InterCommunication No.13 1995

Feature

デジタル・キャッシュから「超流通」経済へ


渡辺保史


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 最近では一般誌でも「デジタル・キャッシュ」という言葉を目にする機会は 増えているが,報道の多くは経済システムの中から貨幣だけを抽出して論じて いるだけで,断片的な記述に過ぎるきらいがあった.その意味で,今回の特集 のように表層的なインターネット「ブーム」から離れて,広く政治経済的な視 点からこの種の問題を討議する機会が設定されたことは重要である.
 ただし, デジタル・キャッシュの実用化の可能性については,以下で述べるように現時 点ではまだ不透明な部分や問題点が多過ぎ,誰も正確な予測などできる状況に はない.とりあえず本稿では,デジタル・キャッシュと呼ばれる概念・システ ムの現状と,実現可能性のシナリオ,またその社会化へ向けての問題点は何か を,ごく簡略に整理して今後の議論につなげていきたいと思う[★1]


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 「デジタル・キャッシュ」と一口に言われているが,その特徴をまとめると,
(1)物質(紙幣,コイン)ではなく,デジタル化された貨幣の情報をネットワー クその他で伝達する,
(2)クレジット取引のような事後的な決済ではなく,「売り/買い」の当事者間でリアルタイムに現金が移動する,
(3)その実現には,暗号技術の活用が不可欠,ということになるだろうか.
 デジタル・キャッ シュによる現金の流れをごく単純化して示すと,図1のようになる.
 このシステムの実現に不可欠なデジタル暗号技術については,前号の拙稿(「メディア ・テクノロジーのエッジ[4]」)でも触れたが,具体的には二つの点でその実 現に大きく関わっている.一つには,ネットワークでのトランザクション処理 の際の安全性を高めるため,もう一つはデジタル・キャッシュそのものの情報 改竄(偽造)を防ぐためである.特にキー・テクノロジーとなったのがRSAに代 表される公開鍵暗号(Public key encryption)である.
 各国で様々なデジタル・キャッシュ・システムが提案されている(表1参照)が,その中でも実用化 を指向した急先鋒として知られているのが,デヴィッド・チョム(David Chaum) のデジキャッシュ社が手掛ける「eキャッシュ」である.
 ごく簡単に概要を説明する.100ドルの商品をネット上で買う場合を想定してみよう.
 eキャッシュを使うには,利用者は銀行に自分の口座を持っていなくてはならない.
 まず,自分の口座からネットワークを通して100ドル分のeキャッシュを引き出し,手 元にある「電子財布(Electronic Wallet)」に入れる.電子財布はパーソナル ・コンピュータ用のアプリケーション,あるいはスマートカードのような形態 となる.ネットワーク上にある「サイバーショップ」で買物する場合には,商 品を買いたい旨の電子メールに100ドル分のeキャッシュを「同封」して伝送す る.
 サイバーショップの方では,利用者からのeキャッシュが「本物」である かどうか照合し,商品を利用者に送り届ける.受け取った売上金であるeキャッ シュは,ネットワークでつながった取引先の銀行に送る.銀行では再びeキャッ シュをチェックし,問題がなければ100ドルがサイバーショップの口座に入金さ れる.
 eキャッシュは,例えば100ドルを引き出しても,普通の現金と同じよ うに10ドルとか5ドルに「くずして」使うことができ,個人間の貸し借りも可能 となる.クレジットカードによる決済とは違い,少額決済への対応性があり, 誰にでも使えて,使った人を特定できない匿名性があることが大きな特徴であ ろう.
 eキャッシュでは公開鍵暗号方式をベースとしたデジタル署名によって データが保護されている.銀行から利用者が引き出すeキャッシュには,暗号化 された「裏書き(Blind Signature)」がされており,eキャッシュの額面を保 証している.この裏書きは,利用者が小さな額にくずしたり,電子メールで他 人に送っても消えることはない.裏書きは,銀行だけが持っている秘密鍵を使っ て行なわれているため,他人が書き替えたりコピーすることはできない(当の 銀行自身も,一度行なったデジタル署名は否認することができない).
 現在 インターネットで行なわれているeキャッシュの実験では,リアルマネーとはリ ンクしないヴァーチュアルな「100万サイバーバックス」がデジキャッシュ社の 「第一デジタル銀行(First Digital Bank)」により発行されている.ユーザー として実験に参加する場合には,デジキャッシュ社のWWWホームページにアクセ スして,電子財布アプリケーションと100サイバーバックスを受け取ることがで きる.
 95年4月初めの時点で,eキャッシュ実験に参加している「サイバーショッ プ」は約40店舗.
 例えば,サンフランシスコに本拠を持つ「Hotwired」では 雑誌『WIRED』掲載の2カ月前に一部の記事を,「T-shirts Com」ではオリジナ ルデザインのTシャツを,本誌の執筆者でもある伊藤穣一の「Eccosys」では MacZone Japanの商品の一部や音楽や画像などのデジタル・コンテンツを,それ ぞれ購入することができる(表2参照).そのほか,ヴァーチュアル・カジノや ロボットの遠隔オペレーションなどといったネットワーク型のアプリケーショ ンも利用できる.
 また,4月中旬からは,桝山寛とデザイナー松本弦人の企画 による「テレフロッケ」が期間限定の「サイバーショップ」としてオープンし た.「テレフロッケ」はデジタル・コンテンツを個人ベースで出展する一種の フリーマーケットであり,94年に1回目が開かれた「フロッケ展」のインターネッ ト版である.
 現在,デジキャッシュ社では,欧米の複数の銀行と導入に向け て交渉を進めている.また,創業者のデヴィッド・チョムはEU(欧州連合)の 「CAFE(Conditional Access For Europe)」プロジェクトの一員であり,eキャッ シュをヨーロッパの統合通貨として導入するよう働き掛けているが,ただし後 に述べるような問題点を抱えており,実用化を危ぶむ声も少なくない.


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 このほかに,ネットワークでの決済手段としてのデジタル・キャッシュの実 用化を目指しているプロジェクトとしては,MITなどが参画する「サイバーキャッ シュ」,カーネギー・メロン大学(CMU)やVISAインターナショナルによる「ネッ トビル」,南カリフォルニア大の「ネットチェック」,フェニックス大の「ネッ トチェックス」,AT&Tの「アノニマス・クレジットカード」などがあるが,本 稿執筆時点では具体的なプロダクツや実験に関するリリースはほとんどなされ ていない.
 また,ネットワーク上でのクレジット取引を仲介代行する企業と して,ファースト・ヴァーチュアル・ホールディングズ社(FVH)が既にサービ スを始めている.このシステムでは,買い手がFVHに口座を開き,インターネッ ト上のオンライン・ショップで買物する際にはFVHの口座番号を伝える.FVHは ショップや買い手との間で取引が正当であるかどうかの確認を行なう.実際の 決済機能は通常のクレジットカードを使うが,互いの認証が難しいネット上で の信用供与をファースト・ヴァーチュアルが代行しているわけであり,クレジッ トという既存のインフラをベースに,オンライン取引の安全・信頼性を高める ことを目指しているといえよう.
 このほか,ネットスケープ・コミュニケー ションズ社は,IBM,コンピュサーブ,アメリカ・オンライン,プロディジーの 各社と95年4月,ネットワーク上でのトランザクション処理方式のスタンダード 策定で合意している.ネットスケープは既に,同社のWWWブラウザやサーバー・ システムにRSAベースのセキュリティ・プロトコルであるSHTTP(Secure HyperText Transport Protocol)を採用している.こうした動きによって,今後ネットワー ク上でのサイバービジネス用アプリケーションの規格統一が進むことになるだ ろう.
 さらに,ソフトウェア界の巨人,マイクロソフトも動き出している. 94年11月,同社はVISAインターナショナルと提携し,ネットワーク上でのクレ ジット取引処理を行なうソフトウェアの共同開発を発表している.マイクロソ フトでは同年10月にも,PC用のオンライン会計ソフトの開発企業,インチュイッ ト社の買収を表明しており,デジタル・キャッシュ実用化への布石を着々と打っ ている.
 こうしたマイクロソフトの戦略について,マッキンゼー・ジャパン の平野正雄は次のように分析する.「ウィンドウズは確かにパソコンOSのデファ クト化で成功を収めたが,結局は“売り放し”の商売だった.戦略転換は,ネッ トワーク時代に儲かるのが日々のサポートとメインテナンスだと気づいたため だろう」.
 デジタル・キャッシュは,個人の支払い手段のほかに企業間のEDI (Electronic Data Interchange=受発注などの伝票交換のネットワーク化)と の連携によって,企業間決済の迅速化・ネットワーク化も可能にする.いわゆ るEC(Electronic Commerce)の実現だ.この分野では,合衆国のコマース・ネッ ト(Commerce Net)が代表例だが,日本でも通産省の音頭取りで調査研究会が 発足している.一方,コンピュータ・ネットワークによる電子取引の実現を目 指した「認証実用化実験協議会」がアスキー,NEC,富士通,インターネットイ ニシアティブ(IIJ),WIDEプロジェクトなどの参画によって発足.サイバービ ジネスにおける暗号認証技術の応用について検討を始めている.
 このほか, 郵政省では電子取引が一般化していった場合,個人情報やプライヴァシーをど のように保護するかを検討する「電子情報とネットワーク利用に関する調査研 究会」を発足させている.ここでは,EDIやインターネットなどでの電子取引の 安全性・信頼性確保のための制度的保障のあり方,個人情報・プライヴァシー 保護のあり方を主要な検討テーマに設定しており,一般ネットワーク・ユーザー からの意見も募っている[★2]


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 基本的にはネットワーク上での利用を想定していないが,銀行が中心となっ て実用化に取り組んでいるデジタル・キャッシュとして,英国ナショナル・ウェ ストミンスター(ナットウェスト)銀行の「モンデックス」がある.
 モンデッ クスのシステムを構成するのは,利用者個人が持つスマートカード(ICカード) と携帯用の電子財布やカードリーダー(キーホルダー型で残高が確認できる), および各店舗の専用読み取り端末,モンデックス対応の銀行ATM(Automated Teller Machine)など.利用者は,ATMや自宅のICカード対応電話機を使って自 分の口座から一定額をスマートカードに引き落とし,その額の範囲内でモンデッ クスに参加する店舗で買物することができる.カード間の送金も可能である.
 95年7月から,英国の小都市スウィンドン(人口17万)で,一般消費者4万人 と約1000店舗が参加するフィールド実験がスタートする.参加店舗には,マク ドナルド,モービル石油などの大企業も含まれている.
 ナットウェストでは, モンデックス・システムを世界的なフランチャイズとして展開する戦略を進め ており,一定数のフランチャイズが集まった時点で新会社を設立する計画.既 にナットウェストのほか,同じく英国のミッドランド銀行,香港上海銀行など と契約を締結.アジア11カ国でサービスを提供していく.5種類の異なる通貨を 同時に蓄積でき,国際間での相互利用が容易にできるというセールスポイント があることから,おそらくはインターネットなどネットワークでの支払い手段 としての利用環境をサポートすることも,当然射程に入っているだろう.
 日本への売り込みも積極的で,95年初頭には英国本社からスタッフが来日し,都 市銀行に導入を働きかけている.しかし,「都銀の反応は非常に冷淡らしい. 景気低迷から脱し切れていない状況下で,相応の設備投資を必要とする新規プ ロジェクトには慎重にならざるを得ないからだ」と,ある関係者は語っている.
 また,暗号技術の側面からは,モンデックスの採用している公開鍵暗号のア ルゴリズムには問題点が少なくない,とされていることも指摘しておきたい.


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 さて,肝心の問題に入ろう.こうしたデジタル・キャッシュが経済システム にどのように導入され,社会化していくのだろうか.
 幾つかの側面がある. 第一に,デジタル・キャッシュの発行主体は誰か? 金融秩序にどのような影 響を及ぼすか? 取引の安全・信頼性はどのように確保されるのか? 国家の 通貨発行権や徴税権はどうなるのか?
 オリエントコーポレーションの増渕正 明は,金融関係者としてはいち早くデジタル・キャッシュに関心を向け,専門 誌などで積極的に発言しているが,彼は次のように語ってくれた.
 「クレジッ トカードのシステムは,この三十数年間にアメックスのような世界的なものか ら,ある地域に限定したものまで乱立している.デジタル・キャッシュといっ ても,それが何か単一のシステムに収束することはあり得ないだろう.現実的 に考えれば,今のクレジットと同じように,相乗りや共存が進むはずだ.ある オンライン・ショップではeキャッシュしか扱わないが,別の店ではeキャッシュ とモンデックスとサイバーキャッシュもOK,というように.そしてユーザーの 側も状況に応じてデジタル・キャッシュを使い分けるようになるだろう.カー ドの利用に抵抗感の少ない若年層が利用を引っ張っていくようになるのではな いか.
 ただ,問題は相手の見えないネットワーク取引において,どうやって 信用を確立するかだ.完全に匿名的でオープンな取引というのは,売り手と買 い手の双方にとって不安が残る.考えられるのは,セミクローズドな会員制と して取引相手と使用範囲をある程度限定したデジタル・キャッシュの発行.あ る特定の分野に強いデジタル・キャッシュが幾つか出てきて,それらや現実の 通貨との為替レートが設けられ,交換されるようになるのではないか.
 結局 誰が手掛けるかといえば,まずはクレジットカードとのリンクが一番の早道だ ろう.既存の銀行は業務のネットワーク化すら満足に進んでいないし,まず安 全性から考える傾向があるから,二の足を踏むのは当然だと思う」.
 また, マッキンゼー・ジャパンの平野正雄も,デジタル・キャッシュの主要なプレイ ヤーは銀行以外の企業ではないかと指摘する.
 「ネットワークでの決済を実 現する条件は,大きく分けて,まずID=本人確認,データベース化,支払い機 能の三つになるだろう.それによって実現するシステムは既存の決済機構とは かなり異なった様相になるのが明らかであり,扱う主体が既存の金融機関にな るとは考えにくい.重要なのは,IDとデータベースを持っているかどうかで, その意味ではクレジットや流通,通信会社がアドヴァンテージを持つ可能性が ある.
 やはりファースト・ヴァーチュアルのようなクレジットカードによる 決済から出発するのが合理的判断とはいえる.ただし,クレジット方式では未 成年など現実社会のある層はオミットされる可能性もあるし,少額決済には向 いていない.
 もう一つの問題は,通貨の持つある種のオーソリティ,国家的 な金融・経済のコントロールのメジャーとしての機能だが,eキャッシュはその 性格としてグローバルであり,発行・流通形態が全く異質なことから,そうし た手段としての通貨とのマッチングに問題がある.しかし,それが現在の確立 された金融システムとの接点を持たざるを得ないことは確かであり,両者がど のように折り合いをつけていくか,これから具体的な進展があるのだろう」.
 ともあれ,銀行を頂点とする現在の金融システムは,デジタル・キャッシュ の実現によって変容の大波にさらされようとしている.しかし,当の銀行自身 はいまだそのポテンシャルには気づいていないようである.デジタル革命によっ てマスメディアという恐竜(メディアサウルス)が危機に瀕しているのと同様 に,銀行もデジタル・キャッシュ時代の恐竜と化すのだろうか?
 また,eキャッ シュのように通しナンバーすら記載されていない,完全にアノニマス/アント レーサブルなデジタル・キャッシュは,誘拐や恐喝,あるいはマネー・ローン ダリングといった悪用の可能性を拡げるおそれもあるだろう.他方で,チョム が再三強調するようにクレジットのようなトレーサブルな取引には,個人のプ ライヴァシーの阻害を促す危険がある.デジタル・キャッシュが流通する時代 に個人はどのように「ネット生活」を守っていくべきなのだろう.郵政省で 「電子情報とネットワーク利用に関する調査研究会」事務局を担当するデータ 通信課の課長補佐・小原昇は,「電子取引を本格的に普及させていくには暗号 技術が不可欠だと言われる.そのこと自身は確かだろうが,他方,暗号技術の 技術的な信頼性が実際にはいくら高いとしても,一般の人々がそれだけで電子 取引を安全と考えるとはかぎらない.一般の人が電子取引を信頼して受け入れ, 納得できるようにするためには,暗号技術とあわせ,別の制度的な安全信頼性 確保の方法も考えていくことが必要ではないか.
 また,現在の通信販売やオ ンライン・ショッピングは非常に慎重な手段で信頼性を確保しているが,過剰 なコストをかけずに電子取引を実現するためにはどんな仕組みが必要なのか. それらを実現するのが法律なのか,ガイドラインなのか,あるいは利用者自身 のモラルなのか,テクノロジーなのか,といった角度からも現在検討を進めて いる」と語る.


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 デジタル・キャッシュの流通拡大は,確実に国家レベルで行なわれている現 在の通貨管理,信用供与の自明性,あるいは徴税権などを揺るがせる可能性が ある.eキャッシュのようにアントレーサブルなデジタル・キャッシュならば, 国家によるマネーフロー・コントロールの網を容易に潜り抜けることになる. さらに言えば,例えばデリバティヴ(金融派生商品)のような新しい取引がデ ジタル・キャッシュ上でも実現し,国際金融システムの“out of control”に 拍車をかける可能性は十分にある.EFF(Electronic Frontier Foundation)の ジョン・ペリー・バーロウが言うように,デジタル・キャッシュの出現は国家 レベルの金融経済システムの完全なる死を宣告するものなのだろうか? 既に インターネットのニューズグループの中では,米国財務省がeキャッシュ実験に 圧力をかけ始めたとの情報も流れている.しかし,現時点で大蔵省・日銀当局 はまだ公的な見解を表明するには至っていない.
 大蔵省銀行局では,デジタ ル・キャッシュなど新しい決済サービスの提供の動きについて,銀行監督の観 点から調査を始めている.
 貨幣の歴史においてはテクノロジーが決済機能の あり方を多様に変えてきた.大蔵省としては,これまでの金融自由化の大きな 流れからいっても,テクノロジーによる決済機能の提供手段の変化を妨げる方 向は望ましくない,というのが基本的なスタンスらしい.デジタル・キャッシュ についても,最初からそれを抑えつけるのではなく,発展の動向を見守る姿勢 だという.
 また,デジタル・キャッシュといっても,既存の金融システムと リンクすることになれば,結局は既存の通貨をリファインしたものになる筈で, 例えば「有事にドルが強い」というように,使い手の状況次第で価値や使い勝 手が変化していくことになるのではないか,とも語っている.大蔵省のデジタ ル・キャッシュに関する調査はまだ始まったばかりで,今後の方針は未定とい う.実際に銀行などが国内でデジタル・キャッシュを金融サービスとして実施 する場合には,現行法では対処しきれない問題が多々出てくることは間違いな いと思われる.プリペイド・カードの場合と同じように,新たな法的手当ては 何らかの形で必要になるだろう.
 日本銀行の信用機構局でも,通貨管理の観 点からデジタル・キャッシュに対して大きな関心を寄せていると言われ,情報 収集を始めている.ただ,日銀の調査活動は東京共同銀行問題や円高への対応 など,当面の金融秩序維持に忙殺され,事実上は休止状態となっている.


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 繰り返すようだが,デジタル・キャッシュそのものが重要なのではない.貨 幣とは,その本質から言って,いかなる形態にも変化し得るからだ.
 問題は, それが単に現在の産業経済を補強するだけではなく,物財に依拠しない情報経 済のパラダイムをどのように牽引していくか,という可能性を考えることだろ う[★3].「超流通」についてはこれまでも幾度か言及しているが,無体物 (情報財)に適した流通システムを創案したものである.デジタル・キャッシュ の日常化は,有体物を超えた超流通経済の実現を意味するのだろうか.超流通 アーキテクチャーの発明者,森亮一(筑波大学名誉教授,神奈川工科大学教授) はこう語っている.
 「デジタル・キャッシュは非常に面白いテーマだ.それ が実用化されれば物理的な財布や金庫と同じように,必ず何らかの攻撃の対象 になることは確実だろう.その際の防御を,デジタル・キャッシュの場合は暗 号で全て解決しようとしているが,果たしてそれは本当に正しいことなのだろ うか.“強い防御”を実現しようとするには,システムを作った本人ですら攻 撃できないことが条件だが,デジタル・キャッシュは“強い攻撃”に耐えられ るのか.暗号には,使っている人間が騙されていないことを証明しにくい難し さがある.無論,だからと言ってデジタル・キャッシュが不要だというわけで はない.有体物の貨幣も貝殻の時代から様々に変化してきた.貨幣による有体 物の流通経済が確立して2600年とすれば,無体物=情報財の超流通経済は始まっ てまだ50年程度に過ぎない.われわれが試みるべきことは山ほどある」.

渡辺保史 e-mail HGA00404@niftyserve.or.jp/yas-w@po.iijnet.or.jp

(わたなべ やすし・メディア論)


★1
デヴィッド・チョム,岩井克人,森亮一らへのインタヴュー,デジタル・キャッシュ 実現へ向かう各国の状況やその社会的インパクトについて収録した『デジタル・ キャッシュの衝撃(仮)』がアスキー出版局より95年近刊予定.

★2
電子メール・アドレスはnetinfo@mpt.go.jp,KNH92871@pcvan.or.jp, LDJ04455@niftyserve.or.jp(なお,研究会は95年6月末までの開催).

★3
ケヴィン・ケリーは「デジタル・キャッシュはバッチモードの紙幣と置き換わ るだろう.全ての取り引きがリアルタイム化し,ネガティヴに言えばアンダー ワイアー(非公式)な経済がブームとなる.クリエイティヴな範囲が広がり, 現在ではそれらは目に見えないように暗号化されたネットワークに接続されて いく」と語り,その社会的インパクトを次のように整理している.「私たちの ネットワーク経済の中心地ではデジタル・マネーの影響が既に現われはじめて います.以下の5項目が予想されます.

*速度のアップ(Increased Velocity)
貨幣は現実性を取り去るとき,すなわち物質をベースにしたものを全て取り除 くと,速度がアップします.より遠く,より速く移動します.貨幣の回転が速 くなることは貨幣の流通量が増えることと同様の効果があります.衛星が打ち 上げられ,光速に近い速さで24時間,世界的な株取り引きが可能となり,グロ ーバル・マネーの合計が5%増加しました.広範囲で使われるデジタル・キャ ッシュは貨幣の速度をさらに加速するでしょう.

*連続性(Continuity)
金や貴重な物質や紙で構成されている貨幣は決められた時間に支払われ,決められ た単位で入ってきます.ATM機は20ドル札を吐き出すだけなのです.あなたが 電話を毎日使っていても電話会社への支払いは月に1度です.これはバッチモ ード・マネーと言えます.エレクトロニック・マネーは連続的に流通していま す.これによって連続的に発生する支出を払えるようにします.アルビン・ト フラーの表現を借りれば“分単位で,銀行口座から小さな水滴のように電子的 に搾り取られる”と言えます.あなたのeマネーは電話をかけるたびに受話器 を置くと同時に支払われます.もしかすると話しているときかもしれません. 支払いは使用と同時に生じます.その速さとともに連続的なエレクトロニック ・マネーは即時性に近づけます.これは“フロート(float)”によって現在 多くの利益を得ている銀行を悩ませます.なぜなら即時性は浮遊を消滅させて しまうからです.

*際限なく代替可能(Unlimited Fungibility)
いったん完全に現実性を取り除かれると,デジタルマネーはひとつの伝送方法から 抜けだしもっともハンディなメディアへとどんどん流れていきます.請求行為はモノ やサービスそれ自体といっしょに綴じ込まれるかもしれません.ビデオの請求 書はビデオのなかに組み込まれてきます.送付書はバーコードのそばに書き込 まれ,レーザーでさっとなぞるだけで支払われます.電子課金ができるあらゆ るものが実際に決済できるのです.外国為替は変化の象徴となります.貨幣は デジタル情報と同様に人に影響されやすいものです.これは従来の経済では絶 対に起こらなかった通貨鋳造の変化と双方向性を容易にします.ネットワーク 上のビジネスが解禁になるのです.

*アクセスしやすい(Accessibility)
これまでは,巧妙な貨幣の市場操作はプロの金融研究者いわゆる金融聖職者の排他 領域でした.しかし100万台のマッキントッシュが,メインフレーム・コンピ ュータへのアクセスを妨げてきた高位の聖職者の独占を破壊したように,eマ ネーは金融インテリたちの独占を破壊するでしょう.想像してみてください. 電子送付書の上にアイコンをドラッグすれば,利息を受け取れるのです.想像 してみてください.“利息支払い”アイコンであなたは取り立てができ,さま ざまな利息を与え,アイコンは年が経つごとに膨らんでいくのです.また早期 に支払いをするときは分単位で利息を計算できるかもしれません.またあなた のパソコンをプライムレートによって請求支払い方法を変えるようにプログラ ムすることもできます.素人のための請求トレーディング・プログラムとでも 言いましょうか.あるいは支払い時に最も安くつく交換レートを意識してコン ピュータを操作することもできます.いったん大衆がプロと同様のエレクトロ ニックマネーの水を飲めば,すばらしい金融業界の慣習はうわべだけのものに なるでしょう.切り捨てるリストの中に私たちは金融を加えることになります .私たちはプログラムされた資本主義に向かっています.

*私中心主義(Privatization)
eマネーを容易につかまえ,移動し,変形することは,私的流通に とって理想的です.2兆140億円がNTTのテレホンカードによって保留されてい ることは,私的流通のある限定タイプと言えます.ネットワークの掟にはこう あります.“コンピュータを持っている人は印刷機だけでなく,eマネーとリ ンクすることにより造幣局も持つことになります.準流通が信用のあるあらゆ る場所で起こりえます(そして同時に失敗も)”」(「ネットワーク経済,文 化」,今岡清編『接続する社会』[Expanded Book],1994).


取材協力

郵政省電気通信局データ通信課課長補佐・小原昇氏
大蔵省銀行局
オリエントコーポレーション企画部市場開発チーム課長・増渕正明氏
マッキンゼー・アンド・カンパニー・インク・ジャパン プリンシパル・平野正雄氏
筑波大学名誉教授,神奈川工科大学教授・森亮一氏


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