ICC
IAMAS車輪の再開発プロジェクト研究会

[※01]生成音楽ワークショップ(金子智太郎+城一裕) https://generativemusicworkshop.wordpress.com/

[※02]城一裕(情報科学芸術大学院大学[IAMAS]講師)/松井茂(詩人,東京藝術大学芸術情報センター),毛利悠子(美術家),Makerムーブメントと芸術表現,Maker Conference Tokyo 2012,日本科学未来館,2012年6月2日. http://makezine.jp/event/mct2012/

[※03]松井茂,FABが芸術を変える――芸術がFABを変える,FABに何が可能か「つくりながら生きる」21世紀の野生の思考,フィルムアート社,2013. http://filmart.co.jp/books/design/2013-7-26fr/

[※04]城一裕, 三輪眞弘, and 松井茂. "音楽と録楽の未来 (特集< これからもイアマス>領家町からソフトピアへ)." 情報科学芸術大学院大学紀要 5 (2013): 91-108.http://www.iamas.ac.jp/iamasbooks/presentations/journal_of_iamas_vol-5/

[※05]城一裕,The Music One Participates In: Analysis of participatory musical practice at the beginning of 21st century(参加する音楽:21世紀初頭における参加型の音楽実践の分析), 学位論文,博士(九州大学,芸術工学),2015. http://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/ja/recordID/1500449

[※07]パーソナル・ファブリケーション以降の芸術表現に向けた視聴覚メディアの系譜学,科学研究費助成事業,挑戦的萌芽研究. https://kaken.nii.ac.jp/d/p/15K12842.ja.html

[※08]瀬川晃,情報科学芸術大学院大学[IAMAS]准教授,専門はグラフィック・デザイン. http://www.iamas.ac.jp/people/93

[※09]クワクボリョウタ,情報科学芸術大学院大学[IAMAS]准教授,専門はメディア・アート. http://www.iamas.ac.jp/people/86

[※10]2011年11月に,第5回 ミラン・ニザー《ブロークン・ミュージック》( 1965),12月に第6回 レオン・O・チュア《チュア回路》(1983)を実施.

[※11]The SINE WAVE ORCHESTRA http://swo.jp

[※12]デジスタ(デジタル・スタジアム),NHK http://cgi2.nhk.or.jp/archives/tv60bin/detail/index.cgi?das_id=d0009040358_00000

[※13]情報科学芸術大学院大学 [IAMAS]はメディア表現研究科メディア表現専攻という一研究科一専攻のみをもつ.

[※14]永野哲久+ 城一裕《Monalisa: 音の影》(2005) http://www.ntticc.or.jp/Archive/2006/Openspace/research_develop_j.html

[※16]「紙のレコード」の作り方 -予め吹き込むべき音響のないレコード編- http://www.slideshare.net/jojporg/131222-papaerecordjp

[※17]「生成音楽ワークショップ紙のレコード」,2013年12月22日(日) http://www.ygsc-studio.ynu.ac.jp/topics.php?cg=4&p=2

[※20]東京大学先端科学技術研究センターhttp://www.rcast.u-tokyo.ac.jp/index_ja.html

[※21]桐山孝司,東京藝術大学映像研究科教授

[※22]徳井直生,株式会社Qosmo代表取締役,DJとしても人工知能に選曲させるイヴェント「2045」等で活躍.

[※27]「断片化された音楽」

[※28]「月の光に」

[※29]László MOHOLY-NAGY, “New Plasticism in Music. Possibilities of the Gramophone,” in Ursula BLOCK and Michael GLAMEIER, eds., “Broken Music: Artists’ Recordworks” (Berlin: Berliner, Kunstlerprogramm des DAAD and gelbe MUSIK, 1923/1989) pp. 53-58.

[※30]エルキ・フータモ 著,太田純貴 編訳,メディア考古学 過去・現在・未来の対話のために,NTT出版,2015.

[※31][※29] 参照.

[※33]エマージェンシーズ!025 AKI INOMATA「Inter-Nature Communication」,「オープン・スペース 2015」, 2015.

[※34]「サウンディングス(Soundings: A Contemporary Score)」展,MoMA, 2013. http://www.moma.org/interactives/exhibitions/2013/soundings/

[※36]自走式レコードプレイヤー,先日再発が決定.http://av.watch.impress.co.jp/docs/news/20150827_718101.html

[※37]久保田晃弘,多摩美術大学情報デザイン学科教授
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はじめに

金子:車輪の再発明が最初にIAMASでどう始まったかという話をして,次に今回の展示っていう展開が順当ですね.

城:その前史的なところから話しましょうか.そこから始めて現状を話して,いろいろとご意見ご批判をしていただくという形がいいかな.

松井:「車輪の再発明」と生成音楽ワークショップ[※01]は,イコールではないんですよね.

金子:僕は前史には関わっていないんです.

城:例えば,2012年にMakerカンファレンスで,毛利悠子さんと松井さんとをお呼びして「Makerムーブメントと芸術表現[※02]」というセッションをやりましたよね.あの時の話とか,その後のFabの本での松井さんの話[※03]は前史的なものに当たるかと思います.

松井:若気の至りというか,311以降に,芸術を論拠に工学批判は可能かというテキストのつもりだったんだけど,論理が破綻していて,いつか再考したいです.

城:いやいや(笑)あれ,いい文章じゃないですか.

金子:その後,三輪さんと松井さんと城さんで鼎談[※04]もしていますよね.

城:そうですね.あのトークは車輪の再発明プロジェクトを始めた直後に企画したものでした.そこに至る経緯で言うと,さきほど準備中に畠中さんが「2000年は,はるか昔」っておっしゃっていましたけど,そのぐらいまで遡ることはできるかと思います.

畠中:そこまで遡らなくていいんじゃない.(笑)

城:でも,僕の個人史としてはその辺りが原点なんですよね.細かいことは,今年の頭にようやく書き上げた博論[※05]に書いているので,興味があったら読んでください.今日は多少話が前後しますけど,2000年以降の幾つかの実践がいま行なっている車輪の再発明プロジェクトにどのようにつながっているのか,その流れをお話しできたらと思います.

城:まず形式的なところとしては,この研究会は,以前ICCで開催されていたインターネット・リアリティ研究会[※06]を参考に,展示期間内に継続的にやりたいと思っています.インターネット・リアリティ研究会は座談会形式で7回ほどやられていますよね.

畠中:ウェブにあがっているのはそのくらいだけど,実際にはもうちょっと多い.

城:インターネット・リアリティ研究会の記録は,ウェブということもあって,その時代のある部分を生々しく切り出したものになっているし,文字という形で検索可能なので,今後資料的な価値も増してくると思うんです.その点を参考に,この研究会の記録もまずウェブに上げていきたい.その上で,可能であれば紙として出すということも考えていければと思っています.2年間の科研費プロジェクト[※07]の実践の一つとしても捉えています.毎回テーマを設定して話す中で,各々のメンバーの共通の理解と差異みたいなものを,今後浮かび上がらせたいと目論んでいます.今後の展開としては,ゲストを呼ぶということも考えています.という感じで大丈夫ですか?

このプロジェクトの取っ掛かりは2013年の春です.IAMASの授業の一部として僕と瀬川さん[※08]とで始めて,クワクボさん[※09]が2年目にいらっしゃって,一緒にできそうということで加わっていただきました.

松井:今年で3年目?

城:3年目です.学生と一緒にやっているということもあり色々と試行錯誤しながら実践主体の活動をしているのですが,それらの活動がなんなのか,ということを言葉にしていく理論の部分で中川さんと金子さんに手伝っていただきたいというのが率直なところです.また松井さんにはIAMASに来られる前の段階でお声を掛けていたのですが,今後実践と理論の両方を進めていく中でその両者を架橋する部分をお願いできれば,と考えています.これまでにも,金子さんとは,生成音楽というものを理論と実践の両方から考えることを一緒にやっていますし,その活動を中川さんに何度もホストしていただいているという経緯もあり,その流れを発展的に継承できればと.枠組みとしてすごく近いというのはあると思います.

松井:まずは「車輪の再発明」というタームを,どのように城さんが定義されているのかを説明してもらいたいなぁ.

金子:では,生成音楽ワークショップから車輪の再発明への流れを説明したほうが,良さそうですね.

生成音楽ワークショップとそれ以前

金子:生成音楽ワークショップというプロジェクトは,自動的に音を奏でる装置の再現を,展示とかイヴェントとか講義のかたちで実践するというものでした.自分たちだけで作って展覧会に出品することもあれば,学生と一緒に作ったり,参加者を募集して各自に制作をしてもらったり.2010年から今年まで続けていました.

松井:最初から中川さんは関わっていたのですか?

中川:いや,関わっていないですよ.僕,2011年の3月に横浜に来て,2011年度の授業の時に一回来てもらっているのかな.横浜国大の授業で.

城:2011年の後半[※10]からですね.

松井:その時に,新作を作るのではなくて,再制作にフォーカスしたというところが,たぶん,車輪の再発明と関係してくるのではないですか?

金子:そうですね.生成音楽ワークショップをはじめたきっかけはいろいろあります.たとえば,自動的に音を奏でる作品は,古典的なものでも録音でしか聴くことができない.実際に音を自動的に生成している場には立ち会えない,という不満があった.それなら音を奏でる装置を再現してすればいいだろうと.いくつかの作品は楽譜の代わりにインストラクションが残っていて,再現するのに都合よくできている.それで,スティーヴ・ライヒの《振り子の音楽》や,アルヴィン・ルシエの《細長いワイヤーの音楽(Music on a Long Thin Wire)》といった現代の古典的作品を再現していきました.最初はどちらかというと,これらの作品の音を出す構造を分析して分類したりすることに関心がありました.それが,コンセプトを展開していくなかで,エオリアン・ハープや鳴釜といった伝統的なものや,元は実験装置の《チュア回路》も取りあげてみた.これらは現代芸術とかなり違った文脈のなかにある.そうすると,今度はこれらの自動的に音を奏でる装置がいかにバラバラな文脈のなかに見出せるか,それらを聴き比べてみるとどう違うかの方に関心が移っていきました.今年3月の展覧会では,いろいろと異なる文脈から集めてきた生成音楽装置を聞き比べてもらった.ひとつひとつの装置がどんな環境でどんな時代に聞かれていたかをできるだけ丁寧に説明して,その上で実際に聞いてみるとどう聴こえるのかを考えてもらえればと思っていました.そんな流れで,最初と比べると,歴史的な文脈の方に関心が移っていったということはあると思います.

城:生成音楽ワークショップを僕なりに別な角度から捉えると,それまでにやっていたThe SINE WAVE ORCHESTRA[※11] をはじめとした実践では,他の人の作品を取り上げるということはなかったんですけれど,金子さんとの共同作業の中では書物なり論文なりを調べていくという理論よりの作業と,それを再現していくという実践との両者が組み合わさることでしかできないことがやれたかなと思っています.そこに至る不満としては,自分たちのことはさておきになるのですが,実践側は歴史を学ぼうとしない感じがあり,一方で理論側は現場を知らない,ってのがありました.

端的に言うと,例えばデジスタ[※12](とは言っても毎回見ていたわけではないのであくまでもその一部を見ての感想でしかないので,かなり乱暴な意見にはなりますが)を見ていると,その作品の持つ歴史的な文脈や批評性よりも,楽しい分かりやすい,かわいいというような,その場のおもしろさを大事にしているような感じがしていて,その点に関して不満がありました.実際,2004年にアルス・エレクトロニカでThe SINE WAVE ORCHESTRAとして受賞した際の取材でも,どうして音楽分野はあまり取り上げないんですか,って担当の方に聞いたら,難しすぎる,という答えが返ってきて,その難しさを説明するのがマスメディアの仕事なんじゃないかな,と思ったこともありました.でも一方で理論の人たちへの,本当に現場を知ってて批評しているのか,知っていたらそんな回りくどく言わないでしょう,技術的な詳細を含めてもっと具体的な事例について語ってほしい,という不満もあって,理論と実践の両方をやることで,そのどちらとも違うやり方ができるってことを見せられるんじゃないかなって思っていました.これは直接,車輪の再発明での理論と実践の両立につながっていますし,今いるIAMASの「メディア表現研究科」[※13]で僕がやりたいこともこの両立です.

中川:今の話を聞いていて思ったのだけど,僕たぶん,文脈を全然共有していないですよね.まずね,実践家と理論家への不満があってなんで困るのかがわからない.理論家への不満がよくわからない.現場を知らない話をして何が悪いのかっていう気がする.

城:例えばなのですが,「プログラミングとはこういうものである」と,ふだんプログラムを書いていないであろう人が書くことへの違和感,みたいなものがあります.

中川:理論家が現場に口出しをしている,ということですか?

城:現場を批評はしているけれど,その批評が的外れで残念という感じですね.

中川:ああ,そんなやつがいてる,という話ですね.

城:なんというか,自分で体験できる環境がすぐそこにあるのに,資料だけを読んでわかった気になってしまっているように見えてしまって.体験することのデメリットももしかしたらあるかもしれないけど,でも作る側にとっては自分と同じ体験をしている人の書く言葉っていうのは届きやすいと思うんですよ.金子さん,中川さんにはことあるたびにこの話をしているとは思うのですが,実際どうなんでしょうね.

中川:増田聡のオヴァル論はどうですかね? オヴァルがさ「今後みんながオヴァルになれるんだ」って言っていた時期があったじゃないですか.

金子:オヴァルがやろうとしていたのは,音楽の作りかた自体を考えましょう,っていうことでしたよね.パラメータを細かく設定したりしなくていいようにするには,どうしたらいいか.

中川:作家の固有名をなくしましょうっていう……

金子:そういう話もありましたね.

中川:生成音楽ワークショップは,そういうことをやりやすい.そういうことっていうのは,つまり「音楽の作り方を考えなおす」っていうことをやりやすい企画っていうことです.まずオリジナルじゃなくて過去のものをやるわけです.それに,比較的シンプルで身の回りにある材料とかツールを使って,できるものをやりましょう,という企画なわけです.なので,じゃあそれをどうやって組み立てるのか,とか,インストラクションをどうしよう,とか,どういうかたちで聞いてもらえるようにしよう,とか,そういうことをいろいろとアレンジしやすい企画だったわけですね.なので,毎回そういうことを考えながらやっていたんですね.それはもしかしたら,オヴァルとかがやっていたような作り方とか,今の環境でどうやって作るのがいいのかという疑問とか,匿名性のようなものへの関心とか,ツールを使って作られるということの関心とかが,ワークショップをやっている間にずっとあったからかもしれない.で,そういうことこそが車輪の再発明にもつながっていくのかな.と,想像したりします.

城:オヴァルに関連して言うと,友人の永野哲久くんが作ったMovalprocessを思い出します.彼とは2006年のオープン・スペースで一緒に展示[※14]をしました.

畠中:懐かしいな.Monalisa ……

城:永野くんは凄腕プログラマーでオヴァルの大ファンだったのですが,ICCの展示のあとIAMASに入学して,ヴィデオに残されたOvalprocessの動く様からリヴァース・エンジニアリングを行なって、Macのネイティヴ・アプリケーションとして再制作していました.OvalprocessはDirector[※15]ベースで作られているんですけれど,残されたいろんなドキュメントに記録されている機能がほぼすべて実装されていて,音もまるでそっくりという.

金子:2008, 09年頃でしょうか.

パーソナル・ファブリケーションをきっかけに

城:生成音楽ワークショップと車輪の再発明の直接的なつながりに話を戻すと,その結節点にあるのは紙のレコード[※16]ですね.これは,車輪の再発明のきっかけになっているものなのですが,同時に生成音楽ワークショップの派生物としても位置づけています.今回のICCの展示でも紹介していますが,具体的にはAdobe Illustrator上で描いた波形を,レーザーカッターもしくはビニールカッターを使って木や紙の上に刻み,それをレコードプレーヤーに載せて針を置くと,そこから音が出るというものです.これは人がレコードを置いて音を奏でるので,イコール生成音楽というふうに綺麗に言うことは難しいんだけれど,でも装置が奏でる生成音楽という考え方に影響を受けている部分は確かにあるので,横国で生成音楽ワークショップとして呼んでいただいた際にも学生のみんなと一緒に紙のレコードを作るということ[※17]をしています.この実践をきっかけに車輪の再発明というプロジェクトを立ち上げることになりました.

中川:前なんですか?

城:2013年4月からIAMASのプロジェクトとして車輪の再発明を始めています.でも,紙のレコードを作り始めたのはその前,松井さんも関わりの深い東京藝大の芸術情報センター [AMC]にいた時からです.これまで出てきませんでしたが,このプロジェクトに関わる大きなキーワードのひとつに,パーソナル・ファブリケーション[※18]があります.僕は2010年の4月にAMCに着任したのですが,その前にイギリスのニューカッスル大学カルチャー・ラボ[※19]というところに文化庁の在外研修員として行っていました.そこでは例えばレーザーカッターとか3Dプリンターといったデジタル工作機械が数ある機材の一つとして使われていたのですが,日本に戻ってきてそれまであんまり足を踏み入れたことのなかった東京藝大という場に来てみたら,まったくそういう機材がなくて驚愕したのを覚えています.

松井:2010年頃は,日本国内では,まだそんなに導入されてなかったんじゃないですか?

城:美術系ではそうだったみたいですね.イギリスに行く前は東大の先端研[※20]という場所にいて,そこでは研究室単位ではそういう機材を活用していたので,まあそんな感じで藝大にもあるでしょうと思っていたのですが,来てみると,3Dプリンターが1台,彫刻科にあるけど,それ以外は全然ない.そこで,AMCは学内共同利用施設,ということで大判プリンターなどの機材を揃えていたので,その延長でレーザーカッターを1台導入しました.当時の目論見としてデザイン,建築では当たり前のように使ってくれるだろうと思っていて,実際その通りになったのですが,できれば工芸の人に使ってもらいたいという思いは,まだ届ききっていない気がしています.

松井:そういえば,藝大映像研究科にはわりとはやく導入されていましたね.

城:そうですね.当時AMCの運営委員でもあった映像研究科の桐山先生[※21]にはお世話になりました.そんなこんなでレーザーカッターは無事に2010年の夏過ぎに導入されたのですが,その時に友人の徳井くん[※22]と「レコード作れたらいいね」という話で盛り上がりました.そこで,早速彼が送ってくれたデータをもとにアクリルを加工してみたら円形の溝が刻めて,それをレコードプレーヤーに載せて針を落とすと,まあ,いわゆる音楽ではないんだけどなにかノイズが聞こえきた.

そのときは,それだけで,おお,っていう驚きがあったんです.ただなぜか音をちゃんと鳴らすためには溝を縦方向に刻まなければならないと勝手に思い込んでいて,レーザーカッターでその加工は難しいなあ,と,忙しかったこともあってちょっと放っておいたんです.でも,IAMASに移って少し時間に余裕ができたので,もう一度やってみようと思って再開しました.

金子:何年ですか?

城:2012年の4月ですね.だから1年半くらいはとりあえず音が鳴ったっていう段階で止まっていた.IAMASに移ってから再開するときに,ふと,溝って縦じゃなくて横でもいいんじゃないのと思ったんです.そこで,横に連続的に溝を刻むのであれば,ベクトルを描くAdobe Illustratorが使えるんじゃないかな,と思って色々と機能を調べました.そうしたら,その中に効果>ジグザグ>なめらかというのがあって,それを円に適用してみたら,円状にサイン波が描けてしまい,これはもしかして,と思いました.作ったデータをレーザーカッターで出力して,出来上がったレコード盤のようなものをレコードプレーヤーに置いて針を下ろしてみたら,見事にサイン波的な音が鳴り響き,回転数を変えたら周波数が変わって,さらに円を弧に分割して,ブレイクを入れたら,ああビートになったと.もうその時点で「これでなんでもできるじゃん」と思いましたね.

中川:それは何月何日ですか?

城:何月何日かな?

中川:そういうのは憶えていないんですか? できましたとか,ブログに載せたりとかはしないんですか?

城:ツイッターでできた! ってつぶやいたような記憶があるので,遡ればあるんじゃないでしょうか.

中川:あるんでしょうねえ.

城:その後は,アクリルやMDFとレーザーカッターを使って色々と試していたのですが,半年くらいたった時うちの奥さんの誕生日に,紙を切るビニールカッター[※23]を,これで色々作れるよ,とプレゼントしたんですね.まあ僕が欲しかった,ってのもあったんですけど.

松井:結局自分で使ったわけね(笑)

城:IAMASにはもちろんその機材はあったのですが,やっぱり手元にあると距離が近くなるので,「もしかしたらレーザーカッターの代わりにビニールカッター使って紙でもレコード作れるかも」と,家でふと思い立って,厚紙を加工してみたら「おお,なんか溝っぽいものが刻めてる!」と,それで家のレコードプレーヤーに載せて針を落としたら「鳴った!」.第二の喜びみたいなものですね.

中川:奥さん何に使ったの? それ.

城:ほとんど使ってないですね.僕のレコードにしかほぼ使われていない(笑).でも本来は切り絵とかできるんです.子どもの何かを作るとか.そういったのもできるしさ,って言って買ったんですけど.

中川:悪い男やな.

城:2—3万円位でしたね.それと比べるとレーザーカッターって100万200万しちゃう機材なので,全然パーソナルじゃないんですよね,実際.

金子:管理も必要ですね.

松井:全然改善されないね.

城:管理が必要だし,やっぱり大学とか大きな企業とかじゃないとできないじゃん,って言われた時に,そうですよねって言わざるをえないものが,ビニールカッターとかも,2万円とかで普通のプリンターとかと同じレベルだから,そうは言わせないぞ,というふうになって.

金子:パーソナル・ファブリケーションのパーソナルって,自分で所有できるっていう意味だけじゃなくて,自分で作りたいものが作れるっていう意味もあると思いますけど.

城:だからこそ手が届くっていうのはたぶん大事で,今後の研究会の中でも出てくると思いますけど,FabLab [※24]のような場所もそのためにあったりするとも思っています.

金子:城さんとFabLabやMakeのつながりは,もっと以前からあった.

城:僕個人としてはそうですね.MakeとかFabLabとのつながりは説明した方がいい?

金子:要点だけでもいいですよ.僕にとって,Makeはツールの応用というか,新しいツールが普及したときに,その使い方を好き勝手に考えることや,それに伴う匿名性がおもしろいです.

城:その前にレコードの経緯を話しますね.紙でできるようになったので,いろんなところに機材を持っていってみんなでレコードを作るというワークショップをするようになりました.最初のワークショップは,IAMASが2012年に東京のSHIBAURA HOUSEでやった「一歩さがって,二歩すすむ」[※25]という展覧会で,その時に参加者が作ったレコードでパーティをやる,というのをやって,なかなか大変だったんですけれど,でもおもしろくって.その後は,2013年の夏に韓国のsadiに呼ばれ[※26],横国でも2013年の暮れにやりました.並行して他にできることはないかなと考えて作ったのが,今回展示したアクリルを断片にしたもの[※27]とか,蓄音機でかけられるもの[※28]とか,ですね.この活動と並行して生成音楽ワークショップもやっていたので,その視点からは,装置の奏でる音楽から派生した音楽の一つ,というように位置づけています.このあたりが,生成音楽ワークショップと車輪の再発明とのつながりではあるのですが,このレコードは別の捉え方もできて,例えばモホイ=ナジの文章[※29]には事後的に出会ったのですが,まさに彼が思い描いたことを90年後に実装した,という言い方もできるな,と考えたりしています.その他,メディア考古学の実践としても位置づけられると思うのですが,これに関してはそうです,と言いたい反面,そのまま人の言葉に乗っかりたくない,という思いもあります.

フータモさんの『メディア考古学』[※30]の中では,岩井俊雄さんやポール・デマリーニスがメディア考古学を実践しているアーティストだと位置づけられているんですけれど,先ほどのパーソナル・ファブリケーションとの関連で言うと,僕がやっていることを特権的なアーティストの仕事です,とは言いたくない気持ちもあって.それがなんでなの? という問いに,この研究会を通して答えることができたらおもしろいと思っているんです.

中川:ははあ,その辺があやふやなんですね.

城:そう,言語化はできていないです.

中川:なるほど.

城:確固たる思いはずっとあるんですけれど(笑).この両義的な感じは,車輪の再発明という言葉にも現われていますね.

なぜ「車輪の再発明」なのか

中川:なぜ「車輪の再発明」なんですか?

城:過去にあったものを,なんらかの形で今に見せるというのが,ひとつあります.

中川:車輪の再発明って,過去にあったものを知らずして同じものを発明することでしょ?

城:その意味が一般的ですよね.

中川:ふつう悪口ですよね? なんで車輪の再発明って言わなきゃならんのですか?

城:まさに「なぜ」? って,中川さんみたいに思ってもらいたいというのもあります.

中川:でも車輪の再発明って,たぶんもう一つ意味があって.既存の技術を学ばせるために既存の技術が発明された道を辿らせる教育的な手段,って意味合いがあるでしょ?

金子:慣用的にそう使われている?

中川:使われているのは,その二つが多そう.というのが,僕のTwitterの定点観測で出てくるんです.基本,悪口ですね.「そんなもの車輪の再発明だよ」って言うときは.あと,新入社員にプログラミングを教えようとするなら「そいつに車輪の再発明をさせるのが一番だ」みたいな感じで使われていますね.クリエイティヴなものに対して使う言葉ではないよね.このプロジェクト名に使うのはなんでかな,って疑問を感じますね.

金子:芸術のジャンルは悪口がよく使われる……

中川:ちょっとわからへんなその話は.それはだって,他の人が言うときでしょ.ミニマル・ミュージックとか.

城:うまく説明できるかわからないんですけれど,まさに今みたいな反応が期待していたところでもあります.というのも,先ほどお話しした紙のレコードはプロジェクトを始める前からやっていて,僕の中で揺るがないものになっていたので,これをあえて車輪の再発明と呼んでみると,どういう反応が返ってくるかなあと思ったんですね.

というのも,紙のレコードから音が出ているのをわからない人が見たら,ただ「ああ,レコード作っているんだ」と思うかもしれなくて,悪い意味での車輪の再発明として.

中川:ああ! 嘘をついているということ?

城:いや,嘘はついてないですよ(笑).でも,もし騙される人がいたら,それはそれでおもしろい.

中川:ああ,なるほど.つまり,よくわからないまま見たらこの「紙のレコード」はレコードに見える,ということを言っているんですね.

城:うん.

中川:だけどレコードではない,と言いたいの?

城:そうなんです.

中川:ああ,いままでのレコードとは違うものだと.

城:図形を描いて音を出しているだけなので,すでにある音を記録してないという意味で,レコードではないと思っています.

畠中:ある音楽の波形を刻んだら,その音楽が聞こえるんでしょ?

城:そういう意味では,録音された音声データを波形に変換して,それを溝として刻み直す,という形でいわゆるレコードも作れるんですよ.このやり方で.でも,波形を直接描いている場合はレコードではないだろうと言いたいんですよね.

畠中:それはモホイ=ナジの言ったような「万能音響再生機」[※31]になるということですよね.結局,車輪の再発明という名前の通り,見た目で言えばありもののターンテーブルを使って,仕組み自体はまるっきり同じのものを使って,でも,盤というか,ある素材に音を記録する,その仕方だけが違う.たとえば,円盤じゃなくて円筒にしたりとか.ターンテーブル自体を発明しているわけじゃないという見方で言えば,「なにこれレコードじゃん」という話になる.「この人なに作ったの? ああレコードだ」と言ったら,車輪の再発明的なことを喚起する人もいるでしょう.だけど,開けてみると,レコードというのはアナログで振動をそのまま刻んだものなんですけれど,これはデジタルです,ということもできるわけじゃない.デジタル化した音の波形を刻んだら,普通にアナログで読み取ると,音が出ます,と.それで言うと,いまの話は筋が通っていると思います.

中川:なるほど,やっと分かりました.

城:おお(笑)

中川:いやあ,IAMASって技術を教えるから,本当に技術を教えようとして車輪の再発明って言っているのかなと.

城:いや,そうではなくて,その二重性って言えるのかな.そこをやりたいと思っているんです.

中川:深い意味があるんですね,ちゃんと.

作品とツールのあいだ

城:僕としては,クワクボさんや瀬川さんが展示している他の作品も,同じように捉えています.RGBの網点も普通に見ると,「あ,LEDで綺麗ね」と思うけど,本来の網点の意味を知っている人から見ると,これまで印刷の技法として,インクを重ねるために使われてきたものでしかなかったはずなのに,それが光を合成するために使われるという,まるで逆のことを同じ網点で行なってしまっているというところに面白さや驚きを見出してくれるんじゃないかな,と.もしかしたら昔,本当にやられていた可能性はありますが,いわゆる本当の意味での車輪の再発明とは違う,実際に行なわれていたこととは違っている部分がある,という二重性のようなものを都度見せていきたいと思っています.

畠中:だけど,なんか微妙にずれている,というか,城くんの紙のレコードとかとは別に,クワクボさん,瀬川さんのもうひとつのプロジェクトの方というのは,若干,城コンセプトとは違うような気がしますね.あちらは,城的な意味での車輪の再発明と言えるのかというと,ちょっと違っているような気がします.それはまた,そちらのプロジェクトの話を聞かないと分からないかもしれません.

城:そうなんです.そのあたり,きっちり話せていないのでぜひ次回はクワクボさんにも参加していただいて議論できたらと思っています.

畠中:「ありえたかもしれない」というとちょっと違うような気がしますよね.もちろん印刷技術と,光の三原色とを合わせたっていうことなんだけど,それはあらゆるものを原理にまで分解して,そのエッセンスを印刷物と映像,光,光学とを合わせたらこうなった,というか,ブリコラージュなわけです.だから,若干,城的なラインとは違っている,っていう気がしました.

城:うんうん.たぶん僕の捉え方と,瀬川さんやクワクボさんの捉え方っていうのは違うと思うんです.ただ,その色々な側面を含めてプロジェクトとしてやっていきたいと考えています.

畠中:車輪の再発明というより車輪の再利用みたいな感じ.鉄道じゃなくて,ちょっと和田永的な話になっちゃうけど,たとえば車輪が落ちていて,それをまったく知らなかったある種族が「これ何に使うんだろう?」と,でまったく別なことに使うようになったというような.

城:とはいえ,網点の場合は車輪は落ちていたけれど別の物に使う,というほど全然用途が違うというものでもないですよね.

畠中:写植のやつはそう感じるかな.

城:確かに,写植は本来の用途とは違っているように見えますが,でも,こちらもレンズで拡大して字体を変化させている,という点においては活版やDTPとは異なる本来の写植の用途を踏まえているとも言えます.

金子:クワクボさんと城さんのやっていることと,和田さんのやっていることの違いかもしれないと思うことなんですが.車輪の再発明が展示しているものは,いわゆる作品とツールのあいだの中間層をどんどん増やしていっているような印象があります.たとえばレコードに直接溝を描くというと,大友良英さんと尾関幹人さんの《with records》[※32]もそうですね.レコードの盤面にエッチングをして,それをターンテーブルにのせる.エッチングが非常に技巧的で美しくて,音自体はほとんどコントロールできない.くらべて城さんの作品は,その方法を使って違うものをつくってみたいと思わせるような,万人向けの方法です.ちょうど,INOMATAさんがいまのICCの展示[※33]でそれをやっているわけですね.紙のレコードの方法を使って,別の作品を作る.作品がツールになっているわけです.クワクボさんの作品も特殊な技巧は使っていないので,それを使って違うものをつくることができそうだと感じます.作品とツールを両極として,その間に層を作っていく実践は,パーソナル・ファブリケーションと相性が良いようにも見えます.パーソナル・ファブリケーションは万人向けの新しいツールをどんどん作っているので.

畠中:そういう意味では,一部の生成音楽というのは装置と表現というのが,分かちがたく結びついているもの,という認識なんです.たとえばルシエの長い一本のワイヤーで演奏するっていうのが出てくるかもしれないけど……

金子:ルシエの作品だと,ヤコブ・キルケゴールがその方法だけ使う作品を展示してましたね.MoMAの「サウンディングス」展[※34](2013)で.

畠中:バーバラ・ロンドンがキュレーションした展覧会でしょ.

金子:そうです.キルケゴールの《AION》[※35](2012)っていう作品は,チェルノブイリの発電所の敷地のなかで《I Am Sitting in a Room》と同じような録音・再生の反復をやっています.過去の作品の方法を使って別の作品をつくっている.

城:リミックスみたいな.

金子:そうそう.オリジナリティとかスペシフィシティという要素が一方にあって,他方に方法とかツールがあるのかな.かなり雑な図式ですが.方法を共有する一方で,その方法を使ってオリジナリティやスペシフィシティを表現する.これは一般的ですね.それから,方法をつくること自体が表現活動になることもある.車輪の再発明とパーソナル・ファブリケーションを結びつけていくなら,方法やツールを作るという意識が重要なんじゃないかと思います.方法だけとか,極端になってしまうのも避けたほうがよさそうですが.スペシフィシティとツールの間を意識的に行ったり来たりするような.

畠中:ただINOMATAさんの作品は,紙であること,紙のレコードであることは作品に直接関係ないとも言えますね.別にカッティングマシンでカットしてもいいわけだから.レコードじゃなくても,もしかしたらよかったかもしれない.でも波形の形が見える必要はある.成長線というのが見えないといけないから.だから線というものが可視化されているということが必要なんだよね.そうすると,別に紙のレコードでなくてもいい,とも言える.そうすると,音の溝がよく見えるようなレコードを自分でコントロールして,簡単に作る手段ということにとどまっていると,この研究会からの観点では言えるかもしれないわけだよね.

金子:どうなんでしょうね.簡単にレコードを作る手段という解釈もあっていいと思います.このツールだったらこう使うべきという発想には,ちょっと懐疑的になります.もちろんツールは完全に万能でも無色透明でもないですが.この素材だったらこうすべきといういわゆるメディウム・スペシフィシティには,いろいろと批判がありますよね.

畠中:それに意識的であることは重要だと思っているけどね.

金子:僕はいろんな偶発的な結びつきを見たいです.ツールの使われ方はたいてい時間が経つといくつかに絞られていくけど,そうじゃない可能性も常にあるということの方が重要だと思うんです.

畠中:そういう段階はあるでしょう.

城:さっきの車輪の再発明の二重の意味に引きつけて言うと,まさに畠中さんがおっしゃったような,簡単に作ることができる手段として僕の考えた「技法」——という言い方をしてますけど——を使ってもらえたということは端的におもしろいです.

中川:「技法」って言っているんだ.

城:金子さんが言ってくれた「作品とツールのあいだ」に対して,今のところ「技法」という言い方をしています.横浜国大のワークショップでもすごく感じたことなのですが,例えば学部生の子にとっては,初めて触れるレコードが自分で作った紙のレコードだったりする.それが,彼らにとっての当たり前になってしまうということは,いままでの100年以上のレコードの歴史,その通史とは全然違うことになりますよね.限られた範囲にはなりますが,僕にとってはある種のしてやったり感がそこには出てきます.

中川:いままで積み上げられたレコードの歴史を俺のものにしてやったぜ,みたいな.

城:彼らにとってのレコードというものを,歴史上のレコードとは全然違うものにできちゃったということなのかな.

中川:城くんはだからレコードを発明したんじゃないんだよね,きっと.Illustratorを使って振動を刻むことによって音を発生させられる技法,を発明したんだよね.

畠中:まったくその通りだよね.

中川:形がレコードっぽく見えるからレコードになっている.

金子:あとターンテーブルを使っているから.でも使わなくてもいいよね?

城:使わなくてもいいんだけど,使わないと……

金子:紙コップの底に針をつけて……

城:できるけど,それは違う話ですね(笑),やりたいことじゃない.

金子:なんでこんなことを言うかというと,どうしてターンテーブルなのか考えてみてもいいですよね.偶然ですか?

中川:そこでたぶんメディアと関係してくる.城くんは実際に物を触って作っていたから,ターンテーブルを使ったんだよね,きっと.メディウム・スペシフィシティか.

城:使ったというよりは,すごく意図的に使っていますね.その接続はすごくしたいんですよ.いままでのものとまったく無関係のものとしてポンと出したかったわけではなくて,そこに無視できない,なにか違うつながりを作っていきたいんです.

中川:文脈を作っていきたいということ?

金子:科研に応募したときに,「系譜」という言葉を使ったんですね.フーコーの思想では系譜という言葉が,偶発性と結びついています.系譜の反対はあらかじめ決められた一つのゴールに進んでいくことで,目的論が系譜学の反対なんです.それで,城さんの話を聞くと,ターンテーブルは何かのゴールを目指して選択されたというよりは,そのときの状況とか流れのなかでそうなったのかなと思います.まったくの偶然ではもちろんないけど,あのときはこの選択が必然だったくらいしか言えないんじゃないかと.

城:うーん,必然……

金子:必然というか,そのときはこれ以外の選択肢がなかったという.

城:ターンテーブルを使わないっていう選択肢はなかったですね.

畠中:蓄音機とかは,結局,記録する方法と,ターンテーブルに相当するものもセットで発明しなくちゃいけなかった.持続的に一定の回転を与えることである長さを得られて,その長さによって,ある時間が記録できる.その回転運動を一定に安定して動かせるようなものがあれば.というのはセットで考えられてきたわけだけど,今回は,記録するメディアのことを考えたわけでしょ.その方式というよりは,方式はもうすでにあると.ターンテーブルっていうベースがあって,それに記録する方法を新たに発明したということに,なるんじゃないですか?

城:そうですね,録音と再生というように,いままでレコードとプレーヤーというのはセットであったというのは,その通りです.その中で,僕の取ったアプローチでは,再生,つまり音を発生させる部分はこれまでと一緒です.でも,録音,言うなれば音を記述する部分はこれまでとは全然違うやり方をしています.

中川:ターンテーブルは人の作ったものを使わせてもらうという感じですね.

城:そうですね.

中川:でもいわゆるターンテーブルじゃないものも使っていますよね.バスのやつ[※36]とか.

城:それでも既存のプロダクトに寄りたいんですよね.オリジナルの装置はあまり作りたくない.というのは,そこまで独自のものにしてしまうと,理解してもらえない人からは,なんかよくわからないけどすごいね,と簡単に違うものとして片付けられてしまうという経験があって.たとえば久保田さん[※37]は,わかってしまったら美術じゃない,とおっしゃっていますが,そういう意味ではわかってほしいと思っているところがあって,そもそも「作品」を目指しているわけではないのかもしれないです.

中川:すごい単純に図式化したら,音を作り出す部分は自分で作って,作り出した波形を,ジグザグを,固定するメディアは既存のレコードみたいなものを使って,再生する部分は既存のターンテーブルそのものを使うわけでしょ.ということは,こういう仕組みを,刻み込んで音を記録するメディアではなくて,音を遠方から電磁波を使って送受信するラジオに使ったとした場合ね,音を発する部分のメディアとしては既存のラジオとスピーカーの部分を使ってね,その前の電磁波の部分で音をコンピュータとかでいじくって,音や音楽を奏でるって可能なんですか?

城:可能だし,それは近いと思いますよ.

中川:可能なんだ.

城:例えば,ラジオ・テルミン[※38]って,多少そういうものですよね.

中川:例えばさ,ラジオが受信したら音を発する電磁波そのものを,パソコンで作り出す,みたいなことってできる?

城:なにか装置は必要ですけど,ラジオのトランスミッターみたいなものを,いまパッとは想像つかないけど,違う形で作るようなことはできるんじゃないかな.現にラジオではないですけど,スピーカーを別な形で作るということをまさに,IAMASの研究生がやっていたりもします.その結果は年度内の展示の中でお見せできると思います(笑)

中川:見られるんだ.じゃあ紙のレコードの次は,その不思議なラジオができるわけだ.

城:ラジオっていうのかな,あれ.分からないけど.

畠中:ビート(うなり)が発生させればいいんでしょ.ふたつラジオを並べておいて,第3の波を発生させるとか?

中川:ああ,小杉武久[※39]か!

畠中:その差分がメロディーになるような計算をすればいいのかな.

城:それは横国の生成音楽ワークショップでもやりましたよね.

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