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From: ROKKAKU Kijo: 24 May 1997 |

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制作:磯崎新アトリエ
computer generated image by Arata Isozaki and Associates
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From: ROKKAKU Kijo: 8 July 1997 |
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このプロジェクトで私に偶然与えられた場に,コスモロジックに東京が移送される.
かつて,私が手がけた東京武道館が初期設定される不幸に見舞われる.
東京武道館の建築は,一方で日本の伝統的文化の継承を背景としてイメージの端を発してはいるが,形象化したものは日本の様式を模してはいない.形象化のモチーフは日本的風景の模造であり,武道を継承する人の心身に伝達される遺伝子の形象だった.その形の選択が菱形の単位として現れ,周辺の環境と呼応を繰り返しつつ,全形に雲海山人がイメージされている.このフリーで終わりのない集積的現象が,東京の側面を表しているのでは
ないだろうか.
東京武道館では,具体的には菱形のピースで人工的な山をひとつのモチーフとして出現させているが,言い換えれば,固定化した形態ではなく,むしろ不形,無形の一時的凍結した建築なのである.従って,このフラクタルな要素を保有する山はいつでも変容し,解体再生することもイメージの世界では自由である.
海市計画のこの地で,東京武道館で行った形式をそのままあてはめてみようと考えたが,同じ形を操作しても自分自身発展性もない故,仕掛けだけを取り上げ,遺伝子の形態をリング,すなわち○に置き換えてみることにした.最小単位である○型の側面を「生じる,消える」「のびる,もぐる」「つなぐ,切れる」「開く,閉じる」「避ける,ぶつかる」「曲げる,ねじる」といった形態の性質と人の欲望適行為に連鎖する」イメージで,自由自在,言い換えれば勝手放題に「与えられた場」から「許される他の場」へ成長していくチューブシティーを構築することにした.無論,隣が嫌がる侵略はしない.塀があればぶつかる.許してもらえれば貫通する.地中を潜ってよければ,水辺に顔を出すことも可能であろう.
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制作:磯崎新アトリエ
computer generated image by Arata Isozaki and Associates |
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