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ICC メタバース・プロジェクト
Vol.7市川創太×松川昌平 [メール対談]「建築とメタバース」(後編) 進行:畠中実(ICC学芸員)
1第13信:松川昌平

 先の「第12信」内で市川さんが仰っていたように,具体的なアウトプットなしにはフワフワと議論が空回りしそうだというのは僕も感じていました.とはいえ,これまでの議論でメタバースと建築をめぐるお互いの同一性や差異性はある程度見えてきたと思います.その是非をここで議論しつくすことは早計でしょうし,僕自身もまだよく分かっていません.ここでの議論に縛られるどころか,やりながらどんどん変わっていくでしょう.市川さんからいただいた個別の質問は,今後の僕の実践を通して,またの機会にお話させていただければと思います.

 ただ,最後に二点だけ補足させてください.ひとつは,「カタログ化」について.もうひとつは,「変わらなければいけない」ことについて.

(1)「カタログ化」について
 「カタログ化」という言葉から「非常に陳腐でスタティックな収納」というイメージを想起させてしまったのは,少し説明不足だったかもしれません.そこで僭越ながら市川さんのCorporaシステムを例にとって,「カタログ化」という状態を少し補足させていただきたく思います.ただCorporaシステムの内部実装を具体的に把握しているわけではありませんので,あくまでも僕がCorporaシステムをどのような視点で見ているかという勝手な解釈であることをお断りしておきます.間違っていたら再度補足いただければ幸いです.

 Corporaシステムを,インスタレーション/建物設計のどちらの目的で用いるにしても,一般的には有限の敷地境界(inSite)が存在しているはずです.例えば,簡易のためにその敷地を10×10×10mの立方体敷地と想定し,XYZ軸に対して(実際にはもっと細かいと思いますが)1m毎にSuper Eyeが配置できるように位置座標を離散化すれば,敷地内に配置できるSuper Eyeの総数nは,最大で n=10*10*10=10^3個---[1]となります.内部空間を作るためには最低でもSuper Eyeは4個必要なので,配置されるSuper Eyeの数をkとすると,kのとりうる範囲は 4<=k<=10^3---[2]となります.そして,k個のSuper Eyeの配置パターン数mは,最大値n個の中からk個を取り出す順列で表わせるので m=nPk=n!/(n-k)!---[3]となります.さらに,k個のSuper Eyeにおけるビームの繋がり方の全パターン数は(Super Eye同士がビームで連結されなくても配置できるとすると),2^(k*(k-1)/2)---[4]で与えられます.つまり[3][4]より,k個のSuper Eyeの配置パターンとビームの繋がりパターンは,(n!/(n-k)!)*(2^(k*(k-1)/2))---[5]パターンあることになります.

 [1][2][5]より,この敷地におけるCiSのすべての可能性は,sum((n!/(n-k)!)*(2^(k*(k-1)/2))),(n=10^3, 4<=k<=10^3)で求められ,その値は約10^152932パターン[fig.1]となります.

[fig.1]

[fig.2]

 「WolframAlpha」[※19]によれば,宇宙の原子数が10^80個[fig.2]ですから,この敷地のCiSの10^152932パターンという可能性がいかに天文学的な数字かが分かります.実際にはSuper Eyeの位置座標のデータ型はdouble型だと思うので,さらに膨大な数になるでしょう.しかし無限ではない.ボルヘスのおかげで我々は,この膨大かつ有限の可能性をバベルの図書館のように想像することができる.市川さんが仰るように,僕はカタログという単語を広義には「バベルの図書館のような超越的なカタログ」として使っています.この視点に立てば,CiSの時々刻々と遷移する建物の可能性もCorporaシステムから凝固する建物の可能性も,すべてはこの膨大な可能性のひとつとみなすことができる.

 このような超越的な視点から見れば,Corporaも「Topological Grid」も,バベルの図書館のようなカタログの中から,いかにしてより良いカタログを探索するのかという問題に置き換えることができます.しかし市川さんが仰るように10^152932パターンの可能性のうち,その大部分の可能性はゴミです.つまり建築として成立しない.虱潰しの探索やランダムな探索では,意味のあるパターンを発見できる可能性は限りなくゼロに近い.

 そこでCorporaプロジェクトでは,より効率的に探索するための手段としてセル・オートマトンが採用された(と僕は思っています).虱潰しのようなトップダウン的な探索ではなく,建物の構成素であるノードにSuper Eyeというシンプルな知能を持たせることで,ボトムアップ的により良い解を探索することができる.それぞれのSuper Eyeが,各ステップごとの近傍の状態に応じて自らのステートメントを決定することによって,ゴミのカタログを選択することを巧妙に回避するはずです.しかし市川さんも仰るように,実際には上記のように期待しても,10^152932パターン全体が見渡せないのだから,ステップ毎に出力される可能性が全体の中でよりよくなっているのかどうかを知る術はありません.

 ここでこのような超越的な視点を提示したのは,セル・オートマトンや遺伝的アルゴリズム(GA:Genetic Algorithm),そして人間の脳さえも,膨大な可能性の中からよりよい可能性を探索するために我々が獲得した経験的手法(ヒューリスティックス)のひとつとして等価に並べるためです.この視座に立ってようやく,そもそもセル・オートマトンを採用したことがより効率的に探索するための手段なのか,ということも疑うことができる.市川さんが「コンピューティングやアルゴリズムが作り出したもののレヴェルが(中略)常に「感性と経験」の上を行っているようには見えません」と書かれていたように,人間は「感性と経験」によって,10^152932パターンの中からより容易に可能性を探索しているように見える.改めて考えてみると,人間の脳がもつ情報処理能力は本当にすごいですね.ジェフ・ホーキンス[※20]が試みているような大脳新皮質を模した脳型コンピュータが本当にできるのならば,チューリング・マシンの限界であるフレーム問題を超えられるかもしれませんね.あるいは量子コンピュータの実現によって膨大な可能性も一瞬の内に計算してしまうかもしれません.是非自分が生きている間に使ってみたい…….

 少し話が逸れましたが,自然が黄金比やフラクタルなどを採用していたからといって無批判に建築に応用しても意味がないように,市川さんが「セル・オートマトンのような基盤が,本当に建築設計に使えるのか」と自らに問いかけていることに僕は共感します.10^152932パターンという膨大なカタログのすべてを見渡すことは不可能です.だからまずはカタログ全体を見渡せるような超越的な視点まで遡る必要がある.そのカタログを様々な方法で探索して,まずはその振る舞いや評価を観察してみるしかないのではないでしょうか.「Topological Grid」はその最初の試みです.市川さんが以前指摘してくださったように,ウォルフラムが1次元セル・オートマトンの振る舞いをすべて洗い出してクラスに分類したようなことをやらなければいけない.仰るようにそれは本当に気が遠くなるような壮大なことです.しかしCorporaプロジェクトにおける2番目の目的である「(2)何らかの条件を満たしそれ以上のプロセスに進めない状態を探す」ということも,クラス2のようなアトラクタを探すようなことだと僕は理解しています.

 制約条件や評価基準を満たした建築の可能性が得られるシステムができたとして,この可能性が建売としてメタバース上に並ぶとき,狭義の意味で「カタログ」という単語を使っていました.前回までの議論は主にここから先の話です.ですので僕も正直に申しあげて,前回書いたようなシステムになるのかどうかはまだよく分かりません.現時点での自分の考えであることは間違いありませんが.それよりもまずは「Topological Grid」から生成された有限の可能性を観察することに集中したいと思っています.

(2)「変わらなければいけない」ことについて
 すでに(1)の記述が長いので,こちらは手短に.

 「すべては絶えず変わり続けている」という認識には共感しますし,僕の活動が何かを変えるキッカケになってほしい,とも思っています.ですので「変わること」そのものに違和感を示したわけではありません.むしろ作り手が使い手の意識を変えたいと思ったときに「変わらなければならない」という状態を作りだすことが,逆に変わることを抑制する方向に働くのではないかと感じているのです.変わらなければならないと「意識的」になってしまうと,実際に変わる前にその状況に慣れてしまうのではないか.あるいは先の電気自動車の例のように,変わることを拒絶できてしまう.《奈義の龍安寺》や《養老天命反転地》を何度か訪れた際の僕の率直な感想です.

 これは僕自身もうまくできているとは言えませんが,いかに変わるということを意識させないか,言い替えれば,いかに「無意識的」に変えることができるか,を考えたい.それには,先にも引用した『アーキテクチャの生態系』(濱野智史著/NTT出版,2008)の中で書かれていた,「アーキテクチャ/環境管理型権力」の要点がヒントになるような気がしています.「(1)任意の行為の可能性を「物理的」に封じてしまうため,ルールや価値観を被規制者の側に内面化させるプロセスを必要としない.(2)その規制(者)の存在を気づかせることなく,被規制者が「無意識」のうちに規制を働きかけることが可能」.

 「gridというものが近代建築を表象するもののように,ある意味超えるべき存在と意気込んでしまっていた」と仰る市川さんに対して,僕はあえて慣れ親しんだ gridを用いることで,無意識のうちにgridそのものの概念を拡張してみたい.ここに「変わる」ということについての両者の差異性がよく現れているような気がします.及び腰どころか,もっとしたたかに…….

 ちょうどこの原稿を書いている時に,荒川修作氏の訃報を知りました.心よりご冥福をお祈りしたします.無意識のうちから三鷹天命反転住宅で育った子供がどのように変化しているのか.映画『死なない子どもたち』[※21]を拝見するのを楽しみにしています.

[※19]「WolframAlpha」:米Wolfram Researchが2009年05月18日から公開しているウェブ・サーヴィス.トップページ(http://www.wolframalpha.com/)には検索エンジンと同様に入力欄が用意され,特定の質問に対する答えをユーザーの代わりに計算してくれる,というもの.ちなみにこの「WolframAlpha」には10兆以上のデータと5万種類以上のアルゴリズムとモデル,1000以上の言語についてのデータが内蔵されているという. [※20]ジェフ・ホーキンス(Jeff HAWKINS,1957-):Palm ComputingとHandspringの創始者にして,後に神経科学について従事するようになる.脳について独自の「自己連想記憶理論」を唱え,『考える脳──考えるコンピューター』(サンドラ・ブレイクスリーとの共著/ランダムハウス講談社,2005)を著した. [※21]映画『死なない子どもたち』:荒川修作の世界を巡るドキュメンタリー映画.「人間は死なない」と断言した男(荒川修作)と,「死なない家」に住んだ人々の生命の記録.監督:山岡信貴/出演:荒川修作,佐治晴夫,天命反転住宅の住人たち,他/ナレーション:浅野忠信/音楽:渋谷慶一郎/2010年夏に劇場公開され,DVDリリースも予定されている.http://www.shinanai-kodomo.com/