IT革命の本質とITベンチャーへの期待
――日本の選択/ビジネス・モデル特許/地球温暖化

ビジネス・モデル特許とデジタル著作権

武邑──いまの日本は制度や手法や仕組みの模倣期で,それをプラットフォームとして利用すればいいということですね.ところが一方でビジネス・モデル特許というかたちで,手法そのものの権利の囲い込みを米国が主張しています.そうすると日本は,手法を模倣してプラットフォームとして利用することが許されなくなります.これは,これからのITベンチャーにとっても,工業社会をまだ延命しているような大企業にとっても大きな問題であると思いますが,いかがでしょうか?

月尾──これは日本にとっても大問題ですが,米国にとっても大変な問題で,結局,ビジネス・モデル特許によって支配することは,外国にも大きな影響を及ぼしますが,国内産業にとっても大きな影響を及ぼすのです.

PL法が米国で制定されて,日本の企業も多額の賠償をさせられました.ところが米国で何が起こったかというと,一例として軽航空機産業が壊滅したのです.PL法で次々と痛めつけられ,軽飛行機を作っても採算がとれなくなってしまったからです.

同じことがビジネス・モデル特許の分野でも起こるでしょう.まさに諸刃の剣です.日本を切り捨てるために従来は特許として認めなかった分野に特許を出すようにしたけれども,米国自身の産業も痛めつけているのです.「ワンクリック」特許を取って,バーンズ・アンド・ノーブルを仮処分に追い込んだアマゾン・コムのジェフ・ベゾス社長でさえ「自分は特許を取ったが,このような特許が20年も効力を発揮するのは長すぎる,せいぜい5―6年がいいところである」と言っています.グローバルなビジネス環境での力は,他国だけでなく自国にもはね返ってくるという認識を持って,ベゾスはそう言ったのだと思います.米国はビジネス・モデル特許を日本対策として始めたけれども,それは米国にもダメージを与えると気づけば,やがて方向転換すると思います.

武邑──その意味では,実体経済,重量経済から無重量経済へという加速度的な環境の中で,月尾先生がもう10年以上も前に,これから貨幣も含めた交換社会の新しい姿は,これまでの実体的な価値空間における単なるエクスチェンジを超えた,計量化できないような価値も含めたインターチェンジの社会が到来するということをおっしゃっていました.これがまさにいま21世紀社会というか,資本主義の新しい形態も含めたかたちで大きな影響を徐々に現わしつつあるような気がします.

例えばナプスターやグヌーテラ(pp.77-81,162-163参照)のような個人ストックの相互分配が加速すると,現状のコピーライト基盤を侵害する流れだとして一方的に断罪する人もいる.ところが最近の世界的な徴候を見ると,やはりフリーウェアやオープンソースの流れを前提とした社会というものを,もう少し上位のヴィジョンとして,価値交換の新しい考え方を見通していく必要があるのではないかと思います.つまり楽曲の権利を持つ企業が,MP3で楽曲を流通されてしまったら,より高次なサーヴィス,例えば広帯域で早くダウンロードできるサーヴィスを提供するとか,普通はタダなんだけど,25セント払えば歌詞カードやイメージがダウンロードできるようにすれば,皆そちらを買うでしょう.そうすると全体的には音楽産業のパイは拡大していくと思います.経済学者ロナルド・コースの「コースの定理」[★6]を引き合いに出せば,これからのコンテント産業は,流通コストの観点から個人の複製,交換コストに対応し,対価を払ってでもコンテントを欲しいというサービスの品質を向上させる必要があるのだと思います.

フリーウェアやオープンソースという仕組みで,なぜお金が動かないのに経済活動ができるかというと,金銭だけでない他のストリームからの収益構造が成立しているからです.すると一つの企業内に働いている人が別の生産活動を行なうなど,労働の形態も変わってくる.そういう21世紀型の新しい社会ヴィジョンというものをこれからのITベンチャーの方々が捉えて,そこにビジネスの一つの可能性を見出すことも必要になってくるのではないかと思います.

月尾──以前『中央公論』の対談で武邑先生が言われたことが,次の時代を的確に表現していると思ったのですが,余剰を個人が使うということは,結局,文化を創りだすことにつながるわけです.その個人や集団の創りだす文化が次の時代の経済を発展させる.その方向に変わっていくことが重要で,いままでは経済の余剰が文化を創ると言われていたけれども,その概念が新しい環境の中で変わりはじめて,むしろ余剰を投入された文化が経済へ反映するという逆転が起きはじめたと思います.


前のページへleft right次のページへ