作者は「他人と意識しているものが共有されたときに視覚もまた共有される」という架空の知覚のかたちを妄想しました.そしてそれを実際に体験するために,カメラとディスプレイと聴診器とアンテナを装備した独自のメディアを作りました.そのメディアを装着すると,「偶然その時自分と同じものを意識している全員の視界が自分の心拍のタイミングで映画のように切り替わっていく映像」が,自分の視界になります.作者はそれを,新しい知覚のかたちである一方で,いつからか私たちに備わっていた知覚のかたちでもあるとしています.そして,「なにが,なにを,見ているのか」と問いかけています.
《Lived Montage (series)》 [2020–]
村本剛毅
《Lived Montage (series)》
作品解説
テーブルの上にある変 わった形の装置 は,カメラとディスプレイと聴診器 とアンテナがひとつになった装置です.何人かでこの装置を身につけ,周囲 をながめていると,同じものを見つめた人同士 の見ているものが,自分の心臓 の鼓動 のタイミングで映画 のように切りかわっていきます.作者は,この新しい「見る」ことのかたちが,思ったより私 たちの体になじむはずだと考えています.そして,「なにが,なにを,見ているのか」と問いかけています.
作者は「他人と意識しているものが共有されたときに視覚もまた共有される」という架空の知覚のかたちを妄想しました.そしてそれを実際に体験するために,カメラとディスプレイと聴診器とアンテナを装備した独自のメディアを作りました.そのメディアを装着すると,「偶然その時自分と同じものを意識している全員の視界が自分の心拍のタイミングで映画のように切り替わっていく映像」が,自分の視界になります.作者はそれを,新しい知覚のかたちである一方で,いつからか私たちに備わっていた知覚のかたちでもあるとしています.そして,「なにが,なにを,見ているのか」と問いかけています.
作者は「他人と意識しているものが共有されたときに視覚もまた共有される」という架空の知覚のかたちを妄想しました.そしてそれを実際に体験するために,カメラとディスプレイと聴診器とアンテナを装備した独自のメディアを作りました.そのメディアを装着すると,「偶然その時自分と同じものを意識している全員の視界が自分の心拍のタイミングで映画のように切り替わっていく映像」が,自分の視界になります.作者はそれを,新しい知覚のかたちである一方で,いつからか私たちに備わっていた知覚のかたちでもあるとしています.そして,「なにが,なにを,見ているのか」と問いかけています.