Twitterのやつ(《twitter骰子一擲》)についてちょっと確認ていうか(笑),聞きたいんだけど.

谷口:はい.

畠中:ここで気になるものとしてTwitterを挙げたときに,そのリアリティうんぬんの文脈でいうと,これはどういう解釈になるわけ?

谷口:ちょっと文脈はずれるかもしれないんですけど,ただそこに,たしかにツイートがあるっていうのが,けっこうリアリティとして大きいかなと思うんですよね.自分がフォローしているTwitterでもなくて,全然関係ない文脈で話をしている人が,偶然出会う感じっていうか.この一個一個をクリックすると,たしかに,つぶやいてるっていう.

渡邉:こういうふうに串刺しにされると,この人たちが,マラルメの「骰子一擲」を言うためにつぶやいたんじゃないかというふうに見えなくも……

谷口:……ないっていう.

畠中:なるほど.まあ一文字だけどね(笑)

(一同笑)

渡邉:さっきの「Billie Jean」のほうがおいしいというか,ベクトルが強い分,わかりやすいってのはあるかもしれませんね.

畠中:そうそう,そうかなぁっていう(笑),気もしなくもない.でもそうすることによって,無関係な人たちが串刺されるっていう……

谷口:あるひとつのベクトルに向かわされるっていうか……そういう文脈に見えなくはないっていうか.

畠中:(Twitterの)タイムラインを見たときに,まったく無関係な話をしているのに筋が通っちゃうという話と似ている,という気もしなくもないんだけど.タイムライン上でまったく文脈の違う会話をしている二人が,自分のタイムライン上ではなんか会話しちゃってるっていう気持ち悪さっていうか面白さには,ある種のリアリティが……

千房:ありますよね.

畠中:その人が確実に,いま,この時間,そこにいて,つぶやいてるっていう.その二人はつながってないけど,自分の,たとえば…何人ぐらい? 300人ぐらい見ているなかの人は,確実にその時間を共有しているというリアリティにつながるっていうのは,あるかもしれないですね.

栗田:サーヴィスによってそれぞれリアリティがあるっていうのが,いま旬な感じがして.さっきの話も,Twitterは時系列に動いてるっていう認識をみんなもっているから通じるので.Instagramっていうソフトがあって,いわゆるTwitterの写真版なんですけど,家に帰ってから「今日いい写真撮ったからInstagramに上げよう」と思っても,〈いま〉(の写真)じゃないからちょっと躊躇しちゃうんですよね.それぞれのサーヴィスにクセがあって,それに対してみんなが適応する.でも将来的には,そのサーヴィスのクセも,普及していくにつれてなくなる可能性もあるのかなぁと思って.

谷口:サーヴィスのクセということで言うと,Facebookだったら一時間遅れぐらいの投稿でもまだ許される感じがあるじゃないですか.だけどTwitterなら「いまこの瞬間つぶやかなくちゃいけない」というのがある.僕ちょっと試しに,これの資料作るためにTwitterでつぶやいたんですよね.つぶやいた瞬間だと(投稿した時刻が)「現在」って表示されるんですよね.その瞬間を写真でおさえようとしたんですけど,すぐに「30秒前」になっちゃった.Twitterにおける「現在」の表示が30秒で切り替わるってことは,Twitterの設計において,〈現在〉は30秒なんですよ[※14]

千房:ああ

畠中:「現在」の幅がね.

渡邉:(ベンジャミン・)リベットの「マインド・タイム」のサーヴィス版ともいえそうですね.

千房:でもそういう意味でいったら,実際は〈現在〉ってこの瞬間しかないから,30秒ってけっこう長いよね.

谷口:たとえばウェブ・サーヴィスごとの性質の違いを時間軸にしぼって考えたら,現在が何十秒なのか,何分なのか,何時間なのかっていう差がけっこう見えてくるんだろうなと思いますね.

千房:さっきの(Facebookの)「あいさつ」2秒で返ってきたら早いみたいな(笑)

栗田:あと,最近メールは返ってこないけどTwitterのDMは返ってくるってありますよね.早く連絡とりたいときは,だいたいTwitterで連絡したほうがいい.メールはどんどん積み重なっていっちゃう.そういう生活のリアリティもみんな変わってきてますよね.よく,Twitterで得た情報をあたかも会って話したかのように言う人っているじゃないですか.その人にとってはそれがリアリティなんですよね.

畠中:それを考えると,呼び名の通りのリアリティみたいなものが付着してる感じがする.メールっていうのはまさにそうで,たとえばちょっと見ないと郵便受けに何百通もたまっちゃったよっていう話になっちゃうでしょう? それおもしろいなと思って.さっき名づけの話があったけど,メールってのはまさに「メール」だという気がする.そういう意味での,それぞれのソフトのリアリティというのがすごく担保されてるような気がしてて(笑).そういう意味では,Twitterのほうが早いっていうのは,電話だとかそういうものに近くなってるっていうか.

千房:あとみんな,サーヴィスごとに言うこととかやること,態度を変えるというのを普通にやってる気がする.たとえば,地震の直後にTwitterがすごい変わったじゃないですか.なんか……みんな有益な情報しか流しちゃいけないとか,震災関係の大切な情報を埋もれさせないように,あんまり情報もってない人は黙ってるとか(苦笑).

(一同笑)

千房:そのときInstagramは,けっこうふつうにみんなご飯(の写真)とか,のどかな風景だったりを上げてて(笑).でもやってるのは同じ人のはずなんですよ.ウェブのサーヴィスごとに,見えてる世界が変わってきちゃうっていうか……うん.それぞれのリアルさっていうのも違うし.

谷口:前に(千房さんが)言ってたインターネットの質感みたいなことの,質感の差はまず,そこにありますよね.

畠中:最初に出てきたマテリアルの話とインターネットの話は元々別に考えられるけど,それをうまく橋渡しできるんじゃないかっていう感じがあって.それがさっきのyoupyのFlickrなんだけど.あそこに上げられているのは,コンピュータで再現可能な,すべての色数でしょ?

youpy:はい

畠中:まさに,デジタル・マテリアリズムみたいなところがあるわけじゃないですか.でも全部の色を上げていくっていうのは,API使ってうんぬんかんぬんっていう……システムの話になってくる.漠然と「フルカラー」という言葉を使っていても,実際に一色一色を見せられると,「そんなの認識できないじゃん」ていうくらいの微妙な差異しかない.それがリアリティにつながってたりする.そのことと,システムを使ってコンピュータで扱える全色を逐一上げていくっていう……まあ意味のあるようなないような(笑)行為をね,遂行するためにそれを使うということ,そしてそれができちゃうってことも,インターネットにおけるリアリティのひとつという気がします.それが,ふつうの写真とかさ(笑),どっかで撮った写真じゃなくて,色だっていうのがおもしろいなと思うんですけど.

千房:Flickrが大自然ぽいっていうのは,おもしろかった(笑).

渡邉:みんな,バーベキューの写真とかを「この写真いいでしょ?」みたいな感じで見せてくれるんだけど,そんなもん僕にとっては全然どうでもよくて,そのどうでもいい感じが,草っぽいんですよね.あとアップしたら,それっきりであまり変動がないところも自然を感じさせます.

畠中:それだけで聞くと「ああミニマリズムでしょ」って話になっちゃうんだけど,でもそれをなんかこう自然とね(笑),結びつけるていうのは,ちょっとおもしろい視点だなと.

渡邉:ちなみにさっきSemitranparent Designの萩原(俊矢)くんが,このUstのタイムライン上に「でも最近は自然じゃなくて国家っぽくなってる」と書き込んでいました.たしかに昨今のGoogleとかFacebookとかには,よくはわからないんだけれども背景に大きなシステムみたいなものの気配を感じますね.もちろん自然にもある種のシステムが潜在しているわけですが,それよりももうちょっと恣意的ななにかを感じるってことだと思います.

栗田:GoogleはPageRankってシステムで機能していて,ランクが高い人からリンクをされるとランクが上がる.Facebookだと,トップページに3時間前とか10時間前の投稿がウォールに出てきたりするじゃないですか.で,チャットのところには,よく知ってる人と,全然この人コンタクトとってないなっていう人がいて,それが毎回変わるんですね.更新すると,そのたびにウォールが変わる.みんな違うウォールを見ているし,自分も毎回違うウォールを見ている.僕にはそれがすごく不自然に感じられて,なんだろうなあと思っていたんです.で,確認はできてないんで間違っているかもしれないんですけど,自分がよく見てる人だけじゃなくて,自分のことを見ている人もアルゴリズムに入れられてるんじゃないかなって思うんですよ.そうやって気になられてる人も出てきたら,すごい中毒性が出てくるんだろうなと思って.Facebookはアメリカで学生を中心に立ち上がったサーヴィスなので,好きな女の子とか男の子のことをチェックして,それで(結果として相手のウォールに自分が掲載されて)「この人よく出てくるな」と思わせたり……とうまく人間の行動にはめてる感がある.だから,Twitterのタイムラインは常に時間軸で展開していくという信頼性があるけど,Facebookにはそれがないから不気味に感じることもある.GoogleもGoogle+がスタートしてからソーシャルな要素で検索結果なども変わってきましたよね.

千房:Twitterってやっぱりルールが明快で,それを使ってる側もそれをわかって使ってるという感覚がある.Googleもアルゴリズムをわかりやすくしているけど,Facebookはほんとにそこらへんが全然わかんなくて,下手したら人と人を好きにさせたりできるかもしれない(笑).勝手にくっつける.その人がいっぱい出てくると,なんか気になりだして,そのうちに人の心まで動かしちゃうとかってできるような気がしてて.なんか,そこらへんの……知らないうちにそれが浸透するっていう感じはちょっと気持ち悪いかもしれない.

栗田:僕,Googleのほうが国より信用できるとか,Facebookに住民登録したいとか,あとGoogleに税金払いたいとか言ってて.でも最近話題になっていたのですが,GoogleアカウントをBANされちゃった人が抗議文をネットにアップしていて,もうすべての人生をとられちゃったみたいな気分になったって.有料アカウントで,3,4ヶ月かけて全部のデータをGoogleに入れたのに,全部BANされちゃったと.それぐらい,ふだん使っているウェブ・サーヴィスは日常にあるものだから,だまされたら怖いですよね.

千房:まあ,相当数の人がだまされてるってことになるからね(笑).

栗田:でもBANされたらすごい悲しいだろうなあと思って.だから複数アカウントを作って,メールを全部複数アカウントに転送したりとか,そういうのをいちおう考えてはいるけど,だんだん最近は甘くなってきてる.

谷口:APMTのトークのときにも,江渡さんに「最近インターネットが変わってきた感じ,なんかありました?」って聞いたら,さっき千房さんが話したように,震災直後のTwitterが,もう震災の話題ばっかりで危機感がすごいあったって話をしていました.震災直後は,電話はつながらないけどSkypeとTwitterは全然動いてたって話があって,それ以来,いままでのんきにただ独り言をつぶやいてたメディアが,連絡手段になってきちゃった.だから,さっきの話のようにいろんなものをGoogleに依存して,個人情報なりなんなり全部預けるっていうのが,国とか,そういった……システムに近いような,インフラに近づいてる部分もありますよね.

栗田:でも,前のほうがインターネット広かったなあと思うんですよね.いまはソーシャルなサーヴィスでインターネットが動いていて,逆に狭くなっている気もしますよね.昔はもうちょっと遠い人が掲示板に入ってきたりした.そういう意味で,このあいだできたTurntable.fm [※15]というサーヴィスは,(ウェブ上で)DJブースみたいなクラブを作って,いろんな人が入ってきて,チャットすることができる.(それを見ていると)Web1.0が懐かしいなというか,(いまのインターネットの流れが)もどかしい人もいるんだろうなあっていう感じがする.

谷口:それ系だと,ロシアン・ルーレットみたいにチャットを繋ぐチャットルーレットというサーヴィスもありますね.

栗田:あれFacebookが投資したんですよね.あれもさっきの一人しか見てないUstみたいに,ボンっと全然知らない人と会っちゃう.でもあれやるにはすごい勇気が要りますよね(笑).
 いままでいろいろ出た話題は,物質——モノとしてのリアリティとか,自分の経験のなかに落とし込めるリアリティ,インターネットのリアリティとか,そのリアリティのいくつかの側面ということになるのかな.あとは所有できるリアリティだとか.インターネットは,コピーはできるけどドメインはオリジナルなもので,ユニークだから,ドメインを所有するって概念がけっこう強い.ウェブサイトはコピーできるけど,そのドメインにあるウェブサイトは一個しか存在しない.それで昔,ゼロワン(0100101110101101.org)がネット・アートとしてJODIとかのサイトをまるまるコピーして,「どっちがオリジナルですか?」みたいなのをやったりとか[※16].そういうデジタル/インターネットでの信用性,確実性,信頼性みたいなところで,ずっといろいろな人がアート作品を出してきた.

畠中:たしかにね,ネットの世界がすなわち自分の世界だって同一化しちゃうと,なにかそこにゆらぎを与えて,ゆすってやんないと,それがほんとにその世界なのか,そうじゃないのかっていうのがわからなくなってしまう.でわからなくなってる状態だから,たとえばさっきの「○○にいます」というつぶやきを信じちゃう.もしくは,嘘かほんとかっていうのを見分けたり,さらには嘘もあるということが,すでに世界だっていう(笑),ひとつのリアリティになってるっていうこともあるのかな,と思いますね.

で,ここで少し休みましょう.5分ぐらい? 5分から10分ぐらい,ちょっと休んで……

千房:[TwitterのTLを見ながら]じゃこの,既存のネット展…「千房さんの既存のネット展覧会に対する違和感を聞いてみたいです」ってあるんですけど……タイムラインに.これはじゃあ後で.

渡邉:後半では,その来たるべきネット・アートの新しい展覧会のフォームについて話しましょうか.

畠中:いま,話題がちょっと拡散しているので,後半はそれぞれ一つずつふりつつ,話を聞いていきましょう.ということで,ちょっと休憩.

後半へ


[※01] iPhoneが発売されてからまだ5年も経っていませんが:iPhoneは2007年6月発売.2008年7月に後継機種iPhone 3Gが日本でも発売された.
[※02] 《IAMTVTUNERINTERFACE》:参考⇒ http://www.vimeo.com/702662
[※04] IS Parade: Twitterのユーザー名やキーワードを入力すると,そのフォロワーやキーワードを発したユーザーたちのアイコンがキャラクターになり,ブラウザ上を行進する.auのISシリーズのプロモーションとして企画され,制作者の林智彦,千房けん輔,小山智彦は平成22年度(第14回)文化庁メディア芸術祭エンターテインメント部門大賞を受賞.
http://archives.aid-dcc.com/isparade/
[※05] 《somehow camera》:参考⇒ http://watanabetomoya.com/work/somehow-camera/
[※06] Max/MSPでいったら単なるbangですからね:bangは,Max/MSPにおける特別なメッセージ(オブジェクトから別のオブジェクトへ渡される情報)の型.bangメッセージを受け取ったオブジェクトは,それをきっかけにオブジェクト自身がもつタスクを実行する.
[※07] 《jump from...》:参考⇒ http://okikata.org/work/work/jump-from.html
[※08] 《夜の12時をすぎてから今日のことを明日っていうとそれが今日なのか明日なのかわからなくなる》:参考⇒ http://okikata.org/work/work/12.html
[※09] 《lens-less camera》:参考⇒ http://okikata.org/work/study/lens-less-camera.html
[※10] 最近(Twitter上で)アーサー・C・クラークが死んだっていうニュースがあったじゃない?:2011年7月22日,Twitterのナヴィゲーション・サイトのアカウントがアーサー・C・クラークの死去を報じた古いニュース記事についてツイートしたことをきっかけに,多くの人がTwitter上で哀悼の意を表した.実際は2008年3月19日に逝去.
[※11] TwitterのOAuth:OAuthは,ウェブ・サーヴィス間でユーザーの認可情報を移譲させるために開発されたオープンなプロトコル.ユーザーは,外部サーヴィスにすべての権限を与えることなく,自分の同意のもとに必要最小限の権限のみを移譲することができる.Twitter社のブレイン・クックらを中心に,2007年12月にOAuth Core 1.0の仕様が策定された.
[※12] ジョン・ラフマンとかのあれ:さまざまなアーティストが,Googleストリートビューに掲載されている画像を自分の作品に利用している.ジョン・ラフマンは,Googleストリートビューから,アクシデントなどの“決定的瞬間”やカメラ故障によるノイズが混入した画像などを収集するプロジェクト「Nine Eyes」で知られる.
http://9-eyes.com/
[※13] 《twitter骰子一擲》:参考⇒ http://okikata.org/work/study/twitter.html
[※14] Twitterにおける「現在」の表示が……〈現在〉は30秒なんですよ:実際には,使用するクライアントの違いなどによって,2?30秒でばらつきが出る.
[※15] Turntable.fm:現在はライセンス上の制約によりアメリカ合衆国からしか利用できない.
[※16] 昔,ゼロワン……「どっちがオリジナルですか?」みたいなのをやったりとか:0100101110101101.org《Copies》(1999)のこと.jodi.orgのほかにHell.com,Art.Teleportacia.org がコピーされた.3つのコピーサイトは現在も彼らのサイト内で見ることができる.
http://www.0100101110101101.org/home/copies/index.html

「みえないちから」展示風景
《SUPERNATURAL》
撮影:木奥恵三

《祈》
撮影:木奥恵三