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ライト・[イン]サイト—拡張する光、変容する知覚
「オーラ・リサーチ」シリーズ《ニーチェが洗礼を受けた教会 》「オーラ・リサーチ」シリーズ《ニーチェが洗礼を受けた教会 》写真提供 ©:ギャラリーEIGEN + ART(ライプツィヒ/ベルリン),APG-Japan/JAA,2008エピソードライプツィヒの近くのレッケンという小さな村で,1844年に19世紀最大の思想家の一人であるフリードリッヒ・ニーチェが生まれました.日曜日ですが,外には誰もいません.ただ移動図書館のバスだけが停車し,クラクションを鳴らしています.レッケンには現在170人が住んでいます.フリードリッヒ・ニーチェが洗礼を受けた教会と牧師館は,すぐに見つかります.教会の横に3つのお墓があります.左にフリードリッヒ,真ん中が妹エリザベス,右が父親,牧師カール・ルードヴィッヒ・ニーチェです.隣の小さな家でベーマー氏に会います.彼は,雇用創出措置(ABM)を通じて見つけた職で牧師館と教会の世話をすることになっています.「ニーチェが誕生した家は,空き家になっていて,見るべきものは何もありません.普通なら牧師さんが住んでいるのですが.今ここには牧師さんはいません.公募しているところです.ですけれど,後で教会を開けてお見せします.」彼は語ります.フリードリッヒは,5歳の時に父親を亡くします.その2年後に弟も死にました.「ですからニーチェは,女性に囲まれて育ったのです.伯母,母親,妹の庇護の元で.彼らは次の牧師さんのために牧師館を出なければなりませんでした.」ベーマー氏が教会のドアを開けます.内部は外よりもひんやりしています.我々は一番前のベンチに進み,説教壇を見上げます.ここで父親が説教していました.その下の祭壇には木の十字架があります.十字架の上の人.現在ここでは下から説教します.「ここでもう説教壇まで上る牧師さんはいません.壊れる寸前で危険ですから.」内部の見学が終り,また日が当たる外に出て,ベーマー氏に別れを告げます.「私の仕事は,明日で終りです.ここは雇用創出措置(ABM)で得た職ですが,残念ながら延長されないのです.」と彼は言います.ベーマー氏(雇用創出措置(ABM)により派遣されたレッケンの教会と牧師館の管理人),レッケンにて,1997年*「オーラ・リサーチ - 光と闇のあいだに -」展(東京都写真美術館,1998)カタログより転載
「オーラ・リサーチ」シリーズ《ニーチェが洗礼を受けた教会 》1997年
ニナ・フィッシャー&マロアン・エル・ザニ
1930年代に旧ソ連の科学者キルリアン夫妻により発明されたキルリアン写真*によって,ドイツの歴史的人物がかつていたり,本人の失踪によって主をなくしながら現在も誰かによって維持されている部屋(いずれも,一種の空白状態にある空間)などを撮影することで,肉眼や通常の光学写真に見えないその人の痕跡(オーラ)を可視化させようとする「オーラ・リサーチ」シリーズ.この作品は,不可視のものを可視化するというコンセプトのもと,思考や精神的な放電も写真として記録できると考えていた19世紀以降の科学技術の歴史的側面やそこに存在したユートピア思想にあらためて光をあてるとともに,オルターナティヴなメディアを通した別の世界の見えを開示する.今回はその中から,ニーチェ**が洗礼を受けた教会の内部を撮影したキルリアン写真を,同じアングルから撮影した光学写真と並べて展示する.*物体から放射される放電現象のようなものを,高電圧交流電流装置を使って写真にしたもの.最初の発見は,ニコラ・テスラとされている.
**ニーチェは1844年牧師の息子として生まれ,後に「神は死んだ」と宣言するなど,西洋文明を乗り越えようとする意志をもつに至った.
「ヴォイス・オン・LiS」にて,この出品作家のインタヴューをお楽しみいただけます.* 英語のみ
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ニナ・フィッシャー&マロアン・エル・ザニニナ・フィッシャー(1965年ドイツ,エムデン生まれ)とマロアン・エル・ザニ(1964年ドイツ,ドゥイスブルク生まれ),ベルリンおよび札幌在住.90年代前半より,廃墟や忘れ去られた場所や空間に漂う「ゴースト」的なものを題材に,その社会・歴史的な意味を探求していくプロジェクトを映画,写真,インスタレーション等など様々なメディアを通して展開.日本では90年代半ばより,東京都写真美術館をはじめ個展やグループ展,映画撮影や上映など多数.現在札幌市立大学准教授.
http://www.fischerelsani.net/