「20世紀音楽」の旅行者 |
これまで私がやってきたことには,自分のパーソナルな関心のヴェクトルが反映されていますし,それを常にはっきりと打ち出してきたつもりです.たとえば『Ocean of Sound』[★2]は個人的な本です.20世紀音楽における,オルタナティヴな歴史のなかでの私の道程を反映した,きわめてパーソナルで,主観的な物語なんです.この展覧会についても同じです.彼らはすべて,さまざまなかたちで私個人が関心をもっている人たちです.しかし運良く,私のテイストには多様性があります.この展覧会には一貫したヴィジョンがあると思いますが,そのヴィジョンはとても幅広い.私は現在において音楽とヴィジュアルを連結する種々の方法を示したかったのです.それ以外の大きな理論的な基盤はこの展覧会にはありません.この展覧会は,音楽的にパワフルで,視覚的に多様性があります.挑戦的でありながら,エンターテインメント性もある.1970年代にはサウンド・アートは非常に難解なものでした.でも,それは最近大きく変わったと思います.現在のサウンド・アートは,20年前には興味をもつはずがなかった人々にも,直接的に訴えかける力があるのです. ──あなたとマックス・イーストレイ氏がICCで行なったレクチャー&パフォーマンスのときも,客層がとても若かったですね.このような変化は,いかにしてもたらされたものだと考えていますか? ダンス・ミュージックの方向性によるものだと思います.ディスコ・サウンドは次第にアンダーグラウンドなものになっていき,80年代の初期には非常に実験的になっていました.特にニューヨークではそれが顕著でした.私はすぐにそのサウンドに興味を覚えました.「これは非常に面白い.いったい何が起こっているのだろう?」と考えてみた結果,そこではダンス・ミュージックのアイディアが,ポピュラー音楽という文脈に,音を変化させ,操作するための手段として導入されていることがわかりました.残念ながらすでに故人ですが,アーサー・ラッセル[★3]がいい例だと思います.ヒップホップにおける実験,デトロイト・テクノにおける実験,そしてイギリスにおけるヒップホップとテクノのハイブリッドが,エレクトロ・アコースティック音楽における実験を引き継いでしまったのです.本来,よりアカデミックな分野で行なわれていた実験が,ポピュラー・ミュージックにおいて試みられるようになったわけです.それは新しい聴き手に,音響的な実験を受け入れる基盤を与えるような教育を施していったと言えます.彼らはキング・タビーやリー・ペリーなど,ダブやレゲエの実験にも触れていました.1987年になると,初期のアシッド・ハウスのレコードが登場しましたが,そこに取り入れられていたミニマリズムと,音のマニピュレートのラディカリズムには驚くべきものがありました.インダストリアル,アンビエント,ノイズなど,音響操作の実験は,すべてがアシッド・ハウスという頂点で収斂しているかのようでした.アシッド・ハウスは大規模で,世界的なムーヴメントになり,実験主義を一つのベーシックとして築いたのです.『Ocean of Sound』でも書いたことですが,アンビエントはアシッド・ハウスとほぼ同時期に登場した,アシッド・ハウスの対極にある音楽でした.いまの世代は,こういったトレンドを青春時代の一部として自然に体験してきたのです.20世紀における文化の変化の速度があまりにも急だったため,21世紀になってようやく20世紀を振り返ることができるのではないか.過去100年間は,一般人は同時代の音楽を聴こうとはしませんでした.人々はモーツァルト,ベートーヴェン,シューベルトなど,18,19世紀の音楽を好んだのです.またはオーネット・コールマンを聴くより,カウント・ベイシーを聴いていたんです.だから21世紀にやっと人々は,20世紀の音楽を聴き返せるのではないかと(笑). ──「Sonic Boom」展に,多くのテクノやクラブ・ミュージックのアーティストが参加しているのは,あなたのそうした視点を明確に示すものだと思います.80年代からのダンス・フロアやチルアウト・ルームやストリートにおける,さまざまな実験に即して,音のつくり手とともに聴き手も進化してきた,その認知の拡がりの果てに,美術館やギャラリーから招かれるということになっているわけですよね.しかし,そこにはやはりある種の危険性もあって,大文字の「アート」や「文化」というものに,クラブやストリートという開かれた空間での実践的試みが回収されてしまうということになりはしまいか.テクノのクリエイターが年を取ってアーティストとして認められたということでは,ハイ・アートによるサブカルチャーの搾取が,またしても繰り返されたということになってしまう……. |
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