ICC
ICC メタバース・プロジェクト
池上高志 可能世界としてのメタバース 聞き手:畠中実(ICC学芸員)
「自分もまた,シミュレーション世界の住人なのか?」

────今,池上さんがおっしゃった自律性や,先ほどの外部性や特異点みたいなものを,どうやってメタバースに取り込めるのでしょうか? あるいは取り込めたとして,どういうことがそこで初めて可能になるのでしょう?

池上:『13F(原題:SIMULACRON-3)』ってSF映画[※07],知っています? ある日,登場人物が街の外れまで行ったら,変なものを見てしまい,自分がシミュレーション世界の中の住人であることに気づいちゃう.ところがその世界のシミュレーションというものも当然階層的になっていて,どこかにある特異点があって,シミュレーションしているものとシミュレーションされているものが同じ階層になってしまうような,階層間を行き来できちゃうようなところが一点だけあって,そこから話が展開する……というあらすじです.これ,オットー・レスラー[※08]に教えてもらったのですが.

──先ほどのディックの『時は乱れて』にも通じるような筋書きですね.

池上:テーマ的にはさほど目新しくはないけれど,たとえば僕がシミュレーションしている生命って,僕には言及しないじゃないですか.でも,それが言及しだしたら……面白いですよね(笑).
 自分がシミュレーションされていることって,なかなか気づかない.でも,僕が生命としてシミュレーションしているこいつらが賢くなって,彼らも世界をシミュレーションできるようになったとする.その世界の中で,自分のシミュレーションはできるのだけれど,それが常に一方向なのか,それとも自分をシミュレーションしていることに気がつくこともあるのか…….自分たちがシミュレーションしているということは,自分もまたシミュレーションされている可能性が払拭できない.そこでのシミュレーション階層がヴィデオ・フィードバックみたいになったら…….
 というふうに,自分という存在を巻き込まないと,メタバースは面白くないと思う.「自分すらシミュレーションされているエージェントかもしれない」ということが起こりだしたら,怖いですよね.さっき言った「なぜ飽きないか?」ということも,メタバースと関係しますよね.例えば,アルツハイマー型認知症の人でも,椅子の座り方とか食べ物の食べ方って忘れないじゃないですか.何と言うのか「飽きない行為」って,その根底部分にアルゴリズムみたいなものがたぶんあるのではないかと思うのです.僕はそういうところ,無意識の作動が面白いと思っている.
 だけど,今のメタバースはそういうこととはあまり縁がなくて,明示的なものしか作られていないから,もう少し無意識の部分に言及してくるような部分がないと,面白くないし(さっき言ったような)怖さもないと思う.
 でも,Twitterとかが広まってくると,それもだんだん変わってきますよね.国際会議のヴィデオ出演とか増えたし,発表のヴィデオを送ると,わざわざ遠くまで行かなくてもすむ.
 でも,このあいだ国際会議では,ヴィデオ出演の後にチャットで質疑応答をやるというスケジュールで,日本時間で朝の6時開始だったのに僕が寝坊しちゃって「いないじゃないか!」とか散々言われて(笑).遅れてようやく始まって,しかもそのチャットって,みんなが矢継ぎ早に質問する.だけどチャットって一元的だから,ひとつの質問に丁寧に答えていると,別のところから「答えないじゃないか!」とか言われたりする(笑).80何人とかいて,チャットで質問が来るのだけれど,オンタイムで答えられるのはそのうちのひとつ.TL(タイムライン)はひとつですからね.
 TLって必然的にコンテクストが複数にならざるをえないでしょ.「明日のことは大丈夫だ」と言ったら「『明日のことはたぶん大丈夫だ』って,何のことを言っているのだ?」って言われて「いや,それは別の人に言っているのであって」とか(笑).それは,さっき話題になった「この世界はひとつだ」みたいなこととも関係しますね.だけどTwitterでも他のタイムラインの可能性をあげつらえて, TL1とかTL2とか言ったとして,それは可能世界かといったら,全然違いますよね.それらが区別されないで,ひとつのTLに読み込まれていることが,かえって可能世界の面白さを作っていると僕は思う.つまり,複数のコンテクストが混じり合ってしまって区別できないこと.

──TLの中でも,自分以外の履歴が一回バッと消えちゃった時に,そこが世界みたいに思えちゃうことがあるじゃないですか.逆に,そこに出てくる人以外に対して,想像があまり及ばなくなっている…….

池上: ハッシュタグ化するのが良くないのかもしれなくて,あれって世界を分岐させているわけですよね.ラベル張りして「このTLは違うTLで動いているんだよ」ということを明示する.そうすると素直にそこに移行できるので,可能世界性はかえって薄れてしまう.
 先日の「可能世界空間論」の展示からそういう感じを受けたのも,メタバースにも「これはメタバースですよ」というインデックスがあるから,面白いけれどそんなに怖くはなくなってしまう.やっぱり一番怖いのは,ハッシュタグなしで複数のコンテクストが回っているTLと,デイヴィッド・リンチの「(人を)殺したのか殺していないのかが区別できない形で進行せざるをえないようなひとつの時間」.常に謎の人物が現われて,変なお告げを残したり……そっちのほうが可能世界としての面白さはあると思う.
 理論計算機科学のアルゴリズムでも「オラクル(Oracle=神託)」という概念装置があって,ある特殊な問題の正解を知っているわけです.こちらの世界ではそのアルゴリズムは生成できなかったり,計算しようとすると途方もない時間がかかってしまい,そこに辿り着く計算方法も無限にある.だけどあらかじめ答えが決まっていればいいわけで,仮に答えが「42」だとすると,その「42」という解を使うことで,ある計算式が成立し,次の計算レヴェルに上がっていく.そうやって計算の階層ができてくるわけですが,そのご神託が現われるところに世界の外側がある,そっちの方が面白いと思う.映画『マトリックス』に出てくる預言者も,オラクルという名前でしたが,あれみたいなものです.どうやって預言ってできるのか? その世界の内側にいる限り,預言できない気がするけれど,別のアルゴリズムが走っている世界については預言できる.考えてみたら,預言者というのも面白いですよね.
 「触れない外」みたいな,そのあたりが可能世界の一番の真髄だと僕は思う.実際,自己言及するシステムというのは存在しないじゃないですか.何か人工システムを作っても,いつまでたっても外から見たら川に流されているだけ,こっちに話しかけてきたりはしないし,逡巡とかも始まらない.そういう意味で,そこに抵触するようなロボットやシミュレーションができないかということが,僕の研究課題でもあるんですけれどね…….

──今のオラクルの話をうかがっていて思い出したのが,エキソニモが「可能世界空間論」にもその一部を出品した《ゴットは、存在する。》という作品のことです.あの作品をご覧になって,池上さんはどう思われましたか?

池上: そうそう,エキソニモの作品だけは,今日僕が話したような可能世界にも抵触し,関連しているような感じがした.そこをもっと全面的に押し出してくれてもいいくらいですよね.

──たとえば,あの作品における「ゴット」というのは,言わば全く空っぽのアバターとして登場しています.ICCの5階で来場者がメッセージを自由に打てて,そこで打ったメッセージが下の4階に,あたかもお告げのような形で伝わってくる.あれが本当にオラクルのようなものを告げているとしたら……面白いですよね.

池上: 観客はICCの4階にいて,この空間とは別のところからメッセージが届くという多視点的なところや,自分には無意識な部分に気がつく人がいて,それがフィードバックしてくるところとか……自分以外にも世界があることを感じさせられるところが,ここでの可能世界っぽい.でも,みんなそれを分かってやっているのか,さらにエキソニモ自身はどういうつもりであのシステムを作ったのか,そこはよく分かりませんが(笑).
 あと,時間の問題についてもう少しだけ話しておくと,チューリング・マシンって一台ずつ動くじゃないですか.あれを物理空間で動かせるかどうかが問題になるけれど,最初のステップは1秒以内,次のステップは1/2秒以内,また次のステップは1/4秒以内……とすると,2秒以内で全ての計算が終わる.全ての可能な計算空間は,2秒以内ですむ.でも,その後はどうなるのか? そんなことは不可能だとしても,チューリング・マシンを現実世界に持ち込むということは,そういう意味でも面白い話です.現実の時間と対比させられるし,チューリング・マシンが停止するまでの途中の状態はあまり計算理論では問題にされないが,それが浮き彫りになる.計算時間とアルゴリズムで回っている時間の実在性について見いだすと,また話が面白くなる.だからメタバースとかも,今は時間の選び方みたいなところが棚上げされちゃっているところが惜しい.

──メタバース上では,物理演算みたいなシミュレーションができるので,そこでの重力を変えたり,という仕組みはあるようですが,あの中の時間というものは,どういうふうに制御できるのでしょうか?

池上: 例えば夢の中でイヴェントが進行する時間のスケールは現実の時間と同じかどうか.考えたり思い出したりする時の時間感覚と,現実に進行している時間の関係とか.そういう時間の方向から可能世界にアプローチする道もある.あと,さっきも話したように,芸術作品を観賞したりする時間のことも興味深い.一昨年,ICCで開催された「ライト・[イン]サイト」展で,真っ暗な中をゆっくり動くインスタレーションがありましたよね……誰の作品でしたっけ?

──アンソニー・マッコールの《You and I, Horizontal》のことですか?

池上: ああいうのはいいな,と思いますよ.そのシステムが持っている固有の時間が,いつも接している時間とはちょっと違った形で立ち上がるものがあって,作品としても面白い.「鑑賞における時間とは何か?」ということを考えさせられます.でも概してメディア・アートって,作品に接する「今」という瞬間がどんどん短くなってきている気がする.果たして作品はその場で観て,すぐに分かるようなものなのか? ホームページをどんどん閲覧することやTwitter的思考が主流になってくると,鑑賞する時間がどんどん狭まってきますよね.その場ですぐ面白くならないといけないから.

──絵画とか写真とか,動きのない作品の方が,時間を感じさせることもありますよね.鑑賞者側がイマジネーションを働かせる前に作品が動き出すというのは,必ずしも歓迎すべきことではないのかも.

池上: それが先ほど話題に上った「自律性のシステムを作る」こととも関係してくるのだけれど……でも,言うほど簡単ではないんですけどね.
(2010/03/25@東京大学駒場キャンパス)




[※07]『13F』:『インデペンデンス・デイ』のローランド・エメリッヒ製作によるSFスリラー映画(本作の監督はジョセフ・ラスナック).コンピュータ・ソフト開発者の主人公は,VR技術を駆使してコンピュータ内に1937年のLAを再現していた.だが上司が何者かに殺され,彼が容疑者となってしまう.やがて彼は,研究過程で自分が1937年の仮想世界と現実世界を行き来していた事実を知る.その鍵を握るのが「13階」…….原作は1960年代に書かれたダニエル・F・ガロイの『模造世界』(創元SF文庫,2000,原題:SIMULACRON-3). [※08]オットー・レスラー(Otto RÖSSLER):カオス理論に関する研究で知られるドイツの生化学者.レスラー・アトラクタの発見者としても,つとに有名.