終わりなき道の標に

会津――すると,最初のオフィス・コラボレーション・システムからの切り替えになったのは,かなり具体的,意識的にそういう壁にぶつかってそうしたのか,あるいはもともとそういう志向をもっていたからなのか,どちらですか.

石井――80年代は人工知能が流行った時期です.僕も一時その熱病に冒されて,知識というものを表現しコンピュータに解釈させることにより,すごいことができるんだと思ってしまった.そこで,リアル・ワールドのオフィスワークの流れの表現と自動化に,真剣に取り組んでみた.しかし現実のオフィス作業手順は,あまりにもアドホックで,何のためにそのような手順で行なうのかといった合理的理由がない場合が多く,要するにコンピュータでの例外処理などとても無理だとわかった.

そんなときに,テリー・ウィノグラードとフェルナンド・フローレスの『コンピュータと認知を理解する』[★1]を読んで大きなショックを受けたのです.ある意味でそれまで世界中がAIの神様として信奉していたテリー・ウィノグラードが,結局人間の行為とその合理性追求の過程に本質的な疑問を抱いて,「会話理論(カンヴァセーション・セオリー)」という言語行為理論をベースとした方向に彼は行ってしまった.そこで僕は,計算機上での一切の知識表現なしに一体どこまで意味のある支援ができるかということを追究しようと思った.それによって,コンピュータを使うことの本質的な意味がつかめるのではないかと思ったのです.つまり,僕はテリーよりもっと極端に,一切の知識表現なしで,本当に仕事ができるメディアをつくろうと考えた.自分の一番好きな表現メディアであるホワイトボードを,発想のベースにした.そういう意味で研究の戦略として,意図的に極端な方向に振りました.それが80年代の終わりです.

MITに行って,96年から始めた「タンジブル・ビット」もまた同様に極端な方向へと意図的に振った結果,たどりついたコンセプトです.ビットというのはもともとインタンジブル(直接触れることができない)なものだから,それをタンジブルにするというのは,誰も考えていなかった.それに真剣に取り組むことで,情報と人間の身体との距離を縮めようとした


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