InterCommunication No.13 1995

Feature

デジタル・ダンディズム
インターネットとデジタル・コミュニティ


粉川哲夫 + 武邑光裕


ハキム・ベイ
しなやかなコピーライト
デジタル・キャッシュ
フリーウェア的なもの
TV的なメディアへ
通過儀礼としてのインターネット
eメールのディスクール
リンク性とデジタル・コミュニティ
インターネットとサロン


編集部――インターネットに関しては,これまでも『インターコミュニケーショ ン』誌上で,間接的には扱ってきたわけです.今現在かなり表層的に騒がれて もいるので,本誌なりの切り口として,「インターネットの政治経済学」とい うテーマで特集を組もうということになりました.加えて,今年はICC全体でも ネットワークというものをもう一度多角的に見直してみようという,柔らかい テーマを持っていまして,さまざまな視角から検証していければと思っています.

武邑――冷戦後の情報メディア社会において,情報の秘匿性や流通に関わる 様相が世界的に一変してきたことは,CIAが民営化するだろうとか,インターネット によるオープン・リソースが急激に進展してきたとか,さまざまな視点によって理 解できると思います.核の脅威と抑止力を凌駕する生物化学情報も,禁断の情報バ ランスが崩れ,流出するという形で情報資本化が起きたわけです.サリン事件をめ ぐるメディアの反応や情報が,生体への強力な刻印となっていくプロセスそのもの も,一気にオープンとなってしまったと思うんです.

粉川――完全にあの事件にメディアが独占された感じですね.

武邑――僕はサリン事件が起こった時,ちょうどブダペストにいたんですよ. それで,夜,CNNを見ていたんですが,びっくりしましたね.世界で起こったア クシデントを3分に濃縮するCNNの密度もあるんだけど,海外にいる時に,湾岸 戦争とは対極にあるといってもいい,ある種身体直撃性のニュースにふれると, 極めて心理的な圧迫感がありますよ.

粉川――CNNは,かなり深刻な感じで放送していたでしょう.

武邑――で,翌朝の新聞も,かなりエキセントリックな感じでしたね.

粉川――向こうの人の反応はどうでした?

武邑――やはり,相当重かったですよ.

粉川――僕は,あのすぐ後にニューヨークへ行ったんです.あそこでは,60年 代に,地下鉄の通気孔から風邪のウィルスとかを撒いた事件があったんですね. だから,神経ガスへの恐怖はリアルなんでしょう.

武邑――1980年代の前半に,デッドテック・ハントというか,新しいクラブを 作るという話があって,場所を探したんです.それで,マッド・クラブを作っ たスティーヴ・マスというのが最初に見つけた,イーストヴィレッジのロワー ・イースト・サイドの,古いユダヤ人の社交場だった地下の場所に案内された んです.それで,「このドアはまだ開けてないんだ」というので,鉄梃子を使っ てこじ開けたんですよ.その鉄の扉がぷわっと開いたときに,SF映画によくあ るような,空気が逆流していく感じがあったんです.「この空気を吸ったらヤ バイんだ」とか言ってね.そういう感覚がすごくあったな.

粉川――古ビルの水タンクなんかも,悪いものが滞留している感じがありますね.

武邑――今や,情報スーパーハイウェイとかインフォバーンだとかいう言い方 を一般的にしていますが,ヨーロッパに滞在していて深く感じとれたのは,そ れらは50年代,60年代的な建設国家的なメタファーであって,新しいメタフォ リカルを求める視点というのがすごく強かったんですよ.スーパーハイウェイ とか,インフォバーンという言い方は,現実の国家解体を想起する情報環境か らはかなり後退したメタファーだという考え方です.ヨーロッパで新しいメタ フォリカルとして求められている要素というのは,ストリームというか,サリ ンじゃないけど非常に流体的な,ある種気体化されたメタファーが非常に強かっ たんですね.物理的なボーダーを,大気循環のように超えていくという感覚で す.ちょうどそんなことを話していたときに,化学兵器による無差別テロとい うシンボリックなニュースが飛び込んできたものだから,なにか非常に象徴的 な感じがしたんですけどね.

粉川――しかし,サリンでは,実際にはもろにケミカルの方に行ってしまうわ けでしょう.エレクトロニクスで,そういうリキッドだとかストリームを具体 化していくと面白いんだけれど,サリンはそうではないわけですよね.ところ で,いま日本にシュー・リー・チェン[★1]という人が来ていますが,彼女が 昨年ニューヨークで35ミリ映画を作ったんですね.そのタイトルを『フレッシュ  キル』としていて,キルというのは,英語では「殺す」ですが,オランダ語 では「ストリーム」なんですってね.

武邑――「キル」がですか?

粉川――そうなんです.寿司を通じて,放射能障害がどんどん広まっていって しまう,というプロットも面白いんですが,僕がこの映画で面白いと思うのは, チャンネル・サーフィンのリズムで作っていることなんです.ここにはハッカー も出てくるんですが,この映画にはネットワークやメディアに対するシューリー の考えがよく出ています.つまり,流れ(ストリーム)であると同時に断絶が あるという…….アメリカ人は一体にネットワークをのっぺりしたイメージで とらえているように見えますが,スーパーハイウェイとかネットワークという 言葉や概念に対して,ヨーロッパの人は反発していますね.

ハキム・ベイ

武邑――ヨーロッパに行っているときに,ちょうどハキム・ベイと話をしたん ですが,「自分をいちばん早く,日本で紹介したのはテツオだ」と言っていま したよ(笑).

粉川――彼とはね,ひょんなことで10年以上前に知り合いました.ある集まり で日本のミニFMと天皇制についてなにかしゃべってくれと言われて行ったこと があるんですよ(笑).ニューヨークの37丁目かどこかのクラブでした.あの 頃は彼はあんまり思想家然としていなかったんですけど,とにかく,いろんな オルタナティヴなイベントがあると,必ずどこかにいるという人でしたね.

武邑――それでいて,彼自身はほとんどコンピュータとは縁がない.

粉川――だから,彼はインターネットでは連絡できないんですね.基本的に彼 はノマドですよね.彼とウィーンでお会いになったというのにはびっくりしま した.この間,ニューヨークに行ったときにも,彼はシティにはいませんでし た. 彼がコンピュータやメディアについて発言し始めるのは80年代の後半か らですよね.そして,今ではコンピュータの世界で非常に評価されていて,ノ ルウェーのサイトに彼のホーム・ページまでできていますね[★2]

武邑――膨大なデータが入っていますね.

粉川――ハキム・ベイは,今,非常に高く評価されていて,逆に,ティモシー ・リアリーなんかの評価は落ちてきている.ハキム・ベイはもっと若いし,ア クチュアルな世界と切れていないでしょう.武邑さんがよくご存じの,「アウ トノメディア」とのつながりも深い.

武邑――シルヴェール・ロトランジェとか?

粉川――ええ.ロトランジェから,むしろ今はジム・フレミングが中心になっ てやっていますがね.ハキム・ベイの場合にひとつ落とせないのは,イタリア のアウトノミア運動だと思うんです.イタリアの運動の話をすると長くなっちゃ うけれど,あれがいわば,ニューヨークに飛んだときに,ジム・フレミングも ブルックリンなわけだけど,ブルックリンに住んでいる何人かの活動家と理論 家たちの間でいろいろ研究会が生まれた.その辺りでいろいろ議論があって, 浸透していったわけですが,そこでいちばん重要なのは,「ゼロ・ワーク」と いうことですよね.「労働の拒否」というよりも,むしろ労働の空気を抜いて しまうような,労働そのものを終わらせるというか,そういう発想がだんだん 出てきて,それと,コンピュータのハッカーとか,その辺の活動とを結びつけ たのがハキム・ベイですね.

武邑――そういう認識は確かにありますね.

粉川――今,アメリカでは,サイファーパンクスというのが関心を持たれてい ますね.それで,いくつかのウェッブ・サイトもあり,ニュースグループもあ りますね.ゼロ・ワークもサイファーパンクスのサイトで論じられています.

しなやかなコピーライト

武邑――あと,特にハキム・ベイ自身がよく言っている「アンチ・コピーライ ト」というのがありますね.

粉川――そうそう.

武邑――アンチ・コピーライトと言ったときの,反著作権という日本語的な意 味合いではけっしてなくて,自由にそれを流通させて,しなやかに世界中に流 布させていくというくらいの意味合いですね.

粉川――彼はアンチ・コピーライト・ムーヴメントにおいて非常に重要な人で す.早かったですしね.アンチ・コピーライトの表記で面白いのは,これまで は のマークに斜線が引いてあったんですが,最近は@ のマークをつけると いうのが,アンチ・コピーライトのマークになりつつある.最初,ハキム・ベ イは,パンフレット出版みたいな形で,『T.A.Z.』[★3]を出した.後に,ア ウトノメディアでコンパクトなポケットブックスの形になって出たわけですね. 今,アンチ・コピーライトの出版社の中で,いちばん数を出しているのがアウ トノメディアで,あとはイギリスにもいくつかありますよね.これからかなり 広がってくるんじゃないですか.なにかアンチというと,対立していくという ことのように思えるけれど,そうじゃなくて,コピーライトそのものを超える, まったく別なものとして出てきましたね.

武邑――ここで言うアンチには,普通の日本語の訳は適用されない,ひとつの 新しい方向がありますよね.

粉川――言い方が非常にしなやかなんですね.ここにハキム・ベイの本がある んだけれど,奥付見返しにAnti-copyrightと書いてあって,それで「May be freely pirated and quoted」と書いてある.ようするに自由に複製して,引用 したって構わないと書いてあるんだけど,それに続いて,「the author and publisher, however, would like to be informed at ...」とある.要するに, 「自由に使っていいけれど,もし使ったなら,どこで使ったか教えてくれると いいんですけどね」ぐらいの言い方をしているんですね.これは,すごくしな やかだなという気がします.

武邑――それは,情報資源を管理運用していくという発想にもかなり影響を与 えたんじゃないんですかね.

粉川――サイファーパンクスも,いくつかに分かれてくるわけです.暗号問題 が要ですね.つまり,暗号でシステムの希少性を保持していくのか,それとも 解放してしまうのかという二つの方向がある.つまり,アナルコ・キャピタリ ストの方向と,それから底抜けのサイファーパンクスの方向とでも言いますか. アナルコ・キャピタリストというのは,簡単に言ってしまうと,一種のレッセ = フェールみたいな自由競争を母体にしてやろうということですね.そのため には,一種の暗号で防備をして,希少性をどんどん純化していこうとするわけ です.例のデジタル・キャッシュはこの方向です.

武邑――サイファーパンクたちのスタンスというのは,粉川さんが言ったよう に,案外二極化したものを持っている.だから,いたちごっこですね.暗号を めぐるパンクとして,ハッカー的に技術的な地平に向かってなにかしていくと いうような人間が一方にいる.前に粉川さんが言っていた,情報のダンディズ ムみたいなものと不可分に結びついているような人間たちですね.一方でそう ではなくて,もっとアンダーで暗い部分というのもあるわけです.ある種の明 るさと暗さみたいなものが交錯しているんです.

デジタル・キャッシュ

粉川――ただ,どちらに転んでも,サイファーパンクスはテクノフリークなん ですね.コンピュータを駆使してなにかをやろういう点では共通している.だ から,サイファーパンクスといっても,暗号そのものは否定できないわけです ね.サイファーパンクのハッカー派には,それを解読して,次々に壊していき たいという願望と熱意がすごくあるわけですが,逆にそのために暗号があり続 けた方がいいという発想になっている.実際,プライヴァシーに対する執着は サイファーパンクスには強いですね.ただね,デヴィッド・チョム(David Chaum)らがやろうとしているエレクトロニック・キャッシュ・ビジネス,つま りキャッシュのデジタル化という方向は,ある意味ではすでに70年代以降にグ ローバル化したクレジットカードという形で現実にあるわけでしょう.その辺 とどう違ってくるんでしょうね[★4]

武邑――だから結局は,今いきなり大きな変換には向かえないということが 彼らにも判ったわけでしょう.それで,中間軸にあるクレジット会社や銀行と いった,現状の経済システムとの歩み寄りの中から,展開を模索しようとして いる.本来は,一気呵成にデジタル・キャッシュへ移行したくて,その夢が去 年ぐらいは語られていたと思うんだけど.ただ,そのプロット的なモデルは, すでにヴァーチュアルな領域ではほとんど可能になっているわけですが,やは り現実の経済システムへの歩み寄りを考えなければならない.そういう状況に 対して,彼らがそれを苦渋と感じているのか,あるいはひとつの進展だと感じ ているのか.どちらにしても,コンピュータ・ネットワークにしてもなんにし ても,コンピュータの夢想家たちというのは,リアリティの規範とか基準をは るかに飛び越えてしまう所で生きてきましたからね.だから,現在のインター ネットの状況は,まだアクチュアリティかつリアリティが不足する分,将来そ うなったときには逆に,現実のシステムへの揺り戻しというものが来るのでは ないかという感じはすごく持っていますけどね.

粉川――デヴィッド・チョムのeキャッシュはヴァーチュアルなインヴェストメ ントとしては面白いし,可能性もすごくあると思うんだけど,実際にデジタル ・キャッシュを実現していくということになると,銀行システムそのものが壊 れるわけですね.それから,今の通貨制度は,国家単位の差異を基礎にしてい るわけだから,それも崩れてしまう.そこまで先取りした形で,たとえばG7で そういう話が進んでいるかというとそんなことはない.まだそんな程度です. ただ,可能性としてはすごく面白い.だけど,それが実際に稼働するようにな るというのは,かなり先のことだろうし,あるいはならないかもしれないね.

武邑――その時,一歩先んじたサイバー・コミュニティが考えられるのではな いか.現実の中では国家に帰属して税金を払ったりして生き長らえつつ,自立 したサイバースペースの中の生産物や加工物を,現実の経済行為の中に転用さ せていく,というのが先んじた方向性としてあるのではないかと思うんですね.

粉川――ただ,そうだとするとクレジットカードとどこが違うのかということ になります.むろん,ひとつの運動として見た場合,大きな意味を持っていま すね.元来貨幣というものは,どこかで労働価値を基盤にしているわけですよ. 人が体を張って何かの仕事をするということをレファレンスにして,差異がで きてくるわけですよね.だけど,デジタル・キャッシュは近代社会と近代経済 を形作っている,そういう構造そのものを壊してしまうようなポテンシャルを 持っています.

武邑――インターネットのワールド・ワイド・ウェッブ(WWW)を見るために必 要な「Netscape」のようなブラウザは,試作版をネットワークからダウンロー ドして無料で手に入れることができますね.ソフトウェアそのものが,パッケー ジから離れたことによって,一気に流通形態も変化してしまったし,このまま タダで使い続けられるのだろうかと,素朴な疑問を持つ人もいると思うんです よ.そういう意味でも消費とか価値に対する支払いということに対する概念に 大きな変化が生じているとは言えると思います.

粉川――デジタル・キャッシュという発想は突然出てきたわけではなくて,フ リーウェアとかシェアウェアの文化的な蓄積の中から出てきたものだと思うん です.だから,ある意味でソフトウェアそのものが,デジタル・キャッシュな んですよ.ソフトウェアを作ったらすぐネットに入れる,そしてまたそれを自 由に使う,それがまたどんどん流れていくという,自明化した動きがある.ア メリカではそういうことをすでにどんどんやってきたわけです.ところが日本 の場合は,作ってもなかなかシェアしないし流さない.だから,デジタル・キャッ シュの下地も弱い.

武邑――アメリカでは,80年代の後半から,ネット上でランチ・サイト的に, ゲームでもなんでも試作的なものをオープンにして,変更の余地や別の可能性 など,いろんなことについてネット上の意見を求める.そういう試験的な要素 の中で,特にフリーウェアなんかはばらまかれていた.そこで,いろんな人間 達がアクセスすることで,そのソフトウェア自体が成熟していくというプロセ スがありましたよね.

フリーウェア的なもの

粉川――それがゼロ・ワークだと思うんですね.命令されて働くということで はなくて,自然発生的に,楽しみながら何かができ上がってくるというプロセ スがすでに自明化しているわけですね.そういう流れの中でデジタル・キャッ シュみたいなものも出てくるわけだし,「Mosaic」なども,完全にそういう性 格のものでしたね.僕は,最近アメリカに行くとよく感じるんだけど,ある種 のフリーウェア的なビジネスというのが当たり前になってきて,本屋ですら, ソファとテーブルをたくさん置いて,自由に本を読ませている.別にそこです ぐに本を買ってくれなくたっていいという,そういうレイアウトにしているん ですね.喫茶のコーナーを作ったりしているところもあります.それでもやっ ていけるし,それでいいんだ,というビジネスが多くなっているんですね.

武邑――そうですね.洋服屋とかなんかも,中にカフェができたりして,そこで クッキー食べてコーヒー飲んで,洋服はそこに隠れるようにして存在している ようなブティックなんかかがありますね.社会全体の消費行動の中に,フリー ウェア的なひとつのスタイルが浸透してきているというのは,僕もすごく感じ るんだけど,日本の社会というのは,その点がまったく見えていないというか, 多くの人が多分理解できないポイントなんじゃないかと思うんです.そのギャッ プというのは,相当あると思います.

粉川――日本では,ボランティアという言葉になっちゃうんだけれども,ボラ ンティアと言って肩ひじ張ってしまうと,なにかちょっと違うんです.むしろ, サロン・ビジネスというか,そういう感じが強いですよね.すぐには儲からな いことでもやっておかないとキャピタリズムはやっていけないな,ということ はみんなわかってきているんだと思うんです.サロン・ビジネスだけではなく, アンチ・コピーライトにしても,お金はとらないわけでしょう.その辺がもう 出てきちゃっているんだから,日本のオルタナティヴな運動は,相当考えない と駄目だし,同時にビジネスの側も考えないと駄目なんじゃないかな.両方が 同じように問われているんだね.

武邑――僕の知り合いで,もともとウォール・ストリートにいてアナリストを やっていた人間が,独立してもう5年ぐらい経つんですが,彼は仕事を個人化す ることで,大幅に年俸が上がった人です.いろんな要因はあるにしても,ひと つには,自分がかなりクローズドなサイバーサロンというのを組織しているこ とにあると言うんです.

粉川――サイバーサロンという言い方をするんですか?

武邑――ええ.

粉川――それはいい言葉ですね.

武邑――それで,現実にニューヨークのどこかに場所を見つけて,以前だった らアップルやIBMといった企業のトップの人間たちを会員にする.それで,ダナ ・ハラウェイやウィリアム・ギブスンを講師に呼んで,彼らとトップの人間た ちを交流させるということをやっているんです.そういうひとつの装置の役目 を果たしている.それ自体は,非常に少ない会費で行なわれていて,収入を得 る主たる目的ではないんですね.むしろ,そこから派生してくるなにものかが 収入源になっている.それ自体は小さなインヴェストメントなのに,会員がそ れぞれ資源を持ち寄って運営されているから,ほとんど費用のかからないシス テムとして,サイバーサロンは存在している.こういうフィードバックのシス テムは,やはり最近のフリーウェアのビジネス環境とすごく似ているような気 がします.

粉川――そこでも,そのサイバーサロンを,クローズドにするかオープンにす るかで違ってくるでしょうね.クローズドな場合,結果的には希少性の中で, ある種の途方もない利潤が生まれてくるわけですよね.ただ,今後もずっとそ れで行けるかというと,それも難しいと思うんですね.

武邑――僕も感じているのは,今インターネットでも,非常にオープンになっ ていく部分と,極度にクローズド化していっている部分とがある.非常に二極 化された方向性が出てきている.一見,サイバースペース上に非常に自由に, あらゆるサイトにアクセス可能な状況が,ワールドワイドに浸透しているよう に見えるけれど,逆に,よりアクセスが不可能になりつつあるような,そうい うクローズドなポイントも増えてきているように思えます.その二極化された 方向性の中から見えてきたのは,無意識のフィールドではないかと思います. 80年代ぐらいまでの意識のマーケットというようなものから,サイバーサロン もそうだけど,無意識のマーケット形成に移っているのではないか.サブコン シャスネスのフィールドが,巨大なマーケットを動かしていくのではないか.

粉川――無意識のウェッブですからね.そのレベルでは,もはやキャピタリズ ムではないんですね.そういうレベルができ上がりつつあるし,ある部分では もう出ているわけですね.その辺を,なおキャピタリズムと呼ぶのか,それと も別の名前で呼ぶのかは議論がある.

武邑――「Mosaic」の創成期には,オランダにデジタル・ピクチャー・アーカ イヴがあって,そこにアクセスすると,ポルノを含む多くの情報を見ることが できたんですが,1年経たずしてほとんどクローズドになってしまいましたね.

TV的なメディアへ

粉川――インターネットの自由性ということを考えてみると,あるサイトに入 れないから不自由だ,ということには必ずしもならない.むしろ,いろいろな ものを見ることができても,平均的にローレベルなものしか見ていないという こともあるわけだし,特に「Mosaic」の場合には,これから先は一種のテレビ みたいになっていく可能性もあるわけです.ファミコンとかビデオ・ゲームみ たいな感覚でどんどん見られるわけですからね.そうすると,初期のラジオみ たいに,双方向として登場しても,やがて完全に受信だけの装置になっていっ た例もあるわけで,それと同じように,インターネットの方も,受信専門の方 向に行く可能性もあるわけです.

武邑――今のWWWでは,音や画像はとりあえずダウンロードして,それから「エ クステンション・ヴューワー」で開いて,改めて見たり聞いたりするわけで, けっしてリアルタイムなインタラクティヴィティではないわけです.この場合, 遅延した時間軸が維持される分,テレビのようにはならない.けれども,イン ターネット・テレビジョンという,WWWのありようとしてもともと持っていた環 境が今すでに出てきています.そうすると,ネット上での情報のやり取りと言っ ているような主体的な働きかけというものが失われていって,ますます受信専 用のメディアへと至ってしまう状況を,とても強く感じますね.

粉川――そういう方向はすでに出てきているし,それはやはり新しいビジネス としても有望だと思います.ただ,そういう動きがどんどん加速していったと きに,あるサイトが見えないとか見えるとかいう問題ももちろんあると思うん だけど,僕はむしろ,自分でサイトを開けるか開けないかという,そういう自 由性の方が問題だと思うんです.またサイトを開いてもね,それが面白いかど うかという問題もある.

武邑――あと,僕が今のインターネットの状況を見ていて思うのは,個人が, 今までの巨大な一方向型のメディア環境を超えて,自分自身で発信できるパー ソナル・メディアを一気に実現した,という評価軸によってインターネットの 普及が評されていますが,今後の状況からすると,非常に巨大な総合チャンネ ル化の状況が出てくるような気がするんですよ.それは,現状のテレビのスポ ンサーのシステムを導入したようなもので,非常にテレビ的なサイトに変化し ていく可能性はたいへん高いと思います.もちろん,エージェントを通じて, 無数の分散したサイトから,自分の欲しいリンクを選べる可能性もあるとは思 いますが.

粉川――現実に,たとえばスタンフォードのYahoo[★5]ですね.

武邑――Yahooはもう,ほとんど自立して商業化しちゃいましたものね.

粉川――だから,あそこをずっと探していくと,メキシコのチアパスで革命が 起きているなんていう情報だって入っているわけですよ[★6].結局そうなっ てくると,いつもまずあそこへアクセスして,ということにならざるを得なく なるわけね.

武邑――あそこでは,1日にアクセスが20万件とか30万件とか言われていますか らね.

粉川――そうなってくると,パーソナルなメディアとしてのインターネットと 言いつつ,非常に中央集権的になってくる.ただ,中央集権の場合は,まさに 中央がコントロールするわけだけど,インターネットの場合,一元的にはコン トロールできないから面白い.

武邑――そうですね.だからYahooのチームも,投資が入って商業化されて,一 種の企業体になってしまったというのも,フリーウェア・ビジネスのひとつの モデルだと思うんですよね.Yahooに登録してもらうことによって,そのことで 企業からお金を引き出すような,新しいトレード・オフの関係が確実に予測で きたからこそ,投資をしたんだと思うんですよね.

粉川――そういう一種のヴァーチュアル・ビジネスが今アメリカでは浮上して きているわけですね.そういうのは,日本ではどうなんですかね.

武邑――いやあ,日本はまだまだで,インターネットではフリーで情報をオー プンにしているけれど,それを作り上げて発信する人間たちはどうやって利益 を得ていくのか,という基本的で一般的な疑問の枠組みを超えていないんじゃ ないですかね.

粉川――アメリカの場合は,実際にインターネットを使ったヴァーチュアル・ ビジネスが比較的見えやすいですね.そのヴァリエーションとして,先ほど言っ た,書店がサロン的な雰囲気を作るとかの傾向が出てきているわけでしょう. これは決して表層的ではないという印象がありますね.日本のキャピタリズム は,けっこうデッドロックに来ているんじゃないかな.そういう気がしてなら ないんです.

通過儀礼としてのインターネット

武邑――ごく単純に言えば,新規産業を創出しないかぎり,これまでの経済的 なポテンシャルを維持できない所に日本は来ている.物の製造・生産力を軸と した経済構造から,物の生産に寄与しないところへどうスムースに転換をして いくのか,非常に見えにくい状況です.最近のインターネットに関する議論を 見聞きしていると,この1,2年の日本のグローバル・ネットワークへのアクセ スの遅れが,10年,20年の遅れになるという,危機感をあおるようなものがす ごく多いですね.「日本のインターネットと産業構造との関係性を考える」と いうような視点がいっぱいあるわけですよ.でも日本では,多分にそういった 情報の一元化が浸透して,どこでもかしこでもインターネット,インターネッ トと合い言葉になってしまう.それは結局ある種の通過儀礼であって,それが 過ぎ去ってしまうと,本格的にそれが捉えられる時代になる可能性もないとは 言えませんが,そのまままったく宙に浮いて忘れ去られてしまうかもしれない. 情報の消費速度の速さという点では,日本は特別な国ですね.ですから僕は, 冷戦後のメディア社会というものの,ある種の強力なオチというかな,強力な 一種のインパクトをもっとも強烈に受け取ったのは,日本じゃないかという気 がするんです.結局,イデオロギーの左右とかいうものも,よく言われる言葉 では「政治が溶けた」という状態だし,地下系と地上系,あるいは有線系と無 線系の構造自体も大きく揺れ動く.右も左も,上も下もほとんど同時期に溶け 始めてくるという,そういう枠組みをきわめて強烈に受け取っているのが,今 の日本の状況だという気がするんです.

粉川――情報消費という言葉がありますが,この場合の情報は,物としての情 報でしかないと思うんです.だから,この情報は外からどんどん持ってくるこ とができる.けれども,そういう情報――物品経済的な情報――の時代は終わっ て,今は持ってくるものがないという所まで来ちゃっているじゃないですか. だから,インターネットはつながっているけれど,決まったサイトをチャンネ ル・サーフィンするしかないという事態になる可能性がある. しかし,イン ターネットの可能性というのは,次々とリンクしていくところにあるわけで, もちろん大きなサイトが,ネット・サーフィンするために,いろんなネットを メニューとしてたくさんそろえてくれるという意味でのリンクもあると思うけ れど,そうではなくて,異質な個人やグループが一緒に何かをやるデジタル・ コミュニティみたいなものを作るという要素もあるわけですよね.現に,デジ タル・ギャラリーをやっている所でも,志を同じくしている所がリンクしたり しているわけでしょう.そういうデジタル・コミュニティというのはできつつ ありますが,これは必ずしもウェッブ・サイトだけのものじゃなくて,eメール の世界だってそうだと思うんです.僕も最近eメールでしか知らなかった人と会 うということが,けっこう多くなってきましたが,それはパーティで人と会う というのとは完全に違うわけですよ.つまり,出会って知り合うんじゃなくて, 知り合ってから出会うんですね.そういう,今までのコミュニケーションとまっ たく違う,出会いの関係というのが出てきているのは確かです.

武邑――最初にコンテンツで知り合って,その後フィジカルに出会う.そうい う一人の人間の内実とか,志向性や考え方のポイントが,eメールの環境によっ て非常に表面化して出てくるんですね.

粉川――そうするとね,フィジカルな社会の方も,そういう関係が増えてくれ ば,当然変わってくるわけですよ.

eメールのディスクール

武邑――前号の座談会[★7]では,eメールの話題がたくさん出ていたでしょ う.あそこで,手紙のようなメディアの内省的な側面が,eメールの即時性に阻 害されてしまうという話がありました.あの問題を考えると,今のアメリカの eメール環境というのは,もうほとんどラジオ・メールでしょう.あらゆるコネ クティヴィティの選択肢の中で,レスポンスの速度も含めて,相手に非常に速 い応答の時間軸を強制してしまうというような環境が一部ではもうかなり出て きている.たとえば,24時間ぐらい経ってから返事を出すというどころじゃな くなってきている.もうその場で,何十秒以内かで返事を出さないと,相手が すごいフラストレーションを起こすことになって,かえってコミュニケーショ ンがうまくいかないことになったりする.そういう速度感覚みたいなものに, どっぷり浸ってしまっている状況と,一日おいて返事をしようという感覚との ギャップがeメールの中でさえ大きくなっているところですよ.

粉川――だから,エア・メールはもう,スネイル(のろま)・メールと呼ばれ てますからね(笑).デジタル・ダンディズムみたいことを言うとすれば,す ぐに返事を出すことがダンディなんでしょうね(笑).

武邑――5秒で返事が返っ てくるということにおいて,相手を認知していくということですね.そこでし かダンディズムが成立しないという部分も出てきている.

粉川――だけど,インターネットですぐに返事を出せるということは,それだ けの装置を持っているということですからね.それは確かにダンディズムなん だけど.

武邑――いまやデジタル・ホームレスの階層化が始まっている.情報階層化の 枠組みも,持つ/持たざるという単なる二極化したものではなくて,多層的な ヒエラルキーが形成されてしまっているという感じがします.

粉川――それと,eメールに関して言えば,まだeメールを活かした新しいディ スクールが出てきていないような気がするんですね.今はまだ,理系主導時代 のディスクールが強くて,前の人のメッセージを「>」で引用しながら返事を出 すというようなスタイルが多いでしょう.それと,依然として文章が長すぎる. 書き文字の文化を超えていないんですよ.本当のデジタル・ダンディズムの世 界では短くていいわけです.eメールの世界は,もう一度再編が起きると思うん です.eメールを使っている人が,今一番困っているのは,メーリング・リスト に入ると,一日に何百通とか,人によっては1000通近くもどっと来てしまって, その間に個人メールが入ることなんですよね.そうすると,それをもちろん検 索して読むことはできるんだけど,今のメーリング・リストは,ほとんど活字 メディアのコンセプトでできているから,その中に個人的なメールが混じって しまうと,読まれないままになることが多い.これは悲惨ですよね.

武邑――だから,現実にはメールのアドレスを分配しておいて,それで整理す る以外にはない.

粉川――だから,eメールの面白いところは,まだ突出してきてないと思うんで す.しかし,リンクをつなげていく新しい関係性が,具体的なフィジカルな社 会のフェイス・トゥ・フェイスのコミュニケーションに大きな影響を与えると いう方向ははっきりしていると思います.

武邑――そうですね.これまでのわれわれの歴史の中での,民族とか国家とい う規範的なコミュニティに,ニュースグループに代表されるようなデジタル・ コミュニティがこれからどう関わっていくのか,われわれはまさにその関係性 の萠芽を体験しているのだろうと思います.

リンク性とデジタル・コミュニティ

編集部――インターネットにとって,インタラクティヴィティというのは,ど ういった意味を持つんでしょうか.たとえば,ビデオ・オン・ディマンドのシ ステムでは,500ものチャンネルがあっても,それは単に選択肢が増えるだけと も言えるわけですが.

粉川――どこまでをインタラクティヴと言うか,ということもある.チャンネ ルを選択することがインタラクティヴなのか,たまたまある画面を切り取って くる程度のことがインタラクティヴなのか.ビデオ・オン・ディマンドとか, 「Mosaic」のどこをクリックするのかとか,その程度のインタラクティヴ性と いうのは,ますます強まっていくとは思いますがね.ただし,こういう方向で のインタラクティヴィティというのはどうもつまらない.

武邑――確かに,偶然入っていくと非常にスリリングなページがあったりして, 新しい出会いを喚起していくということはある.ネティズンというネット上の 市民モデルみたいなものを主軸にしたサイトなどは非常に主体的なものですね. しかし,果たして今までわれわれが一方向型のメディアから享受してきた,習 慣的でメディア・ドラッグ的な,フックの効いた環境に慣れ親しんできた状況 からどこまで突出できるのかというと,非常に難しいところがあるという気も する.

粉川――それと,誰もがなにかそういうサイトを作ればいい,ということにも ならないわけですね.ミニFMみたいに,誰もがみんな送信すればいいというも のではない.アメリカでは,自分のウェッブ・サイトを持っているアーティス トが大勢いるけど,開いてみると文字だらけだったりしてね,大したものがな いことが多かったり,作りかけだったり,そういうケースは多いですよね.特 に「Mosaic」の場合に面白いのは,先ほども言ったようにリンク性だと思うん です.そのサイトに入ったときに,どこへ行けるのか.そういうことであって, 必ずしも自前で作ればいいということではないだろう.だから,一種のデジタ ル・コミュニティに対する問題と,ウェッブ・サイトに対する積極性の問題と いうのは切り離せないんじゃないかな.それから,先ほどのeメールの問題も, eメールをやっていくうちに,誰かからeメールのアドレスを教えてもらって, 別の誰かとつながっていく.あるいは,誰かに話して,質問したりしていく間 につながりができていくというような関係というのは,明らかに増えているわ けですよね.そういう,一種のリンク性というかコミュニティ性を帯びている ところが,僕は面白いなと感じているんですね.ある種のデジタル・コミュニ ティみたいなものができて,それを通路にしてフィジカルなレベルでも会った り,なにかをやったりする.そういう意味でのインタラクティヴ性.それを, 僕はインターネットのインタラクティヴ性というときの積極的な部分だと捉え たい.しかし実際には,そこが積極化していく動きには,どうもなりそうにな い(笑).

武邑――一方で,そういうインタラクティヴな情報ネットワークには関与しな いという,そういうダンディズムも最近は出てきているという気がします.特 に,サイバースペースと身体の問題を突き詰めていくと,やはり,動かしがた い身体性の枠組みというのがどこかにあって,われわれがノマドとして自在に 世界中を駆けめぐり,ネットワークとフットワークを自由自在に制御しようと しても,やはりどこかに臨界点がつきまとってくる気がする.そのときに,そ うした情報ネットワークにはタッチしないという戦略ですね.特に,ヨーロッ パなんかではそういう方向性が最近はあるような気がしますね.

粉川――ハキム・ベイみたいにね,コンピュータには触らないと.

武邑――ある種の潔さがある.スピリチュアリティのようなものとも言える.

編集部――逆に,ネット・サーフィンは潔くないですね(笑).

粉川――ヘアート・ロフィンク(Geert Lovink)[★8]がベンヤミンにこだわ るのは,電子時代のフラヌールに関心があるからなんでしょうね.つまり,ネッ トを有益に使っていこうというのは,ダンディズムじゃないわけですよ.都市 を歩くのに仕事のために歩くのと,フラヌール的に遊歩するのとは,絶対的に 違うわけでしょう.そういう捉え直しが彼の中にあったのだと思いますね.だ から,ネット・サーフィンと言うけれど,ある意味でネット・フラナリーと言 うべきではないか.実際やってみると,ネット遊歩ですよね.それはストレー トに仕事に返ってくるわけじゃないし,むしろサイバースペースの中を遊歩し ているにすぎないですよね.

武邑――本来的に言うなら,サーフなんていう言葉は,波のエッジに乗らない と前に行けないわけですよね.波のちょっとでも後ろにいたら,エッジには乗 れないから,先には行けない.今使われているネット・サーフなんていう言葉 は,おっしゃるようなレベルだと思うんですよ.

粉川――フラヌールのように,路地を入っていってなにか怪しげな世界がぱっ と出てきたり,知っている人に路上でひょっと会ったりね,ウェッブの面白さ というのはむしろそういう感覚なんじゃないかな.だから,そういうサイトで アーティストが自分だけのウェッブ・サイトを開くというのは,路上でパフォー マンスをやっているようなものだったり,ホームレスが寝ているようなことで あったりするというたとえも成り立つ.そういう意味では,ウェッブ・サイト がサバーブであるよりも,街路的になってきたということは言えますね.

インターネットとサロン

武邑――街路的という話で思い出したんですが,ブダペストに現存するカフェ でいちばん有名なのが,ニューヨーク・カフェで…….

粉川――ああ,ブダペストのニューヨーク・カフェって,カフカの友達のジャッ ク・レヴィというのが,1910年代にあそこでパフォーマンスをやったりしたス ポットですね.今でもそういう面白いところなんですか.

武邑――今はまあ,どちらかというとホテルの中にある,地下がレストランで 1階がカフェというようなものなんです.ただ,いまでも当時を彷彿とさせる雰 囲気を持っていますね.当時はウィーンと並んでブダペスト文化というか,一 種のカフェ・ソサエティが存在していた.それで面白かったのは,ニューヨー ク・カフェと並んで,その頃いちばん重要だったカフェは,ジャパン・カフェ だった,というんですよ.今世紀の初頭ぐらいに,ニューヨーク・カフェとジャ パン・カフェが,ブダペスト文化の二大拠点だったというのは,いったいなん だったんだろうと思ったんです.今世紀の初頭にとって,ニューヨークという のは,巨大なアメリカという実験国家の象徴で,ヨーロッパにしてみれば壮大 なフロンティアのメタファーを持っていたんでしょうね.それは,今のデジタ ル・フロンティアというのとは異なるにしても,ニューヨークがなにが起こる か判らないという新しい国家概念のメタファーだったりしたんでしょうね.で も,それではなぜ,もうひとつがジャパン・カフェだったかということなんで す.これは,単純なジャパネスクだとかいうんじゃなくて,極東の島国がもた らした,非常にエキセントリックで新奇な,まったく相いれない文化価値みた いなものに対する思い入れだったりするのかもしれませんね.その空間がどう いうものだったのかとか,写真が存在しているのかとか,今調べてもらってい るところなんですが,現状では残っていないようですね.

粉川――ブダペストのカフェに「ニューヨーク」という名前が付いているのは, 20世紀の初めには東ヨーロッパからアメリカに移民したり出稼ぎに行ったりす る人が多くて,アメリカへのあこがれが強かったからみたいですね.プラハに も「エジソン」というカフェがあったりね.

武邑――ウィーンでも,レーニンやトロツキーが集合していたのが,セントラ ル・カフェというんですよね.そこでは,世界や政治や国家というものを,カ フェの中で夢想するという一般的な理解があるわけですが,今のインターネッ ト・カフェでね,デジタル・アナーキズムやデジタル国家論みたいなことが語 られ,それが実際に何かに展開されるような,ひとつのカフェ・ソサエティに なり得るのかというと,それは案外難しいような気もする.むしろ,世界とい うものから閉ざされて,物質的な限界によって閉ざされているからこそ,そう いったアナーキーで自由な発想が突出するというところがある気がしますから ね.僕は,なんとなく現実の空間が持つリアリティというものを再確認せざる を得なかったんですよね.だから,世界中に存在しているインターネット・カ フェがリンクし合っても,それがデジタル・コミュニティやデジタル・アナー キズムを実現させる,集合的でフォーカスの効いた力学にはなり得ないんじゃ ないかな.

粉川――ならないでしょうね.ウェッブ・サイトで,カフェを集めているとこ ろがありましたね[★9],あれなんかはマンガみたいなものですね.というの は,インターネット自体がカフェ的な要素を持っているわけでしょう.むしろ, フィジカルな場所で,インターネットのカルチャーとつながっていって面白い というのは,サロンでしょうね.ヨーロッパのカフェというのは,どちらかと いうとそういうサロン的な要素を持っているわけだから,名前はカフェでも, ここで言っているサロンになっているわけだけれど,サンフランシスコあたり のいわゆるインターネット・カフェというのは,あまり可能性はないでしょう ね.ニューヨークには2か所ぐらいしかありません.

武邑――あれは要するに,そこに行けばアクセスできるというようなモチベー ションなんですか.

粉川――アクセスできるのはいいけれども,他の客はその画面を眺めているだ けだから,一時期のカフェバーみたいに,ビデオを流しているようなものです よね.一種のアクセサリーです.

武邑――だから,ある種のオルタナティヴなスペースとしてのインターネット ・カフェという形態はあると思うんですが,アクセス・ポイントとして物理的 な空間をカフェの中に表現するという形では,ほとんど何も生まれないような 気がします.

粉川――カフェ・カルチャーのひとつのヴァリエーションとして,フィジカル な場所としては機能しているけれども,別にコンピュータはなくてもいいんです.

編集部――だいぶ時間も尽きてきたようです.ICCでもサイトをオープンして, 本誌の内容の一部にインターネット上でアクセスできるように準備を進めてい るところなんです.制作に携わった実感としては,すでに雑誌という既存のメ ディア用に作ったコンテンツをインターネット用に「更新した」という感じで, 全く別のメディアを新たに作ったという感覚ではないです.だから,ネットワー ク・マガジンやネットワーク・ニュースペーパーとか言いますが,現実には既 に存在する雑誌や新聞と相補うような形になっていかざるを得ないのでしょう ね.ただ,そこで「相補う」などと言ってしまった瞬間に面白くなくなるんで しょうね.

粉川――かえって,画像とかテキストの蓄積をたくさん持っている所ほど,そ ういう危険性があるんですね.

武邑――なんにもないところからネティズンを始めるというようなコミュニティ の方が面白いですよ.既存のペーパー・メディアをまったく所有しない,そこ からスタートする,という割り切りが案外重要なのかもしれない.

粉川――アメリカの小学生とか中学生が,ハイパーカードを使ってね,なにか 面白いものを作るというのは,けっこう多いでしょう.ユニークなものが出て きたりしてね.逆に学者なんかが作ったものは面白くなかったりする.

編集部――アメリカの上院314号という法案で,サイトに猥褻なものがあったら, 10万ドルの罰金を取るというのがありましたよね.それが通ったら,各サイト が自己検閲を始めて,自治的なものも成立しなくなるんじゃないかという話も ありますが,その辺はどうなんでしょう.それは,クリッパー・チップに続く センサーシップの問題だと思うんですけど.すでにこれに反対する動きも起き ていますし[★10],あまりに極端な例だと,静観していられるものでしょうか.

粉川――アメリカではある意味で右翼というか,保守勢力が強いから,通るか もしれませんね.

武邑――センサーシップは本当に大きなテーマになっていますよ.だから,現 状ではある程度許容されているFTPやニュースグループはいっぱいあるわけです よ.この法案の問題については,WWWがここまで一般化してきているからこそ成 立してくる問題なんでしょう.もう少しリテラシーが必要なアクセス・サイト では,案外その辺が自由でいられるんじゃないかな.それくらいWWWの普及のス ピードは急激ですね.

(1995年4月18日 URAKU青山にて)


付記 ■編集部註
★1
シュー・リー・チェンについては,本特集の大榎淳氏の原稿を参照.
なお,映画 『フレッシュ キル』は,「ユーロスペース1」にて6月3日よりレイトロードショー.

★2
ハキム・ベイのホーム・ページは,http://www.usit.uio.no/~mwatz/bey/

★3
『T.A.Z.』= The Temporary Autonomous Zone, Ontological Anarchy, Poetic Terrorism
(http://www.uio.no/~mwatz/bey/taz/taz_contents.html)

★4
デジタル・キャッシュの展望については,本特集の岩井克人氏インタヴュー渡辺 保史氏,フォルカー・グラスムック氏などを参照.

★5
Yahooのウェッブ・ページは,http://www.yahoo.com/

★6
メキシコの革命に関しては,本誌InterCityの港千尋氏の論稿を参照.

★7
本誌12号の座談会「ハイパーメディア社会における自己・視線・権力」
(浅田彰+大澤真幸+柄谷行人+黒崎政男).

★8
『テクノカルチャー・マトリクス』(NTT出版,1994)の「データ・ダンディズムの メディア的ふるまい」を参照.なおヘアート・ロフィンクに関しては,本特集及び InterCityにおける上野俊哉氏の論稿でもふれられている.

★9
「Cyber Cafe Guide」(http://www.easynet.co.uk/pages/cafe/ccafe.htm).な おヨーロッパのインターネット・カフェについては本特集で上野俊哉氏が報告している.

★10
米上院314号法案に反対する動きとしては,
http://www.phantom.com/~slowdog/petition-statement.html などがある.

(こがわ てつお・批評/たけむら みつひろ・メディア美学)


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