「20世紀音楽」の旅行者

確かに,その可能性は高い.それはアーティスト自身がどのくらい賢明であるかによるのだと思います.彼らは将来,その問題と取り組まないといけないでしょう.ダンス・ミュージック・シーンのほうが,アート・シーンよりもラディカルです.ダンス・ミュージックのアーティストは10枚や20枚ものレコードを,いろんな偽名でリリースしており,匿名性が高い.でも,アート・シーンでは,アーティストは有名になるように仕事をする.そのやり方は,非常に伝統的で,因習的なキャリアの進め方だと思います.テクノ・シーンでは,完全に匿名性を守っているので,アーティストがいかなる人種なのか,女性か男性なのか,どんなスタイルの音楽をつくっているのかもわからないことが多い.一人のアーティストによる10枚のレコードが,まったく違うスタイルの音楽だったりするからです.

しかし,逆の問題もあります.去年(99年)の夏に,バルセロナのSONARフェスティヴァル[★4]で演奏したのですが,会場がとても広くて,1000人くらいの客が入っていたのです.私たちの演奏は,ときにはとても静かですから,客が会場から頻繁に出入りしているような環境だとやりにくいのです.それにテクノ的なコンテクストだと,聴衆は必ずビートを欲しがる(笑).もう一つの問題は,テクノという音楽は,パフォーマンスという要素と矛盾するということです.パンソニック[★5 ]と,この問題について話したことがあります.彼らは客の前で演奏をすることに嫌気がさしていると言っていました.昔のロックと同じようにステージに立たないといけないから.彼らの音楽はスタジオから生まれて来るものであって,パフォーマンスという部分には何の意味も見出せないと.ステージ上でサウンド・チェックをしたり,観客がアンコールと叫んだりするような環境から,何人かのアーティストは離れたがっているのです.そういう人々にとっては,アート・ギャラリーで表現することはとても魅力的なのです.特定の観客のために演奏する必要がないし,パフォーマンスの古風な形式に従う必要もない.だから,あなたが言ったことは正しくて,アート・コンテクストには確かに多くの危険性が伴う.しかし反対に,パフォーマンスやロックンロールの使い古された慣習に飽きている人々にとっては,それは非常に魅力的でもあるのです.

──より純化された形態で作品を提示できるということですね.スペースの実際的な条件であるとか,美術界の政治的な機構がどうこうということではなく,ある種の透明で純粋な空間のなかでの試みという.

そうだと思います.それにアーティスト側も,まったく新しいオーディエンスに作品を見せるチャンスが与えられます.そこがとても重要なのです.ですから,こうした展覧会にどんな人々がやって来るかは非常に興味深い.完璧なプランというものは存在しません.できるのは,ただ前進することのみです.遊牧民のように常に移動すること.そして,変化に対応できる姿勢をもつことです.今日の世界の,常に変化している環境と対応するには,そういう姿勢が必須なのです.

──あなたは何枚もの優れたコンピレーションも監修していますが,若い聴き手はオープンな耳と好奇心をもっている一方,表面的な快楽主義に耽溺しがちであったり,ただ単に新奇なものを安易に求めてしまう傾向もあると思えます.あなたには,一種の啓蒙主義というか,オーディエンスを教育するような意図もあるのでしょうか?


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