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  2005年10月21日(金)—12月25日(日)ギャラリーA,B,5Fロビー,エントランス・ロビー
  
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		  |  展示作品(会期中,一部作品の展示替えがあります.) | 
	
	
		   
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野村仁      
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			《Tardiology》 
			4点組写真 
1968/1995年 
京都市美術館蔵 
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写真や映像には,主観的に捉えられる世界とは別のものが現われている.
  
巨大な段ボール箱を4つ積み上げたままにして,それが翌日には夜露や自重によってつぶれていくことに,自分の意志とは別に生まれ出る形を見いだした野村は,これを写真によって定着させることを考えた.〈tardy〉という「遅い,到達しない」などの意味を持つ言葉を用いた題名からは,構築的な造形への意志が及ばないところで起きている出来事を鋭敏に察知する感性が読み取れる.
  
一連の記録メディアを用いた作品においても,終わりなく絶えず変化し続ける動きの軌跡が定着されていくことへの強い関心が見いだせ,新しいものを生産し続ける一方で,私たちが自分たち自身や自然,宇宙の微細な変化をつねに見逃していることを気づかせてくれる.
 
 
  
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		《rape-blossoms, devil-fish, iron-y》 
  ヴィデオ,モノクロ,23分 
  1975年
  
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作家自身の言葉を借りれば,この作品を制作した当時,「精神を病む」ということについて考えていたらしい.自ら女装をして登場し,一生涯における三つの世代の服に着替えているが,しぐさや目線の置き方などがその通りの印象を与える.題名には,それぞれ,菜の花,octopus(タコ)の別名,皮肉,という意味の言葉があてられている.
  
通常考えられている「健全な人間」は,実はその全体性を形作る属性から,余分なものを排除することでかろうじて成立しているような脆さを持っているのではないだろうか.唯一のものと信じて疑わない自分という存在さえも,実は別の何かを内側に潜ませていることを,カメラが客観的に暴き出しているように思える.
 
  
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