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中沢潮(時間派) NAKAZAWA Ushio (Jikan-ha)

プロフィール

中沢潮,田中不二,土井樹男,長野祥三の4人は,第10回読売アンデパンダン展で〈時間派〉を名乗り,各個人名で作品を出した.その中で中沢潮は,観客が白布の上を歩くと,下にあるビニール袋が破れ,染料の色が広がる作品を展示したが,美術館側から撤去を命じられる.その後,1962年5月サトウ画廊で「第1回時間派展」を開催し,宣言文を発表する.開くと大きな音をたてるドア,多数のバックミラーに自分を含めた周辺の光景が無数に映る作品,天井と床のあいだに張りめぐらされたゴム紐など,観客が作品に関与することが求められた.また,作者という概念にも疑問を呈し,無記名による集団制作が行なわれた. 翌年3月の美目画廊における第2回展では,本展出品作以外に,床に置かれたチューブを踏むと光が微妙に動くスクリーンや,巨大な万華鏡などが発表された.同年10月には朝日講堂で大野一雄,笠井叡と「儀儀」という催しを行ない,観客に光をあてたり,轟音を聞かせ,悪臭を嗅がせるなどして,舞台における「見る側」と「見られる側」の関係を転換させる.12月には新宿アートシアターで展覧会が行なわれ,その後1965年12月,モダンアート・センター・オブ・ジャパンでのヨシダ・ヨシエ企画によるミューズ週間に参加し,1966年2月には椿近代画廊で光を主題とした展覧会を行なうが,これが最後の活動となった.実質的な解散はしていないが,その後の戦後美術史では,紹介されることが少なかったグループである.1999年の「メビウスの卵」展図録に中沢潮の資料をもとにした詳しい活動内容が記されている.

[2005]

作品

展示 & イヴェント