ICC
ICC メタバース・プロジェクト
Vol.5市川創太×松川昌平 [メール対談]「建築とメタバース」(前編) 進行:畠中実(ICC学芸員)
1第4信:市川創太

>>●質問1:ボトムアップな環境計測の可能性
>>CiSも情報環境上に構築された建築という意味でメタバースと言って良いと思います.(中略)このようにユニバースとメタバースの連動を考えたときに,CiSで試みているようなボトムアップな環境計測が,メタバースに及ぼす可能性について,市川さんはどのようにお考えになっているのかを,まずはお聞かせいただければと思います.

 メタ+バースという言葉の印象がもつ魅力から,想像力が膨らむというかいろいろと拡張された解釈をしたくなります.セカンドライフなどといった名前に現われているように,現実世界とは別次元に存在する空間と大きく捉えるとしても,CiSがインターネット上に展開するなりして,ある種パブリック・スペースのようなものを公開するまでは,それがメタバースだとはなかなか言いにくいと思います.とまれ,CiSがヴァーチュアル・リアリティよりはメタバース寄りなのは確かです.

 Google Earth/Mapsはメタバースと言えるかもしれませんが,本来のメタバースが持つ自由度はかなり制限されていて,メタでありながら,現実空間との一致という制約を敢えて受け入れています.それらは地球がもつ幾何学的特徴,終端がないけれど有限な空間に展開しています.これは自由度や可能性という点だけから見ればネガティヴな要素に見えますが,自由すぎる空間に対して,多くの人の想像力が現実空間を超える程魅力的なものを作り上げるに及ばないのかもしれません.そういう点からは,松川さんのGoogle Earth上の空間にメタな都市を展開させるというのは,両者のポジティヴな点をうまくハイブリッドした有効な手段であり,そもそも建築や都市というものがそのようなプラクティスを下敷きにして展開していってほしいし,建築家がそういう思考やスキルを持っているべきだと考えています.

 純粋なメタバースよりも空間的な制限がありながら,Google Earthはとても魅力的というか面白く楽しめます.初めてダウンロードして使ってみた頃は,地球上のあらゆる地形や都市を眺めて,それが今程高解像度でなくても,飽きずに何時間もマウスをドラッグしていました.それは,強化現実の考え方に可能性が見出されているように,それらの見え方が現実を補っているからであり,情報空間と同様かそれ以上に現実空間のジオメトリにはまだまだ深みがあり,魅力的であるからではないでしょうか.

 このような世界をブラウズする行為は,ART+COMの《テラ・プレゼント/テラ・パスト》(1998)[※08]等ですでに出ていたヴィジョンや技術でもあり,新しい視座ではないかもしれません.しかしながらGoogle Earth/Mapsはある程度オープンなものであり,「使える」という単純ですが大変重要な点がクリアされていること,これは今まで技術的,市場システム的にできなかったことであり,「あれもできる」「これもできる」という小さな発想を行動に移すことができる,新しい何かを生み出すポテンシャルを持ったインフラストラクチャーであると言えそうです.

 Googleストリートビューやサテライト写真といった視覚的情報と,スマートダストなどに表象されるメッシュネットワークセンサーが捉える環境情報は,生物における神経システム(ナーヴ・システム)のメタファーとして一元的に捉えることができるのではないでしょうか.
 空間を「見る」というよりは,「視る」として,ある点(視点)からその場所を感じる(情報を得る),ということであり,その情報にいろいろな種類がある,ということです.そしてこの考え方は,Corporaプロジェクトの基盤となっている「Super Eye」という空間を「視る」点として実装を試みてきました.そして「Super Eye」をCorporaプロジェクトにステップアップする,空間を「視る」点を複数の集合として捉える,という傾向は,現代の情報テクノロジーの使われ方,捉えられ方の方向に大いに通じるものがあります.例えばYouTubeでは,複数の人が見て記録した映像が,ある意味自由にストックし閲覧できる状態で,これは複数の主観が同じ地球をそれぞれの座標から視ている,という状態に他ならないからです.

 CiSで観測している環境データは,とても一般的なものです.温度,湿度,明るさ,騒音レヴェル,風向,風速といったもので,人間が感じにくいというよりは,感じているけれども意識していない,という類いのものでしょう.生命維持に関わる警告レヴェルに上がってくるまで,無意識下で自律的に処理されている情報です.
 CiSでは実空間に展開されたメッシュネットワークを使うことで,一点からだけではなく,面的,立体的な情報として,ソフトウェアが受け取れる状況を作っています.このことでコンピューティングされている仮想構造の各部分が,実空間の環境を感じ取ることができる,つまり暑い寒いなどを感じ,その感覚に応じて自己の形状を対処的に変更していく,というプロセスを実現しています.松川さんの指摘のように,観測プロセスと生成プロセス(決定プロセス)がシンクロナイズして流れていきます.

 複数の視点が,その場その場を感じ,神経システムとして動作する.そしてそれがメタバース上に動作していくというヴィジョンの実現に関しては,ウスマン・ハックたちのPachube[※09]やマルコ・ペリハンが使っているBlack Cloud[※10]から目が離せないでしょう.
 将来携帯端末等に実装される,環境計測センサー(温度や明るさ,また空気汚染度,CO2濃度など)からのデータを自動的にリアルタイムアップロードし,共有できるようにする.端末を持っている人々が神経システムのひとつの点として,無意識に作動していく.それはまさに,神経細胞が地球上に散布され,メッシュネットワークとして動作するヴィジョンに他なりません.

 dNAの興味は,Corporaというプロジェクトの名前に表象されるように,総体/集合をどのようにコントロールするか,あるいは,局所決定が集合することでどのような総体が生まれるか,ということに傾いています.
 そしてこのことを建築設計の考え方に,コンセプチュアルにも技術的にも実践を注ごうとしています.それは特別にユニークな方向というよりは,昨今の情報環境の捉え方として,意識的にも無意識的にも同様な方向性が見受けられるように感じています.

 Corporaとは身体を意味する言葉でもあり,体がそうであるように,無意識に自律して作動する部分と,意識的に命令される部分が連動する.ボトムアップだけではなく,トップダウンの判断コントロールが連動しているということを実装していくべきだと思っています.トップダウンな判断に関してはやはり,統計スキル,Amazon等のシステムで実現されているデータマイニング技術が必要でしょう.そしてCorporaプロジェクトはこれらの必要な要素を持ち備えているといえます.Corporaプロジェクトはチームで開発研究していますが,とても優秀なメンバーが,それぞれ独自の興味やヴィジョンを持ってこのプロジェクトを作っています.スイス・チューリヒから参加しているマックス・ライナーはチューリッヒ芸術大学(ZHdK)でフィジカル・コンピューティング等を研究するラボを持ち,仮想空間と実空間の繋がり,仮想空間で創造されたものの現実空間へのフィードバックなどに関する強いヴィジョンがあります.強化現実,メッシュネットワークなどの知識やアイディアは,彼から提案されている部分が大きいです.ハンガリー・ブダペストから参加しているアコシュ・マローイは人工生命などのPHDを持っている一方,バイオ・アートのプロジェクトを展開しています.ネットワークソリューションの会社を経営していて,データマイニングのスキルや知識を持っています.データ・アーカイヴィングなどの技術やアイディアは彼から提案されている部分が大きいです.

>>●質問2:メタバースの表記法(ノーテーション)
>>CiS では,「Super Eye(超眼)」と呼ばれる主観的な表記法が用いられています.「Super Eye」は市川さんの活動当初は「なめらかな複眼」と呼ばれていたように記憶しています.(中略)市川さんは「Super Eye」を介在させることによって,僕たちには見えていない何を見ようとされているのでしょうか?(中略)メタバースにおける表記法について市川さんのお考えをお聞かせいただければ幸いです.

 「なめらかな複眼」は,僕の修了制作でした.大学の建築科に通っていたので,多くの建築を学ぶ学生がそうするように,平らな図面を見てできあがりの3D空間を頭の中でシミュレートしていく,というスキルがついていきました.それはとても面白い感覚で,図面を見ることで入ったこともない建物や空間をある程度再現/追体験できる(もちろん実際の体験のインパクトとは比べるものではありませんが)ような感覚です.図面を読めるようになり,描けるようになり,そして他者と図面を通して空間のアイディアを交換できるようになる.これは素晴らしいことです.
 ぼんやりとスケッチをしているときに,無意識に平面図や断面図のスケッチを描いている,というようなことがよくあります.これは,空間表記方法のシステムが発想の基盤に敷かれているからであって,空間表記方法が空間を思考する上での基盤になっていることの現われではないかと考えました.そしてこの着目点から期待したことは,プロトコルや言語基盤を変更すれば何か別の次元の空間概念を得ることができるのではないか,というとても大層なヴィジョンでした.
 そして具体的な表記と空間の知覚を解いていくために,昆虫やヤドカリの持つ複眼というものを分かりやすい例として挙げてその視点の捉える空間を考えていきましたが,空間表記方法として成立させるためには複眼をなめらかに繋げて完全な球体にしていき,松川さんの解釈の通り「なめらか」であることは「複眼」でないという点や,目自体を支える物理的な構造が成立しない存在にある論理上の目,メタな視点でということから,「Super Eye(超眼)」というようなネーミングになっていったという変遷があります.

 このSuper Eyeを通して,見えていないものが見えればもちろんそれは素晴らしいことですが,見たいものがはっきりしているわけではありません.別の言語で空間を考えてみる,ということ以上のものではなく,座標系や空間の知覚,記述が違う基盤からしみ出てくる違いをじっくり観察してみる,というようなところが現状です.「ただ違うだけ,なのか?」という議論や指摘はもちろんありますが,早急に何かを解決するためのプロセスでないことは確かです.

 空間をある言語によって読み書きする,そこには常にリテラシーの問題がある,ということはプロジェクトの根本で私たちが最もコアな部分で問題提起していることです.松川さんがCiSを見た時に,リテラシーの問題を感じていただいたということはとても高いレヴェルで展示を見ていただいたことであり,dNAにとっては非常にうれしく歓迎するオーディエンスといえる一方,展示表現が分かりやすくなされていなかった,という反省にも当然繋がります.

 Super Eyeとその集合としての眼は,とてもそれを手足のように使いこなせるようにはならないでしょう.僕たちの受けてきた教育プロセスが形成してきた空間概念からはそう簡単には逃れられないからです.鳥や蟻の視点を得たり感じることはできない代わりに,得ることのできない感覚をサポートするもの,経験の追いつかない部分を補ったり,理解を促進するものとして,コンピューティングやソフトウェアのリアリティがあるのではないでしょうか.

>>●質問3:メタバース(情報環境)からユニバース(実環境)への切断
>>僕が3番目にお聞きしたいことは,『Corpora in Si(gh)te Book I』のなかで,ドミニク・チェンさんが下記のように指摘されていることと,ほぼ同義だと思います.(中略)ドミニクさんが指摘するように「産出結果が情報層のなかに止まっていること」がCiSの限界点なのだとしても,しかし同時に,CiSの展示ではその限界を突破しようとする試みもなされているようにも思います.

 CiSはメッシュネットワークセンサーなどにより,実環境と接続されていますが,コンピューティング結果の現実空間へのフィードバックとしては,強化現実映像を提供しているにすぎません.
 ドミニクさんの指摘の通り,即効性のある働きかけをしていないという点では,閉鎖系であると言えるでしょう.しかし閉鎖系であることが全ての視点から限界であるとは思いません.ドミニクさんもそれを完全にネガティヴな点と考えていないと思います.むしろ多くの実験環境は敢えて閉鎖系を徹底して構築しますし,閉鎖系であるが故に自由度が高くなります.

 このインスタレーションがすぐに都市に影響を与えるのではなく,強化現実映像やデータ情報の閲覧を通じて,技術に基づいたヴィジョンを見せることで,ゆっくりとした影響を与えれば十分であると現時点では考えています.もちろん何らか即効性のある出力システムがフィットすれば,それを使うことも将来的にはあるかもしれませんが,それはdNAだけの力でできることではなく,多くの技術的な発明とともに推進されていかなければならないことです.

>>今後Corporaプロジェクトは,「C.R.C」や「C.K」のように,メタバースに構築された建築を可能態と捉えて,ユニバースへと現実態を「切断」していくような方向に向かうのでしょうか?
>>あるいは,AR(強化現実)をさらに押し進めて,映画『マトリックス』のように,情報環境上に構築された建築に身体感覚を伴って没入していく方向に向かうのでしょうか?

 Corporaプロジェクトは2つの側面を持っています.インスタレーションや展示にて「プロセス」,建物などのプロダクションとして「凝固」.元来これらの側面は統合して考えられるべきですが,技術的な面から2つの側面を別々に進めていかざるを得ないのが,今のdNAの活動状況です.どちらとも言えませんが,今後のステップとして現実空間へのフィードバックはプロジェクトのメンバー全員が期待していることです.個人的には情報空間に身体感覚があるべきとは思っていないので,個人的にはその方向に自ら入っていくことはないでしょう.
 映画『マトリックス』のような世界観は,2つの世界がきれいに分かれて管理されていて,松川さんが述べられているように「情報環境 vs 実環境」を管理構築するのに面白いサンプルになりそうですが,現実にはそれほど両者がはっきりと分離管理されないような事態が展開する気がします.「情報環境 vs 実環境」ではありませんが,2つの環境・リアリティが混ざって分かりにくくなってしまうような映画『マルホランド・ドライブ』のような世界観.ちょっと飛躍しました?

>>動的に回り続けるシステムをメタバースに構築することは可能となってきましたが,ユニバースとの連動を考えたときに,両者のタイムスパンの違いをどのように考えていらっしゃるのかをお聞きしたいと思っています.

 前述したようにメタバースは自由であり,メタバースにとって時間の概念は敢えて取ってつけるようなものでしょう.つまり連動させるということはメタバースが,敢えて自由度を犠牲にして現実世界につきあう,ということです.現実世界に接点を持ちながら,メタバース側の時間をスケーリングすることもできるはずなので,そこは時間のスケールの違いというよりは,どちらの空間を基点に観測するか,ということで,捉え方やそれぞれの空間における創造も変わったものになるのではないでしょうか.時間そのものは,人間が感知できない程短い細く小さな単位や,想像を絶する長さも存在し,空間を構成している未知の存在として,未だ建築家が扱いきれていない要素と言えそうです.

[※08]ART+COMの《テラ・プレゼント/テラ・パスト》: http://www.ntticc.or.jp/Archive/1998/PORTABLE_SACRED_GROUNDS/Works/terra_present_j.html [※09]Pachube: http://www.pachube.com/ [※10]Black Cloud:カリフォルニア大学バークレー校のグレッグ・ニーマイヤー教授が主導するプロジェクト.ICCの「オープン・スペース 2009」で展示された(ペリハン率いる)パクト・システムズの作品《コモンデータ・プロセッシング&ディスプレイ・ユニット(CDPDU)》は,このBlack Cloudで得たデータを使っている. http://www.blackcloud.org/index.html http://www.ntticc.or.jp/Archive/2009/Openspace2009/Works/commondataprocessinganddisplayunit_j.html