特集: 音楽/ノイズ--21世紀のオルタナティブ
架橋される60年代音楽シーン

いずこも同じコンサート・ホール

一柳──いまコンサート・ホールがたくさんできましたが,ほとんど似たり寄ったりの建物が多くて,しかもそこでやられている内容すらほとんど同じで,博物館化してきていると思うんです.しかし,一方に非常に頑なに古典的なコンサート・ホールのスタイルというものに固執している人もたくさんいます.去年水戸で,一つはホールを使って,もう一つはギャラリーでパフォーマンスをやったんですが,ああいう空間は非常に快適ですよね.つまり水戸芸術館のホールはちょっとふつうのコンサート・ホールと違うし,ギャラリーはまたギャラリーで何も特に設備がない,コンサート・ホール然としていないところというのは自由でやりやすいんです.奈義の美術館というのは多分磯崎さんの中で「新しい美術館」という発想でおつくりになったと思いますが,例えばコンサート・ホールというのはそういうあまり似たり寄ったりしたものでないかたちは考えられないのか.スポンサーがいたり自治体がいたりするからかもしれないですが…….

磯崎――美術館やコンサート・ホールや劇場というものは,建物の形式そのものが一つの時代の展開のうえでできあがっているわけですよ.コンサート・ホールのいまの規格というのは,日本の場合,どうしても19世紀にできたものをモデルにしている.そこで作曲された19世紀的なもの,ロマン派を中心にした音楽だけをやるということでできあがっている.オペラも同じですね.ワーグナーくらいまでの作品がやれるようにしろ,というのが精一杯.演劇も額縁舞台.美術館は印象派.まあ近代も20世紀前半くらいまでは同じ絵ですから,だいたい同じタイプの美術館だ,と言っていいわけで,すべていまのミュージアムや公共的なものは19世紀にできあがったコンセプトがそのまま1世紀後に一つのパターンとして成り立っているんだ,ということなんです.つまりものがつくられていくときの現場性がないわけです.ですから現場性というのはどうしたらいいのかということを考えていくといままでの形式は変わるだろうと思うのです.

 奈義町現代美術館の場合は,いままでの美術館はインスタレーション・ワークが成り立たないような空間だから,最初からインスタレーションしかできないものにしてしまえ,という考え方だったわけです.そしてそれと同じことはコンサート・ホールについてもありうるんじゃないかと思っています.ではどういうものがあるのかということになってくると,せいぜいいままでモデルにされているのは,新しいコンサート・ホールとなるとIRCAMくらいですね.でもこれはまわりが壁になっていて,平らで,場合によってはまわりに演奏者を置くこともできる.要するに一種の多目的空間でしょう.

 それで僕がいま秋吉台に建設中のホールでは,最初にルイジ・ノーノ[★20]の《プロメテオ》をやることに決まっています.ノーノの場合,《プロメテオ》の初演はヴェネツィアの教会の中にノアの箱船みたいなもの──これはレンゾ・ピアノが設計したんですが──をつくって空中に浮かして,演奏者はその竜骨沿いに並んでいる.観客は船底に入っていく,という格好になって,つまり音がまわりを取り囲んで立体化していて,相互に音のやりとりがある,というプランをつくったんですね.いままでそれは全部共通のパターンになって,だいたいどこへ行ってもその形式を模倣したものが演奏されているらしいのですが,「せっかくやるならば」というので僕はそれを別に解釈して,空中にステージをつくって演奏者を浮かして,そこに数人ぐらいのグループを配置しました.アンドレ・リヒャルトという電子音楽をやっていた人の解説を聞いたことがありすが,彼は音というものを常に渦巻き状に考えていると.だから渦巻きが出るように配置したわけです.そして観客は他のすきまとか地上とかに置く.そういうものを永久的なコンサート・ホールとしてつくってしまう,というプランなんです.

 じゃあそのあとどう使えるのか,という疑問は残りますが,例えばソロの演奏だったら床を若干上下させて置いて,その演奏者のいたところに観客を入れればいいじゃないかと(笑).ということで,「入れ替わり」とか「互換」ということをやって,基本的には演奏会場の空間というものが,演奏者と観客との相互の関係を可変にしていく,ということをなんとか実現できないかと考えてやってはみているんです.どのくらいうまくいくか実際演奏してみないとわかりませんが,少なくともいまのところ建築空間としてはいままでのコンサート・ホールとはまったく違うものとしてできあがりそうです.しかもそれがわりと人間の身体的な感覚と重なって見えるというところまではきているんです.

一柳──建築家が「こうだ」と思うものをつくってもらえれば,またその活用の方法は作曲家なり演奏者が触発されて生まれてくるはずです.そこで初めて建築家と音楽家の交流が生まれることになります.

磯崎──僕もそれを期待しているんです.いままでのところはノーノが常に批判しているように,オーケストラがいて指揮者がいる,つまりそれはセントラリズムだと.ユーロ=セントラリズムでありロゴ=セントラリズムであり,要するにそれはファシズムの構図だと.ファシズムの構図を解体するにはどうすればいいか,その演奏形式と空間を考えよう,というのが僕の理解しているノーノの発想ですから,そんな中心が生まれないような空間をつくろうと思ったりしています.

[6月24日,磯崎新アトリエ]


いちやなぎ・とし――1933年生まれ.作曲家,ピアニスト.ジョン・ケージに師事し,大きな影響を受け,日本の現代音楽の水準を30年以上にわたってつくりつづける.代表作=《ピアノとオーケスラのための「空間の記憶」》(81),《ピアノ協奏曲第2番「冬の肖像」》(87),《交響曲「ベルリン連詩」》(88)など.著書=『音楽という営み』(NTT出版)など.本年12月,M・エンデ原作の『モモ』によるオペラを横浜の神奈川県立県民ホールで上演予定.

いそざき・あらた――1931年生まれ.建築家.作品=《静岡県舞台芸術センター》《豊の国情報ライブラリー》《バルセロナ市オリンピック・スポーツホール》《ティーム・ディズニー・ビルディング》など.著書=『磯崎新の発想法』(王国社),『建物が残った』(岩波書店),『手法が』『建築の解体』『空間へ』(以上,鹿島出版会)など.

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