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 先日(4月20日)ヨ−ロッパから帰ってきました.2月下旬以降,時折皆様の文章は,パソコンもホ−ムページも持っていない私は,ファックスにて受け取っておりましたが,いかんせん,あまりにも移動が多かったため,前のホテルにファックスが届いていたり,すでに受け取ったものが次の場所へも再度流れていたりで,前後の時間的経緯の中の連歌が,私にとって断続的なものとして,或いは中断と連続の重なり合いの中で,終いには1ペ−ジ目と2ペ−ジ目が別の人のものになっていたり,なかなかデイコントラクトなテキストとして受け取っておりました.皆様の文章をこのように読んでいたことをここでお詫び申し上げます.インタ−ネットのホ−ムペ−ジが世界共時通話の時代ではありますが,私においては単なるタイムラグなどでは片付けられない,深い問題を残してしまいました.
 もちろん,帰国後,再度すべてに目を通しました.しかし,どうも以前の読み方の中で,半ば解らないなりに理解していたことが,まったく違っていたり,何か言語障害のような状態が今でも続いております.
 ここで開き直って.
 しかし私はこれをこれなりに受け止めようと思っております.多分,これが私なりの今回の企画に対する参加の仕方なのかもしれないと思っているからです(それが私のユ−トピア<生きる道>?!)
 
 実際の作業のエクササイズとしての連歌が,すでに展覧会がオ−プンしている現在,どのように語れるのだろうか.模型のビジュアルと言語障害的理解の状況の中に,そしてそれを同時共存して進行していくこと.
 その時々の状況に出くわしてしまうこと.
 蜃気楼は常に出くわしてしまうことで成り立つわけだから.
 ユ−トピアを準備することはできないだろう.どこかで出くわしてしまうことでしかありえないから.当然,その時それがユ−トピアなどとはわからないだろうし・・・・.
 
 さあ,つべこべ言わず会場へ行こう.しかしそこで何を作るのか?それは何らかのビジュアル,インタ−・ビジュアルなものとの遥かな出くわしのなかで,茫洋とたゆたっているものをだ!
 
 
川俣 正  1997年4月24日 |