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1997年4月19日 〜 7月13日 [終了しました.] ギャラリーA





入江経一氏の「連歌」 4月5日付け


入江かく

I:
海の上に「もう一つのユートピア」を作ってみないか,という誘いにのって,僕達はここに集まってきた.
新しい島を作る計画だった.
12人の人たちが知恵を絞って,順番に作り,手渡してゆく仕組みだ.
今,僕達の順番が回ってきたとき,島は「無人」だった.

K:
これってとてもすばらしいこと?
無の人の島.それがユートピアなのだろうか.

I:
皆が目指していたユートピアって,一体何だったのだろう.誰もが何かを先取りしようとしていた.何を.時間だろうか.未来をかな.未来とは何だろう.

K:
それは簡単さ.未来ってのは投影された過去なんだ.現在を通過してね.それを先取りするのが理想,つまりユートピア.

I:
ロマンチックだね.

K:
一見ね,しかしロマンチストってのはいつも過去に向かって起源を求める連中だけど,いまも言ったようにユートピアってのは時間的レンズで反対側に屈折してる.それは起源を求めるほど厳密じゃないよ.厳密に一つの庭を自然につくろうとすればするほど,図面は曖昧になる,ってなもんだな.厳密に描いてしまったらまるで自然にならないんだから.

I:
よくわからないけど.で,僕達は何をやればいいの.
ここにはロマンチックな文章がいっぱいだ.それぞれが一つの小説のようだ.
それについてはぼくも知っていることがある.全ての小説は正しい,ただ違いがあるのは面白いか面白くないかだ.

K:
そういうのをごたくと言うんだ.だが,一理はある.我々は小説を書くべきなのか,それともその限界をこえることが,僕達にも出来るだろうか.これまでここで交わされてきた話の中で,ひょっとしたら誰かがもう超えていった,あの向こう側にね.

I:
行ってみたいね.で,どうやって行くんだ.その境界って何で出来ているのだろう.
それに,どうやってそれをこえるのだろう.そこへの通路はどこにあるのだろう.

K:
あわてるな,話を整理しよう.僕たちは島を作りにやってきた.そこには「無の人の島」という建設目標が掲げられていた.そして僕達は小説ではない何かをここで描こうとしている.それは何か.何のためにか.ここまではいいかい.

I:
扱うべきなのは,未来的な事実についてだろうか.たとえば天気予報,いやこれは外れてばかりだ.これなんか未来として予告された過去の典型だな.多少実用上の便利はあるとしても.しかしここでは技術の発展は,いかに瞬間的な現在に全体的なアクセスが出来るかにかかっていて,なかなか痛快だ.空を見上げた僕の目を幾千もの眼が見おろしている,この事実がね.

K:
横道に逸れるな.
未来的事実というものはない.事実とはかつて過去に起こったことか,現在起きている事柄だからだ.それらが知覚されているかどうかは問題にしなくていい.見てなくったって今日太陽は昇ったんだから.
それと技術の発展について言えば,君のいうとおりだ.いかにしてそれらが発展するかを見ると,肝をつぶすよ.哲学者もそうだったんだろう.それで人類の誤解が始まったといってもいいくらいだ.このことは今はおいておくがね.

I:
もったいぶって,ほんとはなにも考えていないんだろう.
では未来的事実は無理だとして,現在の事実をあげよう.まず,無の人の島という事実をどうしようか.無の人って何だい.人が無でいる島ときくと,あぐらをかいて眼をつむって何もしてない人がちょこんと座っている島なんかしらん.千人ぐらいそんなのがいたらオームだね.

K:
いまのはオフレコにした方がいい.だいたい君は想像力に欠ける.それがいいところでもあるがね.実を言うと僕も,無の人の島というのはよくわからん.つまり我々は初めから一歩も進んでいないんだ.
そこで,無が何かを考えるために,とりあえず無でないものを考えてみよう.たくさんなるものの代表をね.

I:
歴史だな.いくらでもあるよ.そこら辺の崖をちょっとでも掘ればきりがない.限界が無いって感じかな.で,つまりは知ると言うことに限界があるんだな.
また僕達は過去についての話を繰り返しているのだろうか.歴史って過去の事実じゃない.それがなかったら技術の進歩はなかったしね.過去って何だろう.

K:
そう急ぐな,まず無は歴史ではない,過去ではない,そのことを確認しておこう.
それで君は,無があるという事実にもっとしみこむために,過去とは何かと言うわけだね.
過去は思考さ.

I:
過去を全て知ることが出来ないのが僕らの思考で,その思考が過去だと言うのはパラドックスのようだけど.

K:
簡単な罠さ.思考は事実を全て知ることは出来ない,思考には限界がある.それだけさ.だからその限界の中で観念の構築物を組み立て,それが歴史になる.記憶と言い換えよう.記憶は一個の生き物だ.人類全体を通じて共有された記憶が巨大な生き物になって我々を筏のように利用しながら,自己を蓄積,再保存するんだ.

I:
それって,誰かの遺伝子の話じゃないか.

K:
もっと大きな話でもある.どうもつまらん脇道に逸れるな.君が余計なことを言うからだ.

I:
そりゃないよ.
じゃ,君は過去とは思考で,思考とは絶え間ない過去の反復であると言うんだね.つまりは記憶というわけだ.なーんだ,当たり前だ.

K:
そうだろうか.どうも君はそんなに鋭いようには見えないがね.それはそうと,思考とは過去そのものの運動だ.それが連続的運動である限り,新しいものを生み出すメカニズムは存在しない.反発しようが壊そうが,いかなるリアクションもそこには過去への依存があるってことくらい,君も知ってるよね.いつも過去に帰る無限の廊下だな.

I:
しかし技術は思考がもたらしたもので,しかも過去の蓄積を使って革命的に進歩するじゃないか.

K:
そらきた.
やっぱり鋭いとは言えないね.そのことはさっき僕も賛成したはずだ.では聞くが,我々はこの島にやってきて,無の人の島をつくらねばならない状況なのだが,君は造成技術者なのかい.そうであれば過去の蓄積がうんと役に立つだろうがね.で,僕の質問だが無の人というのは技術的に解明できるか.

I:
また訳の分からないことをいって,いつもの君の手だ.だんだんシニカルになってきたな.わかった,そういうことにしておくよ.これは技術的な問題ではない.
しかし過去の知識は役には立つと思うよ.

K:
ニブいな.30%役に立つことは,全然,役にたたないことなんだ.ある,か,無い,かだよ.進歩は変化ではない,変化とはキレちまうことだからさ.だから僕はデジタルなのかもしれない.これは冗談だがね.
で,君の迷走につきあう暇がないからいっとくけど,思考の本体は時間なのさ.
これではっきりするはずだ.

I:
無の人は歴史を持たない,つまり時間がないということかい.なーんだ.当たり前な感じだ.で,何にも考えて無いってことか.

K:
どうも君がこのことを理解したとは思えないんんだがね.時間を抹殺するほどの鋭さとは,君みたいにぼーっとしているのとはまるで違う,ものすごいエネルギーが要るってことだよ.
だんだん僕には見えてきた.無の人とは過去の限界をこえて向こう側に行ってしまった人のことなのだよ.無論,そこは未来ではないことは明らかだ.そして向こう側とは限界の向こうという意味ではなかったんだ.つまりそこにはもう限界が存在しない.そんな場所があるのさ.「時間が抹殺された場所」.あらゆる記憶が死んでしまった場所がね.

I:
よくわからないが,行きがかり上,僕達が行ってみたいのはそこなんだな.で,初めにきいたけど,そこへはどうやって行くんだ.そこへの通路はどこにあるのだろう.
だいいちそんな場所をどうやってここにつくればいいんだ.僕達はその模型をスタイロフォームでつくらなきゃならないし,3Dモデルだってかくことになっているんだよ.

K:
君には気の毒だけど,方法は無い.そこに行く道も存在しない.そういうわけだ.

I:
それじゃあまずいよ,佐藤さんだってきっと「時間の抹殺について具体的な説明が必要だ.そうでないとコンストラクティヴではないと誤解される.」っていうよ.何か形はないの.無責任だよ.
それにきっと,インターネットの方をやっている人工知能の人達なんか,「また訳のわかんない奴等がごちゃごちゃいうばっかりで,何にもできないんだから.」とかなんとか言うし.

K:
無の人には特定の形はない.だろうよ.だるまさんじゃあるまいし.あるいは全ての形には無を持つ可能性があるとも言える.無とは限界のないクオリティのことだからさ.
無の人は,彼は,あるいは彼女は,どの様に島を眺めるのか.まったく時間が無い場所でだよ.君の想像力では荷が重いことは確かだけど.僕はなにもそんな場所をこの島につくることが不可能だと言ってはいない.それはその気にさえなればできるのさ.ただ方法がないというだけだ.

I:
そうか,なるほど.じゃあこうして君のスイッチを切ることもまた時間の抹殺かなあ.

K:
あっ,ちょっと,---------------------



以上が入江経一氏の「連歌」ですが,私宛てのメッセージのなかで,入江氏によるコメントが添付されていましたので,以下紹介いたします.(磯崎アトリエ/佐藤)

あるリンクをつかって,僕は一つのロケーションを消滅させ,別のサイトへのワープを試みたのかもしれません.
このアクセスもまた,多くの交通の中でだれもアクセスすることが無ければ,消えてゆく線のひとつです.