★1――正式名称は「日本アンデパンダン展」であるが,先行する日本美術会主催の同じ名称の展覧会と区別するため,主催者の読売新聞社にちなんだ通称が一般に流布されている.同展は,既成の公募団体展の旧弊を打破すべくアンデパンダン(無審査自由出品)の形式を打ちだし,1949年に創設された.1回展から旧東京都美術館を会場として,海外の同時代の美術とも呼応した,若手作家の活動の拠点となった.特に60年代に入ってからは,「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」(★8参照),「九州派」(桜井孝身,菊畑茂久馬,オチオサムら),「時間派」(中沢潮,田中不二ら),「ハイレッド・センター」(高松次郎,赤瀬川原平,中西夏之ら)などのグループの結成,活動と密接にリンクし,行為そのものを提示する傾向をもたらし,従来の展覧会の枠をおおきくはみだすこととなった.この間,12回展(60)に出品された工藤哲巳(★3参照)の作品が「ガラクタの反芸術」と呼ばれ,こうした急進的な「反芸術」の牙城と化した同展に対し,都美術館は陳列作品規格基準を制定し,「汚い,臭い,危険な」作品の締め出しを図った.これに対しては論議や抗議が起こったが,主催者の読売新聞社がその社会的役割を終えたとして,展覧会の中止を一方的に表明し,63年の第15回展をもってその幕を閉じた.