ICC





はじめに
入場料
展示作品 1
展示作品 2
海市について




計画/経緯
ANY会議/ユートピアをめぐる言説
ヴェネツィアビエンナーレ/海市計画コンセプトパネル
展覧会について(会場構成




1. プロトタイプ
2. シグネチャーズ
3. ヴィジターズ
4. インターネット
ウェブページを通じた展覧会への参加
DWF形式によるAutoCAD図面の参照
フォーラムのページ
参加作家
カタログ
 
1997年4月19日 〜 7月13日 [終了しました.] ギャラリーA





岡崎乾二郎氏から丸山洋志氏へ


 
洗面器1

 
火曜日はお疲れさまでした.家に戻って,すぐメモを書こうと思いながら,またもや遅れてしまいました.ともかくも,とりあえず,連歌の練習その壱,発句として,僕が述べたことをテーゼ風に記し,あとは,ランダムな羅列に近い?想定問答集の恰好で駄文を付け加えました.

発句としてのテーゼ
○海市は(その名からみても),第一にまず港である.港が港である条件は堤防という皮膜で,内海と外界を区分し,外洋から船舶を守ること.つまり海市の元型も,この堤防によって形成された輪郭と,その内部に囲まれた内海を湛えた,海に浮かぶ壺.あるいは磯崎プロトタイプで語られているように浸透膜によって保護された細胞.

○壺であれ細胞であれ,内部に湛えられているのは,ほとんど液体,水であり,港であれば,堤防の内側にあるのは,その外部と同じやはり海水である.ここに多数の船舶の安定した停泊が保証されれば,とりあえず港である条件は満たされる.

○この内部が埋め立てられるかどうかは付随的な要素である.

○ちなみに海に浮かんだ壺----内部に水を湛えた-----中国のユートピア像の典型です.まわりをぐるりと堤防ならぬ山に囲まれ,真ん中に満々と水が湛えられている.

補足テーゼ

○海市プロトタイプで計画されている,いくつかのビルディングタイプで最も上位に位置づけられるのは,蚤民であるはずだ.(海市の島--港という条件を最も有利に利用でき,その特性を展開できるのは,船上生活者の蚤民である)

○交通手段であると同時に独自のテリトリー(住居)として完結もしているといるという蚤民は,そのまま島の近傍的属性を代表している.しかし,ここプロトタイプの海市では蚤民が,その有利な機能を奪われ,抑留されている.蚤民はなぜ,この港にやってきて停泊づづける必要があるのか?

○その意味でプロトタイプでは蚤民が,内陸に向いた港に幽閉されているようなのは理解しがたい.さらにプロトタイプでは,この港から島内のメインストリートである運河へは,一度外洋に出ないと,入ることができない.つまり港と運河は位相的に連続させられていない.

○島内の陸地に運河が蛇行しているのではない.はじめに堤防があり,その内側(港内)に海があった.そのつぎに,周辺が漸次埋め立てられ,運河のように港は変形されていき,拡張された堤防が島となった.すなわちドポロジー的にいって区別されえない.港と運河は同一である.

 

 
洗面器2

 
以下蛇足
Q1 海市はなぜ島か?島として計画されることによる有利な点は何か? あるいは海市が島として成立する条件はなにか?(その条件が見いだされない場合,その建設ははたして意義が見いだされるだろうか?)

A1 島は,ある領域(国家?)内とその外部との交通,交換の干渉帯である.その意味で島は境界,インターフェースそれ自体である.領域間の境界としての島は,それが区切りつつ,接続している複数の領域のどちらにも属さない(近傍?).そのことによって,島は,その独立性が維持される.

2 いいかえれば,主要な領域(国家)から見て周縁に位置する島は,いつでも隔離され,切り離すことができることにおいて,バリアとして機能する.

3 ということは,メジャーな領域に対して,マイナーな領域としての島がその存在理由を確保しうるには,メジャー領域にとって,隔離,排除すべき危険因子を島がその内側に属性としてかかえこむということが,条件のひとつになることが考えられる.

4 防疫,防災のバリアとしての島-----隔離病棟,収容所,各種処理設備,享楽施設,ギャンブル等

5 危険性とは,その効果が確定できないこと.予測できないこと.すなわちコントロール不能であることである.すなわち空間的時間的に,対象となる出来事が定位されえないこと.一義的に確定されえないことである----放射能の危険性,疫病.島はそれらの可能性を内部に囲いこむことで,自らも不確定さ-----すなわち自由を獲得する.

6 自由さは,選択可能性の確保,移動可能性の確保である.いいかえれば,普遍的,客観的な判断基準がなく,恣意的(きまぐれ)な主観性に委ねられることによってしか,選択,決定が行われえないという状況が自由ということだ.

7 あらゆるものが選択でき,あらゆる場所に移動(変形)可能たとしても,結局,ひとは,そのうち一つしか一度には選べない-----つまり現勢化(アクチュアル)にはならない.ここで倫理の問題すなわち責任の問題が生じる.『なぜ,それを選んだのか,他を選ぶこともできたのに』

8 個々の倫理に委ねられざるをえないような選択の揺らぎが,危険性であり,その危険性(リスク)が自由を保証する.

9 港------島ではあらゆる選択と決断は,たちまちリアリティを奪われ,可能世界すなわちヴァーチャルな蜃気楼の世界に押し返される.なぜなら,島では,選択する自己そのものが,不確定であり,選択の主体それじたいが選択の対象でもあるということが起こされるからである. 『今日の俺は一体誰だ』------------記憶術の発達を見たベネチア.記憶術のコツは,他者の経験も自己の経験も,すべてリプレイ(再演)としてみなすことによって,等価にしてしまうことにあった.ここで他者の記憶と自己の記憶の交換が可能になる.あらゆる現実化された出来事は,たとえ自分が体験したことであれ,すぐさま他人の記憶と等価------すなわち『友達の友達から聞いた話だけど』という根拠のあいまいな伝聞------関係性に押し戻される.マルコ・ポーロの例の東方見聞録にしても,マルコポーロがベネチアの牢獄に幽閉されていたとき,牢獄での隣人のまた聞きによって書かれた恰好になっている.

10 自由を確保しつつ,責任を回避するために,自己と他者の区分をあいまいにすること.これが曖昧な浸透膜としての港------島の戦略である.

11 島流しという語は隔離を示唆するが,隔離つまり内部から外部を押し出すことで,ある共同体は,島という境界へ向けて,他者を押し出す(追い出す)が,島の内部では,同じ現象が「他者から自己(アイデンティティ」を奪いさる,という様に現われる.

12 自己を構成する関係性を組み換えるということにおいて,隔離という島の特性は,島それじたいが,ひとつの交通手段であることをあきらかにする.つまり島流しとは,島それじたいを,乗り物として,どこか他の領域へと流出変態していくことも暗示している.

13 港としての島は,船舶を停泊させるための場というよりも,島それじたいが船であり,つまり交通機関そのものへ変身,変態しようとした陸地の欲望の形象である.(大地の上を移動するのではなく,大地それ自体が移動する.)

14 移動する空間-----交通機関(飛行機,船等)の内部は,その外部から隔離されている.正確にいえば,異なる速度で移動する空間間は,互いに隔離されている.つまり予測不能である.パラメータの共有が不可能である.ハイジャックやテロの対象となるのは,こうした隔離された空間である.

15 内部に水が湛えられた器をこぼさないように運ぶのは,なぜ,なぜむずかしいか.だが,もともと水がもれるように作られた器で水を運ぶのは,容易である.

宿題
では,島は決して定位されえないこと,その位置が捕獲されえないこと,不確定な移動可能性を保持していること,つまり他領域(危険区域)と結びつきうる可能性を維持しうること.その危険さによって,その領域の独立性を維持できるとして,だが,ほんとうにそれは,現在でも可能なのでじょうか.
世界はますます不確定になったのか(ならば,世界中がふたたび内乱状態,複数の細胞,島の離散状態に戻る.)つまり全部島になるのだから,もはや島はマージナルとはいえない?
それとも,隔離されていたはずの移動空間までも(もはやどこに電話がかけられるようになった),大地に繋ぎとめられ,ひとつの世界システムに定位されてしまったとみなすべきなのか?
まだ,みなさん旅行はお好きですか?
以上ながなが,ガス抜きをしてしまいました.でも,まだ水はまだ抜いていない.

岡崎乾二郎