鑑賞者が聴診器を自分の胸に当てると,映像の再生が始まります.そこには,さまざまな状況下で緊張状態にある人々が映っています.自分の鼓動音を聞きながら映像を見ていくうちに,その鼓動が,映像に登場する人物のものであるかのように感じられてきます.
内臓などの身体器官は,その人と切り離すことができない固有のものとして認識されています.なかでも心臓は,生命維持に最も重要な役割を果たす器官です.また,「心臓」を表わす単語が「心情」や「性格」といった意味ももつことがさまざまな言語でみられるように,心臓は,生物としての人間に不可欠というだけでなく,その精神活動の象徴としても捉えられてきたと言えるでしょう.
とはいえ私たちは,自分の心臓を見たり触ったりすることができません.心臓に対して私たちがもっているイメージは,緊張または集中しているとき,あるいは自ら脈拍を測ったり聴診器を使ったりするときに感じる鼓動音を通じて,間接的に形成されたものなのです.
この作品では,心臓の鼓動のような個人固有のものの中にも,他人のものとして認識されうる,曖昧な性質があることが示されています.しかし,そういう曖昧さがあるからこそ,私たちは,他者に共感したり,同調したりすることができるのかもしれません.
この作品は,21_21 DESIGN SIGHT 企画展 佐藤雅彦ディレクション「“これも自分と認めざるをえない”展」のために制作されました.
映像協力:文京区立関口台町小学校,東京外国語大学剣道部,近藤大祐