ICC
ICC メタバース・プロジェクト
Vol.7市川創太×松川昌平 [メール対談]「建築とメタバース」(後編) 進行:畠中実(ICC学芸員)
3第14信:畠中実

 お二人の議論ですが,あらためて非常に興味深く拝読しました.
 二つの意見は平行に進みつつありますが,それを無理矢理どこかに着地させる必要はないと思います.

 そこで,この対談のまとめですが,もしよろしければ以下の松川さんからの二つの提起に対して,市川さんの方から補足すべき事項がございましたら,お返事いただけますでしょうか.

(1)「カタログ化」について
(2)「変わらなければいけない」ことについて

 建築が「建築2.0」のようなものになる可能性があるとして,それはわたしたちのこれまでの「建築」という認識を更新するものでありえる,ということでしょうか.僕は非常に面白く読みました.また,「メタバース=建築の墓場」と「建築=排泄物」の対比など,相違点を整理するかたちでまとめられればと考えています.

4第15信:市川創太

 お世話になっております.

>>そこで,この対談のまとめですが,もしよろしければ以下の松川さんからの2つの提起に対して,市川さんの方から補足すべき事項がございましたら,お返事いただけますでしょうか.

順番は前後しますが,

>>(2)「変わらなければいけない」ことについて

 この部分は,僕の「人間の側,人間の内面が変わってこそ」という部分に松川さんが返答してくださっているので,双方の意見は既に出揃っていると思います.

 変化がどこから起こるのか,常に興味を持っていますが,変化は作り手の思いもよらないところから起こることも多いと思います.テクノロジーやデザインの変化によって今適応されている規範が外されたり変更されたりして,人間の内面がまた変化する,というように,この2つの変化は相互作用します.

 「変わらなければいけない」とは思いませんが,変わらないでいることの方が難しいようにも思えます.そのような変化の渦の中では,変化のたびにインパクトを与えない,使い手に変化そのものを意識させない,というような作り手の努力はスマートだと思いますし,デザイナーや建築家が注力すべき点なのかもしれませんね.

 あともう一方の,

>>(1)「カタログ化」について

 確かに1000個の点から4つ以上の点を選び,それらをつなげるという順列は,先の松川さんの説明で間違っていないでしょう.でも「内部空間を作るためには最低でも4つの点が必要」と条件づけているのに,「連結されていなくても配置できる」としている箇所などは,読者が条件設定に矛盾を感じてしまう気もします.ビームと点が空間を内包する条件を定義し順列を狭めることも可能だとは思いますが,この文脈でイメージさせやすい例としてはより複雑になってしまいますね.ですから,単に「1〜1000個の点を選ぶ」というふうにした方が良いかもしれません.

 何より(各点が極座標で空間を個別に知覚している)Super Eyeの集まったCorporaは,格子状のセルを用いた計算モデルではなく,各点に座標系が別個に存在している(主観的),ということをあらたな価値としてスタートしています.隣接するセル(もはやセルではありませんが)の数も静的ではありません.

 最終的にはx,y,zに(も)変換できるものではありますが,格子上の点の順列に置き換えて考えると,Corproaで扱おうとしていることの本質がぼやけてしまうような気がしました.「カタログ化」ということに超越的な機能と期待を込めるのならば,天文学的な順列でさえ一覧し判断できるような,なにかしらの(現時点では想像もつきませんが)方法であったり,複雑系の振る舞いも収めることができるような何か,に向かうのではないでしょうか.そこにはやはり検索・索引も必要になるので,松川さんがサンプルで使った「WolframAlpha」こそが,アルゴリズムやデータ,統計が組み込まれた「超越的なカタログ」の姿なのかもしれないな,と思いました.

 デザインの可能性の有限・無限を考えていくには,松川さんの挙げた例からその天文学的数値を見ることでイメージがわきやすいとは思います.ただ有限の対として無限というものがあるかどうか,というところは正直分かりません.宇宙がどういう形をしているのかということを考えるようなものです.唐突ですが,松川さんはグレッグ・イーガンのSF小説『ディアスポラ』(ハヤカワ文庫,2005)を読まれたでしょうか? 作者特有の人間のアイデンティティを問う文脈の上に,「ワンのタイル」(“Wang Tiles”:無限の空間にタイルを敷き詰めることができるか,という問題)なども出てきて,計り知れない空間の大きさについて,それこそ「知,意識,無限とは何か?」ということを考えさせてくれます.高度な理論物理学のくだりは難しくて分からないところも多いのですが,その描写は圧倒的で,SFでこれほど大きな時間と空間を扱ったものは読んだことがありません.あくまでSFではありますが,作家が最新科学や数学のトピックを解釈しヴィジョンを作り上げる点と,建築家もあらゆる分野の成果を借りてきて建築物を作っているという点では,その職能に共通の何かを感じます.それぞれの抱える悩みは全く別のものではありますが.
 現実的には,建築家から見て(自前で使えるコンピュータの補佐を受けた上で)扱うべき量が途方もなく多い場合は,それを無限として考えてもよいのでは……と個人的には考えます.
 ヴィトゲンシュタインの「私の言語の限界は,私の世界の限界を意味する」という『論理哲学論考』からのセンテンスをこの場の文脈のために勝手に解釈しますが,建築家がその言語で扱えないものは,その建築家からの世界の限界であり,扱うことを諦めざるをえない≒無限,と言っても差し支えないのかな,と.

 また,第13信の松川さんの発言の中に,「総当たり的なテストはトップダウン的」ということで「Corporaシステムには近くない」というような部分がありましたが,実際プロダクションのデザインに適用しようとするときは,総当たり的なプロセスもCorporaは使います.セル・オートマトンのプロセスの結果を左右するシード(初期配列,Corporaの場合は空間のどの位置にいくつSuper Eyeを配置するか,といったことに置き換わります)に関しても,取りうるパターンを有限にしておいて,その範囲で総当たりするとか,ルールを左右するパラメータの組合せを総当たりするといったことは,どうしても必要になってきてしまいますね.
 セル・オートマトンが解決できる局所の条件と,総体として解決すべき条件には,直接の因果関係がない場合もありますので,その断絶を埋めるには総当たり的なプロセスに頼ることもある.この断絶のあたりが,松川さんと僕が共通に感じている「セル・オートマトンのような基盤が,本当に建築設計に使えるのか?」という問いの正体なのだと思います.

 Corpora/corpus(身体)がそうであるように,ボトムアップとトップダウンの両方の命令系統をうまく実装する必要があり,総当たりもその方法の一形態ではないでしょうか.

5第16信:松川昌平

 メタバースを新たに「計算可能空間などの現実空間に対する実験場」あるいは「ユニバースに存在するモノの可能態の集合」と捉え直すことで,表題である『建築とメタバース』の関係について非常に示唆に富んだご意見が伺えたと思います.

 市川さんも僕も,同じようにコンピュテーションの可能性を模索しながらも,対談前には見えていなかった両者の差異性が浮かび上がってきました.特に畠中さんが指摘して下さったように,「メタバース=建築の墓場」(市川)と「メタバース=建築,建物=排泄物」(松川)という対比や,「変わる」ということについての認識の違いなどは,個人的には非常に刺激的でした.

 市川さん,畠中さん,貴重な機会を与えていただいてどうもありがとうございました.お互いのより具体的な実践を踏まえて,またいつか対談させていただけば幸いです.