InterCommunication No.16 1996

InterCity TOKYO


「旅」の映画,あるいは「失われた」時間と距離 2/4

オ・アンゲロプロスとヴィム・ヴェンダース,このふたりがこれまでに発表してきた作品の多くは「旅」の映画であったとする主張に異論を唱える者はほとんどいないだろう.いまさらここで指摘するまでもなく,『旅芸人の記録』の監督と,『さすらい』の監督は,これまで,なんらかの理由である土地からべつの土地へと渡り歩く人々の姿を好んで描いてきた.とはいえいまや,彼らを「旅」の映画作家だとただ語ってみせることじたいにはいかなる意義も認められまい.ここでひとまず注目すべきなのは,ほぼ1970年代から開始された彼らの映画作家活動が,映画そのものにどのような影響を及ぼし得たのか,という点である.というのも,それ以前にも数多く撮られていたはずの「旅」の映画と,アンゲロプロスやヴェンダースらが発表してゆくことになる1970年代以降の「旅」の映画とでは,かなりの質的な差異が見出せるからなのだ(むろん,アンゲロプロスやヴェンダースが突如かつてない新たな「旅」の映画を撮りはじめたわけではなく,たとえば――かならずしも「旅」を描いているとはいえないにせよ――ミケランジェロ・アントニオーニなどの1960年代の作家たちが,すでにその下地を整えていたりはしたのだろうが).では彼らの作品のどのあたりに,その質的な差異を看取し得るのか.いくらか微妙な問題を含んでいるようにも思えるものの,あえて述べてしまえば,それは,端的に描写における時間と距離の処理の面だといえる.その点に関わる映画史的情況の経緯は以下のごとくきわめて図式的に整理できよう.つまり,透明で一義的な物語を経済的に語ることがいちおうの原則とされていた古典的な映画のスタイルが,撮影所システムの崩壊(居心地の良かった夢工場のなかからあらゆる意味で不便な屋外へと撮影環境が一変してしまった),またはヌーヴェル・ヴァーグなどの新しい映画の潮流の影響によって変容を強いられ,同時に,物語内容の「簡潔」な説明から撮影対象のより「詳細」で「生々しい」描写――一概にそうとはいい切れないまでも,とりあえず映画的リアリズムの深化と呼べなくもないだろう――へと作家たちの関心が移行した結果,多くの作品が,画面間の物語的因果関係が稀薄になってゆくにつれて,出来事が起きている場の――いくつもの自然成長的な要素によって形成される――空間性をいっそう際立てはじめた,といった次第である.いわば,物語の専制的機能によって抑圧を受け――スクリーンに映し出された像がキャメラによって撮られたものにほかならぬことを見る者に意識させてしまいかねず,虚構性の保持を妨げ,物語内容の伝達の遅延を招くため――背景へと追いやられていた画面内におさまるさまざまな描写の対象物が解放されたわけだ.その,空間性と,いかにもいま苦しげに称された,1970年代以降ある時期までの何本かの映画の画面が有していた特徴的な指標が示すのは,かつての映画がもち得なかったリアルな時間と距離に対する意識であり,またその具体的な露呈であったように思う.明白な物語として巧みに――あるいはドラマチックに――語られるのではなく,「旅」の過程を捉えた画面の連続のなかに時間の永さと距離の長さが生々しく形象化されていた――と,錯覚させられてしまった――がゆえに,われわれは,『旅芸人の記録』に興奮し,『さすらい』に感動したのではなかったか.実際,物語としての「旅」ではない,時間と距離のたしかな実感へと見る者を絶えず導く「旅」そのものが記録されたフィルムとして,それらの映画は機能していたはずなのだから.


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