終わりなき道の標に

そこで,「グローバル・アンド・オープン」という考え方がきわめて重要になります.どこか進んでいる国や進んでいる人のレヴェルだけでものごとを決めて,そのルールでいくのなら簡単だけど,そうはいかない.メカニズムとして,オープンで,文字通り世界中誰からでも提案できて,みんなが納得できる仕組みが絶対に必要なのです.

で,インターネットは「インスタントリー・グローバル」なメディアだと,最近つくづく感じます.一人で始めたことが,あっという間に世界中に影響を与える.問題だけはインスタントにグローバルに広げることができるけど,肝腎の解決のほうはそうは問屋がおろさない.問題の解決も,グローバルに取り組む以外にないが,そうインスタントにはできない.従来の社会制度や,政治も経済も当然追いつかない.それでいいのかと思うのです.

一方で僕自身もインターネットはこんなにすごいと,布教活動してきた.しかし,グローバルに起きてくる問題一つ一つについて解いていかなければならない.その解き手の数が,とくに日本ではぜんぜん足りないのです.

僕は3年前にマレーシアに行って,2年前からアジア太平洋インターネット協会という業界団体の事務局長を兼任してきました.そうした活動のなかでは,アジアに共通する利益・公益とは何かということがよく問われます.中国とインドと日本とシンガポールと韓国で,共通に守るべきものが何なのか.さらに,そうしてアジアの利益・公益として地域単位で一括りにしてヨーロッパやアメリカに対して主張することが,本当に全体にとって利益があるのか否かという問題に直面してきました.

例えば,インターネットのドメイン・ネームの管理問題があるのですが,すでにグローバルに英語でがんがん議論されていて,当然その議論についていかなければならないのですが,そこに中国語でドメイン・ネームをどう表わすべきかといった問題が立ち上がる.また,政府と民間の関係は国や地域によって相当違いますから,欧米の人々がよく主張するような,政府と民間を明確に区分しろということは,ローカル・ルールとしては成立しても,グローバル・ルールにはならないことがあります.

こうした問題に取り組む人間が,日本でも,どう考えてもいまの100倍くらい必要だと思えてくる.それは日本だけの問題ではなくて,アジアの各国がすべて,ネパールしかり,ブータンしかりなのです.ただし,どう育てるかということが問題で,学校で教えればいいというものではない.どういう組織,方法がいいのか,すぐには見えてこないので,とりあえず人を育てることそのもののプロトタイプづくりから始めなければいけないかなと思っています.

人を育てる組織はどこか,という問題です.いまある大学とか,企業の仕組みのなかから,こうした問題に取り組める人が育つかというと,絶望的な感じがします.日本でもようやく「ロー・スクール」をつくろうという試みが出てきています.グローバルに通用する法律実務家が日本で不足しているので,東大の法学部をはじめとして,既存の法学部とは異なるものをつくろうという試みがいくつか競争しています.できるまでに早くても3年はかかるでしょう.しかも,それが仮にできても,そこで教えられる人がどれだけいるのか.日本のいまの大学,いまの企業,いまの法曹制度を見ると,あのなかでことを抜本的に変えようという話はそう簡単にはいかない.いまあるものを少しずつ変えながら,足りないから新しいものも追加するという感じなので,これでは間に合わない,インターネットのような激しい変化の時代に対応するのは無理だと思います.

英語で仕事ができるようになるかということ一つ考えても,勉強はできるかもしれないけど,実務的な仕事をできるようになると思いますか?

石井――ならないでしょうね.安直に,じゃあアメリカに行ってネイティヴ・スピーカーのなかでやるということになると,日本でやる必要がなくなりますね.


前のページへleft right次のページへ