ICC
ICC メタバース・プロジェクト
濱野智史 メタバースのアーキテクチャ
仮想空間内の「聖地巡礼」とは!?

濱野:そもそも私は,既存のセカンドライフ的なシステムには大いに不満というか,根本的な違和感があるんですよ.よく,セカンドライフなんかは「CGM」(Consumer Generated Media)なんだと言われていますよね.仮想空間上にユーザーが色々なオブジェクトを持ち込むことで,独自の空間を作成することができて……というけれど,結局そういう建物にしても,あるひとりのユーザーが特定のSIM[※04]を購入して,その上に建築物をガンガン持ち込んでいるだけで,なんというか,「えらい自慢をされているだけでは?」みたいな気持ちになるんですよ.一般ユーザーはそこに何も関与できない感じ,というんですかね.
 これは本当にしょうもない喩え話ですが,「せっかく出掛けていったんだから,落書きのひとつでも残して帰りたい」という気持ちって,ありますよね.有名な観光名所を訪れて,みんなが落書きをたくさん残していたら,自分もついつい記念に書きたくなっちゃう,というような.もちろん,これは時として社会的な問題にもなって……ちょっと前にもありましたよね,日本の大学生がイタリアの文化遺産に落書きをしていた,というニュース.だけど,むしろセカンドライフみたいな空間こそ,落書きだらけでいいはずなんですよ.だって,誰にも迷惑かけないわけですし,しかも後で全部消せちゃうわけだし(笑).なのに,そうなっていないのが,まず私の中では違和感がある.「仮想空間上に落書きをいっぱい書ける」とか,そういう発想が起きない方が疑問です.それだけでも実現したら,けっこう面白いんじゃないですかね.あと,そういうふうに落書きをしたくなる心情を逆手に取った仕掛けとかも,ありえるかもしれない.ある壁に皆が落書きを書くと,それを向こう側があらかじめ想定していて,「コラッ!」とか何かリアクションが返ってきてビックリする,とか……(笑).

──それによってメタバースの「真性同期」性による制約をなくす,とまでは行かなくても,さほど重要ではなくさせる,ということですね.例えば「2ちゃんねるの書き込みって,便所の落書き並みだ!」って,よく言われますよね.だったら本当に仮想空間上に公衆便所を作って,皆が自由に落書きをできるとしたら,例えば現実世界の公衆便所みたいな下品な落書きで埋まるのかな,とか(笑).もちろん,普通に掲示板みたいな形で利用するのもアリだと思うのですが……たぶんそれって,落書きするところを誰にも見られていないところで初めて成立するわけだから,実際にメタバース内でどういうふうに落書きを実現できるのか分かりませんけれども.

濱野:ヴァーチュアル便所の落書き(笑).それは面白いですね.あと,グラフィティ・アート的なものとの接点とかも,考えられますよね.
 また,これは私がかつて「CNET Japan」でしゃべったトピック[※05]なのですが,「リアル空間にコメントを残す」という話の別の例がありまして,最近オタクの人たちがやっている「聖地巡礼」というのをご存じですか? 例えば,あるオタクが特定のギャルゲーとかアニメ作品を好きになる.で,最近人気のアニメというのは,だいたいロケハンをするわけです.漫画家の方が実際に写真を撮って,それをトレースして作品の背景にするように,それと同じことをアニメの背景でもやるわけです.
 一例を挙げますと,筑駒(筑波大学附属駒場中・高等学校)って学校があって(東浩紀さんの母校でもあるのですが),それ自体は普通の男子校なのに,なぜかそこが『CLANNAD』という,ギャルゲーをアニメ化した作品の聖地として,元とは全然違う男女共学校のモデルに採用されています.だけど,そこには別に深い意味や理由は何もない.そこで起きた事件や実話が物語の下敷きになっているわけでは全然ないのだけれど,わざとリアル空間をモデルにしているわけです.で,そういうことをすると,オタクたちが「あ,あそこがロケ地なんだ.じゃあオレも行ってみよう」みたいなノリで,虚構の作品のモデルになった現実の町を訪れる.これが,オタクにとっての「聖地巡礼」なんです.別の有名な例だと,ジブリアニメ版の『耳をすませば』の舞台は,聖蹟桜ヶ丘の団地群が元ネタになっていて,実際にそこに行くと,作品内と同じような風景が広がっている……みたいな話ですね.
 実は私もこの「聖地巡礼」を一回やったことがあります.ちょっと余談になりますが,『ひぐらしのなく頃に』という有名な同人ゲームがありまして,その背景部分のロケ地が岐阜県の白川郷なんですね.で,実際にそこまで行ってみて面白かったのは,白川郷って本来なら合掌造りで有名な地域で,世界遺産にもなっているのですが,ゲームのほうではそれはあまり強調されていなくて,むしろ普通の神社や病院が重要な場面として出てくる.普通の観光客は,もちろんそんなところには行かずに,合掌造りだけバシバシ写真を撮っている.かたや『ひぐらし〜』目的で行った人達は,僕も含めて,合掌造りとかには目もくれずに,普通の神社とかの写真をバシバシ撮っている(笑).
 で,本題に戻りますと……今の話と「仮想空間上にコメントを残す」という行為にどんな関係があるかというと,オチは神社にあります.神社に行くと,絵馬とかに皆お願いごとを書きますよね.で,白川郷を「聖地巡礼」したオタクたちが結局なにをするかというと,その絵馬にものすごい勢いでオタクくさいコメントを残して,帰っていくわけです(笑).その白川郷の神社は,それまでは別に全然有名ではなかったのですが,その『ひぐらし〜』のキャラクターの絵を絵馬に描いて置いていく,ということが盛んに行なわれるようになって話題を集めました.
 最近だと,もっと有名なのが『らき☆すた』というアニメですね.劇中に出てくる鷹宮神社のモデルが,埼玉県鷲宮町にある鷲宮神社だということが知られて以降,この神社を参拝するオタクが激増した(笑).実際に行ってみると,ここもどうってことはない普通の神社なのですが,それがアニメのロケ地になっただけで何万人もの参拝客が押し寄せ,ニュースでもけっこう話題になった.で,自治体側も「これは地域おこしになる!」というのでノリノリだったりするらしい.そういうのって,最近多いんですよ.すでにいくつかはあると思うんですが,こうしたリアル空間と連動した「仕掛け」をメタバース内に……という手法は,ありうると思います.

──例えば現状「セカンドライフとか,あまり盛り上がっていない」というのが定説になってしまったとき,ではどうしたらそれらが新しいソーシャルウェアとして成功したと言えるようになるのかというと……ひとつには何かしらの経済効果を生むということが,ありますよね.

濱野:そうですね.ネット上のサーヴィスって,なんといってもやっぱりユーザーさんに(自発的に)来てもらってナンボ,ということはありますから.

──でも結局ミクシィでも,その運営を支えているのは,例えば広告収入であったりして,それこそ日記を書いたりコミュニティを作ったりといった活動は,どちらかというと利用者たちのあいだで営まれ,意味をなす活動ですよね.実はそれって,そのサーヴィスを支えている母体にとっては,直接的なフィードバックや利益をもたらさない,とも言えます.つまりミクシィを支えている経済活動と,ミクシィの中で行なわれているコミュニケーション活動とはまったく分離しているのに,ミクシィの経済構造は成立している.これは,すごく理想的だと思うんです.それと同じようなことをセカンドライフ的な機構の中でどういうふうに行なっていけばよいのでしょうか?

濱野:いまのところ,こういうセカンドライフ系のビジネスモデルというのは,ユーザーとの関与で何か利益を得るというよりは,こういう仮想世界を作りたい人に対するSI(システム・インテグレーション)で利益をあげる,というものですね.そもそもセカンドライフを立ちあげたリンデン・ラボ社のビジネスモデルもそうでした.これは本質的にはサーバ賃貸業で,「自前の仮想空間を出したい人は1個10万円くらいでSIMを買ってください」ということですね.つまり,その空間を運営したい人にお金を支払ってもらう,というモデルです.それはそれで別にかまわないのですが……ミクシィがそれと違うのは,ミクシィもユーザーにある程度(例えば日記で100MB)のデータ・スペースを貸し出しているわけですが,別にそこからお金を得るわけではない.広告モデルの採算構造にすれば,ユーザーから使用料を徴収しなくてもよくなるわけですが,かたや広告モデルで回していくのには,ユーザーが大勢来ているという証明がないといけない.だけど,いまのセカンドライフではそれは絶対に無理,という状況ですね.




[※04]SIM(シム):セカンドライフMAP上の四角い1マス. [※05]かつて「CNET Japan」でしゃべった……:「ニコニコ動画とAR(現実拡張)技術が可能にする「ニコニコ現実」という未来:コラム」 http://japan.cnet.com/column/pers/story/0,2000055923,20370895,
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