デジタル・フロンティア 多文化主義のなかの日本 |
ユニコード問題と日本文化 ヴェルトマン――ヨーロッパで興味深いこととして,ユニコードが開発された,あるいは開発中だということがあります.あるカナダの会社は,世界の主要な文字90種類で書くことができるシステムを開発しています.多様性を保つ方法の一つは,その地域ごとのローカルな複合性を確かなものにすることだと思います. 月尾──ユニコードは,日本では大変重大な問題になっております.ユニコードとは,コンピュータのなかで共通して文字を使えるように,2バイト単位で世界中の文字を表現しようという構想です.2バイトというのは,種類にすると3万数千種類の文字の識別が可能な情報量です.ということは,3万数千種類の文字であれば,ユニコードで表現できるわけですが,世界にどの程度の文字があるかというと,例えば漢字の数は『康煕字典』だけでも47,035もあります.すなわち,古い文化が,コンピュータを使うというわずかな便利さのために一気に失われようとしているという大変な問題です. これがどのくらい大変な問題かということで参考になるのが,2000年問題です.ほんの30年ほど前の幼稚なコンピュータの能力にしてみれば,西暦を下2桁で表現するというのは画期的なアイディアでした.ところが,その節約が昨年末,世界を揺るがす大問題になった.ユニコードというのはそれにとどまらない大変な文化破壊であり,2バイトというメモリを節約したいという考え方が,これまで人類が蓄積してきた何十万という文字を一気に消滅させる可能性があります.そこでユニコードをはるかに超える,現在のほぼすべての文字を扱うことができる「超漢字」というオペレーティング・システムを開発して普及させようという動きもあります. 過激かもしれませんが,わたしは,少なくともヨーロッパ系以外の人々はこのユニコードを撲滅するためにがんばらなければならない大変重要な時期にさしかかっていると思います.これは2000年問題と比較にならないくらい,文化破壊を一気にもたらすような大変な問題だということを,日本の方々には理解していただきたいと思います. 武邑――文化の多様性,あるいは“going global, preserving local”という二つの力の関係についてご意見をいただければと思います.例えば現代の日本文化というのは,さきほどグリーンさんからも出たように,テレビゲームとか,「ジャパニメーション」と言われているサブカルチャーの生産力や影響が非常に強いわけですね.むしろ日本のかつての伝統的な文化様式というものと,新しい日本文化とのあいだにある乖離というものも大きなテーマになるかと思うのですが. グリーン――地域ごとの文化の多様性をいかに保存するかという問題について,合衆国で非常に面白いモデルが出てきました.ロサンゼルスの,LAカルチャー・ネットです.それは最初,ローカルな文化コミュニティのメンバーをまとめたり,イヴェントの通知をしたり,さまざまな事柄について話し合ったりするためのニュース・グループとして,Eメール・グループとして始まりました.それは信じられないほどうまく機能し,その後ウェブサイトを発展させて,プロジェクトとして,ローカル・コミュニティの非常に強力なトレーニングとして発達したのでした.トレーニングというのがカギだと思うのです.ローカルな話を知りたい,あるいは庶民の話を聞きたい,現在オンライン上にある話を知りたいと思えば,人々の徹底的なトレーニングが必要だからです.LAカルチャー・ネットでは,ある機関なり家庭なりがウェブサイトを開くことを,コミュニティ全体が手伝うのです.ウェブサイト上には「LAの顔」と呼ばれるエリアもあって,そこではロサンゼルスのさまざまな文化が代表されており,すべての機関を取りこむ努力がされています.ロサンゼルスでは,所与のトピックについて,すべてのミュージアムにまたがって調査することができるよう,いまコレクション全部についてのデータベース化が進んでいます.また,ロサンゼルス独自の文化に基づいた,ローカルな学校カリキュラムも開発されました. 武邑──これまで,グローバルとローカルについて,さまざまな視点が出てきたと思います.わたしたちがその緊張や刺激的な関係のなかでいま直面している前提的な問題に,コンテンツおよび電子流通する著作物をどう守るか,あるいはそれらをどう世界にすみやかに伝えることができるか,あるいはコンテンツをいかに自由に複製することができるか,つまりコピーする権利というような問題も含まれるのではないかと思います.このコピーライトの課題についてこれから考えていきたいと思います. |
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