モニターの画面の前に立つと,観客の顔の特徴が検出され,表示されている白い画面の中の数千匹のハエが集まり,群れによって肖像画を形作ります.観客が少しでも動くと画面の中のハエは飛び去ってしまうため,顔のように見えていた状態は定着することなく,ハエがランダムに飛んでいる状態に戻ってしまいます.しかし,モニターの前でのさまざまなポーズは,つねにハエを引き寄せ,観客がポーズを変えるごとに新たなハエの群れが,即時(on the fly)に新しい肖像画を形成します.それゆえ,観客が動いている限り,肖像画はつねに流動的で,そのハエの群れによるイメージは解体と再構成を繰り返します.
作家によれば,これは「なぜ私たちは自分自身の写真を愛し,撮影するのか」についての作品であると同時に,デジタル・メディアの脆弱性についても言及した作品だということです.「それはたしかにあった」ことの証明としての写真に対して,現代のデジタル・メディアとしての写真は,さまざまなフォーマットの移り変わりや,データとしての永続性の問題などを抱えています.それゆえ,私たちはデータという不確かな写真を撮り続けなければならないのかもしれません.
一方のヴィデオ・ポートレートには,メディア・アートの重要なアーティストやキュレーターなどの肖像が映し出されています.