岡崎乾二郎,丸山洋志,古谷誠章諸氏の連鎖を受けて
このプロジェクトは,空間的,時間的宙吊り状態の中で進行する.静止点のない連続運動.凝縮された時間的シミュレーションの中で,われわれの「都市」は何処から来て,何処へと向かうのか?あるいは,目的もなく漂泊するのみなのか?
空間的に与えられたマカオ沖という与条件は,それが「シマ」として措定された時から,結果的に,場の制約から解放された "nowhere"の「都市」プロジェクトへと向かう.シマでありながらも,繋留から解かれた「ひょっこりひょうたん島」.それが,「ヴァーチャルな蜃気楼の世界」としてイメージされるにせよ,「隔離病棟」としてイメージされるにせよ,「海」という生命起源的でアルカイックな世界に囲まれたその空間的な定位は,結局は場的な与条件をゼロに帰す結果となった.
"nowhere"のプロジェクトとは,何処にもない(no・where)「ユートピア」であると同時に,いまここに(now・here)現出する世界である.
近代以前の西欧の都市は,すべて陸地の「シマ」として成立したという議論を肯定したにせよ,それだけでこのプロジェクトが「脱亜」的文脈の中で位置付けられ得るという保証はない.しかし,「風水」や「都市と蚤民」といったプログラムを組み込むだけで,このプロジェクトにアジア的な文脈が発生するわけでもない.繰り返しになるが,このプロジェクトには,最初から「場所」は欠落していたのだから.
こうした意味で,このプロジェクトは空間的に宙吊りにされている.
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しかも,このヴィジターズのプロジェクトは,「予定調和」とは無縁な時間的経緯の中で継起する.つまり,それぞれのプロジェクトには,その前後のプロジェクトとの「調和的な」折り合いは期待されてはいないので,連続的な「コラボレーション」の方法をとりつつも,基本的には「断絶」の連続となるであろう.
「シマ」になんらかの意味を見いだすために,既に表明された「境界」や「伸縮自在な半透膜」,あるいは「迷路」といった言葉の連鎖が,既にそうした断絶を記述している.
時間の中で生起するこの都市のプロジェクトは,収束点のない振幅を繰り返すであろう.「進行形」で展開するプロジェクトには,到達点はない.物理的時間による中断があるのみだ.すべては束の間の蜃気楼.時間が空間を凌駕する.
空間的なプロジェクトに時間がプログラムされたときから,空間は本来的に「消滅」へと向かっていた.誕生した時間から約束された死.束の間の生は「花火」であり,それが線香花火となるか,尺玉となるかの違いだけだ.あるいは海の中の水中花.
鵜沢 隆
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