特集: 音楽/ノイズ--21世紀のオルタナティブ
架橋される60年代音楽シーン

国境を越える音

一柳──「東洋」とか「日本」の問題はどうですか.私自身は音楽でいうところの西洋畠の人間ですが,それでもだいたい10年ごとくらいに東洋とか日本に足を踏み入れて,次の展開への手掛かりにしてきました.60年代は不確定性をやっていたこともあって,身体性ということをだいぶ考えていて,「気功」「ヨガ」「太極拳」を勉強しました.それがイヴェントと結びついてきて,私の《プラティヤハラ・イヴェント》[★14]という曲がありますが,それが他と違うところがあるとすれば,「呼吸」を基本にしていることです.つまり西洋の「拍」とか,日本でいう「間」とかではなく,「呼吸」で曲が進行していくようになっています.そういうものを60年代にやっていた.そして,70年代に私が関心をもっていたのは「空間」なんです.ヨーロッパでは,近代における音楽は完全に時間芸術ですからそれだけでは物足りなくて,音楽における空間性を時間と空間が分け隔てなく相互浸透している東洋の芸術とのからみで考えたいと思いました.だから70年代後半から80年代初めに書いた作品というのはかなりその傾向が強いですね.そして80年代に入ると,手法としては「連歌」なんですね.つまり,これはオリジナリティの問題とか,他者の問題とか,共同作業とかで《交響曲ベルリン連詩》や《添・隨・放・逆》といった作品があります.90年代では,《アンダーカレント》,つまり「伏流水」.それからごく最近のものでは,そのものずばりですけれど《龍脈》というのがあります.《龍脈》というのはじつは尺八と琴の曲なんですけれど,この曲は尺八が「気」を醸成していって,琴が龍穴みたいにそこから気を発散するという仕組みになっています.

磯崎──風水ですね.

一柳──風水なんです.つまり10年ごとに何か東洋の問題というのが避けられずにひっかかってきているんです.若い人たちはそのあたりはどうですか,建築の世界では.

磯崎──僕もわりとコンスタントに日本には関心があって,10年おきくらいに考え方が変わってきています.かつては「日本が外国に何を売れるか」でした.昔はわりとキッチュな日本ということで,ジャポニカみたいなものが出てたところがある.それに対して最近はもうちょっと,単純さとかミニマルな構成とか,そういうレヴェルで捉えたものが日本的なセンシビリティだと言われている.それに基づいて動こうとしている人たちもいますね.それはしかし日本で言うと一番安全圏にいる,どちらかというと保守派になるでしょう.

 別なフェーズでの「日本的なもの」をもっていこうという動きは明瞭にありますね.強いかどうかはわからないけれど,「日本的なもの」の中でも土着っぽいもので売る.土着っぽい,というのはアジア性みたいなものですね.それからもうちょっと貴族的なものとなってくると,モダニズムの日本版みたいなものです.この二つは明瞭にあるんですね.

 ですからある意味で「日本」というのはじつは建築の場でも大きなテーマになりつつあります.そこに入り込みさえすれば後はリファインするだけですから,気は楽ですよね.だけどそれはやりたくないからやっていないというだけのことです.むしろ僕自身としてやりたいことは,そういうふうにいろいろなかたちで見える日本をどうやってばらばらにできるか,ということです.相変わらず60年代的な思考ではありますけれど.

一柳──手がかりでいいわけですよね.

磯崎──ええ,それは常に思います.例えば「時間」の問題を建築に採り入れようと思ったときに,ヨーロッパ的な時間ではわかりすぎて面白くないんです.そういう意味では東洋的な要素のほうが面白い.それから風水にしても,納まり方のバランスというのは一種のダイナミズムをもっています.これは手がかりになる.しかしそれをそのままのかたちで押し込んでしまうと一向に変わりばえしないので,何かそれをもう一遍壊せないかといろいろなことを考えます.

 音楽の東西の組み合わせ方にしても,考えてみたら似たようなところがありますね.僕らの世代というのはどちらかというと,一柳さんがおっしゃっているような東洋の呼吸法であるとか,全体のオーケストレーションであるとか,そういう方法を介して西洋音楽を解体しようとしている.それから西洋音楽の伝統の構図ということで,逆に日本の音楽の構図を解体しようとしている.この二つを相互に利用しながら相互に解体する作業は,かなり僕らの世代はやってきている.僕も当初はそういう目標で,自分のポジションを両側に位置づけるようなことでやってきていたように思います.いまこれがどうなってくるのか.東洋にもっぱら寄るか,西洋に寄るか,両方ふまえるのか.両方ふまえはじめると,じつはあいだにたくさん,アフリカがあったりイスラムがあったりして,わからなくなるところもあるんですけれどもね.

 このあいだから偶然イスラム圏の建築の賞を出すというのでその審査をやらされていて,ろくでもないものしか結局見つからなかったんですけれど(笑).イスラム圏のもっている建築や美術全体の構図というものが,やはり政治的なレヴェルの発想を含めて,全然違うんですね.僕らは「東西」の二分法でしか考えなかったけれども,三極で見ないといけないかな,という印象を強くもちました.

一柳──最近出した『音楽という営み』(NTT出版)にも書きましたが,ブーレーズとかシュトックハウゼンなどいわゆるヨーロッパの西側から出てきた人が,戦後には確かに主流であったわけですが,20世紀の音楽の遺産としてどんなものが次の世紀に受け継がれるかと考えた場合,あの世代ではないと思うんです.磯崎さん流に言うと,20世紀の悲劇の記憶をきっちり自分の作品に投影している人たち,例えばクセナキス[★15]であったり,リゲティ[★16]だったり,イサン・ユン[★17]だったり.あるいはロシアから出てきたグバイドゥーリナ[★18]とか,アルゼンチンから出てきたカーゲル[★19]とかですね.彼らは非常に過酷で悲惨な状況,第二次大戦とか祖国の動乱──イサン・ユンみたいにスパイ容疑で拉致されて拷問を受けたりとか──を通過してきて,だからいい作品を書いているとは言わないけれども,ともかくそういう過酷な20世紀の現実を体験してきたうえで,最終的にはかつての西ヨーロッパに出てきた.もとはと言えば彼らは西側の人たちではないんです.つまりギリシア,ハンガリー,韓国,ソ連,アルゼンチンだったり,要するに西側でない人たちがやっていることが,いま普遍性を獲得して非常に大事になってきている.現代数学を駆使しているクセナキスの音楽は非常に複雑ですが,根っこはギリシアやビザンティンの音楽だとか,イサン・ユンを見れば朝鮮半島の昔の音楽だとか.リゲティだって──私は彼はバルトークの後継者だと思うけれども──ハンガリーの民族的なものを吸い上げて,西洋的なものを書いているわけです.あまり民族的なものを表面に出さないで,よく聴けばそういう要素が入っているのがわかりますけれども,手法としては完全に西洋のものをやっているわけですね.そういう人たちが「ポスト20世紀」として浮上してきていて,いまは皆老大家や亡くなった人ですが,彼らのやってきたことは戦後に出てきた人たちとは違うところがありますね.ヨーロッパの西側から出てきただけの人と,自分の祖国と訣別して,しかも祖国を土台にした音楽を書いている人の違いは大きいということです.

磯崎──つまり,ヨーロッパの伝統を受け継いでそれを内部展開していくという人に対し,単純にそれだけでは背負いきれないようなもっと別な抑圧を国家的にも場所的にも時代的にももっていたような人がいた.彼らは,その抑圧にもかかわらず西洋的な音楽を皆理解しているわけですよね.そういう状況を西洋的な音楽世界に持ち込んでくればまた別なものが生まれていくと言えるんじゃないかと思います.

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